六世中村歌右衛門丈


03’1’29
 私が歌舞伎を初めて見たのは、中学時代に父に連れられて行った歌舞伎座の「源氏物語」だったと記憶している。分かりやすい筋立てではあるし、きれいな舞台に魅せられた。
 大学時代には「歌舞伎同好会」を作り、毎月見ていた。前売り券発売初日にいつも二十枚程度まとめて買う私に、劇場側が「電話を頂けば席はお取りしておきますから、都合のいい日に来て下されば」と言ってくれるまでになった。昭和三十年ころで、まだ人の心にゆとりのある時代だったのだろう。
 当時の歌舞伎界は、市川海老蔵、松本幸四郎、尾上松緑の三兄弟や、中村歌右衛門、尾上梅幸と言った名優達の全盛期だった。女形の歌右衛門と梅幸はよく比較され、歌右衛門は私生活においてさえも女性的だと言われていた。私は特にどちらが好きということもなかったが、『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』の乳人(めのと)・政岡や、『籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)』の遊女・八つ橋など、歌右衛門の舞台のほうを鮮明に思い出す。

 上野の美術館に橋本明治画伯の「中村歌右衛門丈」という作品が出されたのは日展だったか、院展だったか。私は偶然にもその会場で、ご自分がモデルのその絵に見入る歌右衛門さんを見かけた。数人の人たちに囲まれるようにして、穏やかな笑みをたたえながら説明にうなずかれている様子は、舞台とは全く違って、小柄な方という印象だった。きゃしゃな和服姿が、いかにも女形らしかった。
 その一団が動き出したとき、私は目を疑った。歌右衛門さんは足に障害をお持ちのようで、歩かれると肩が左右に揺れるのだ。何度も舞台を見ながら全く気づかなかった。
 あの華麗な「花魁(おいらん)道中」を堂々と演じる人と、美術館で肩を揺するようにして歩いていた人が同じ人とは、私にはとても信じられないことだった。「芸の力」を目の当たりにし、更に尊敬の念を深めたのだった。
 名優達の多くが故人となられ、歌右衛門丈も今はない。

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