山 好 き 三 婆

    

11’11’26
 しばらくぶりに登山靴を履いた。 ほぼ一年ぶりだ。 登山靴を履いたと言っても、出かけた先は都民にはおなじみの高尾山である。 この一年、「筋肉に負荷をかけすぎないこと」を旨として暮らしていたので、山にもご無沙汰を余儀なくされていた。 

 二時間の散歩もできるようになり、草花丘陵のアップダウンの二時間あまりも無事にこなせたので、十一月後半の市主催のウォーキングに参加した。 この時は、途中で、あまり思い出したくない違和感を両脚の大腿部に感じて不安になったが、お風呂でしっかりマッサージをし、病院で処方されていた「経皮消炎剤」を塗りこんで寝たら、翌朝は気にならなくなっていた。 それではと、今回は仲間に声をかけて、いつもの三人で出かけることになったのだった。 高尾山でも、奥多摩でも、「あまりハードでない山に」と言うことで、今年の紅葉はあまり期待できそうもないが、見頃かもしれない高尾山になった。 

 三人で山に行くのも久しぶりだった。 私は一年間の休養、Nさんは息子さん一家のお手伝いで東京を離れていた。 Yさんはほかのグループでよく歩いてはいたようだが、山にはあまり行かなかったらしい。

 この三人、齢は七十代後半、四捨五入すれば、三人とも八十歳である。 この一年、“目には見えない不調”を抱えているのに、「十年後にあなたのように元気でいられるかどうか・・・」などとよく言われる空元気の私、「すぐ足がつるから、山はそろそろ終りにするかな」と言うYさん、「腰が曲がってきた」と気にするNさん。 それぞれ齢相応である。 それでも、「山に行こう」と言うのだからあきれるねと三人で笑う。  

 高尾山もコースの取り方では結構ハードな登山になるのだが、今回は「楽をしよう」と、大変な込みようのケーブルカーは避けて、リフトを使った。 晴天に恵まれ、リフトを降りたところの展望台からは、遥かにうっすらとスカイツリーも見えていた。 

 同じように年を重ねているから、口には出さなくても、同じように疲れ、同じように歩き方もゆっくりになっているのだろう。 コースのとり方も、歩くペースも、登山歴では一番の先輩、Yさんにお任せである。 私は例によってカメラを手に、「撮っては追いつく」を繰り返す。

 高尾山の最近の人気には驚かされる。 平日だと言うのにすごい人出である。 さすがに今は遠足の子供たちはいないが、旅行会社のツアーのワッペンをつけた人たちが、続々と来る。 先ごろの台風で、倒木もあり、崩落して通行止め部分のあるコースもあり、意外に道が入り組んでいるので、道標はかなり多いものの、初めての人は戸惑うこともありそうだ。

 紅葉は思ったとおり、あまりきれいではなかったが、日を透かして見れば「それなりの」美しさを見せていた。  「奥高尾」とされる一丁平まで行って戻り、びわ滝を通って下ろうと歩きかけたが、案内板に張られた紙を見ると、途中が通行止めになっているらしいので、頂上を巻き、結局、ケーブルに乗ることになった。

 夕方近くになってもツアーの人が来るのは、宿坊で精進料理を食べて泊まる企画でもあるのかなと話し合いながら、私たちはあまり日が傾かないうちに下山したが、続々と登ってくる人がいるのにはびっくりした。 三婆の考えることと、若い人たちの考えることは違うのだろうから、われわれの心配は杞憂に過ぎないのかもしれないが、夕方近くに山に入るのは、やはり心配である。

 一丁平でのおしゃべりの中で、自分たちのペースで、休み休み行けば、まだ北アルプスも行けそうだ、と言うことでは意見が一致する。 たとえば、私がもう一度立ちたいと願っている北穂高岳の頂上も、今行くとすれば、朝出かけて、横尾で泊まり、涸沢で泊まり、北穂の頂上で泊まり、下ってきてまた涸沢で泊まり、横尾で泊まる・・・。 行けるだろうがこれではお金がかかり過ぎるねと笑い合う。
 夜行で行き、涸沢で一泊、翌日登って頂上小屋に泊まり、翌日帰ってきたのでさえ、健脚の人から見れば「もったいない」くらいのものだろう。 少し頑張ってもう少し日数を短縮したとしても、私の場合は、そんなに家を空けられないので、実現は難しい。 しかし、そんな他愛もない話で盛り上がれる仲間がいることは、最高に幸せだと思う。

 久しぶりの高尾山も、結構、足腰に来た感じではあったが、一晩寝て回復したので、ハイキングクラブにも復帰できそうな気持ちになっている。 いずれにしても、話の上ではともかくとして、山もそろそろ「本当に」終りにする日がそう遠くないとは三人とも思っている。 残念と言うべきか、あちらこちらとよく行ったのだから満足だと言うべきか?
 何しろ、三人のお付き合いは、もう四十年に近いのである。   (My Galleryへもどうぞ)  

[目次に戻る]