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その昔、嫁は姑に「仕える」存在だった。 そもそも嫁を「労働力」として迎えるケースも多かったというから、婚家で一生懸命働き、しっかり跡取りを産んで育てることが要求されたのである。 時によっては、産むだけで、育てるのは姑の仕事になり、嫁は労働に従事と言った例も少なからずあったらしい。
「子無きは去る」と言われたように、子供のできないのは嫁に原因があるとされ、離縁になると言う具合だ。 当時の「婿殿」は何をしていたのだろうかと思う話である。 我々の親世代までは、大体似たようなものだったと思う。
先輩から「嫁に対する愚痴」を聞くことも結構あった。 私自身が嫁の立場になった50年前頃は、まだ近所のお年寄りの話題の中には「嫁の悪口」がかなりあったと記憶している。 一方では、「嫁の悪口」など一切言わない人ももちろんいたが・・・。 どこの嫁も、黙って「耐えていた」のだと思う。
私の姑は、苦労人だったためか、よそからこの地に越してきた人だったからか、年の割には「進んでいた」人で、「二人で相談して決めればいい」と、古くからの習慣などに関しても、若い二人に任せてくれていたので、姑との人間関係に特に苦労することはなかった。 「お隣さん」で、同居していなかったことも余計な摩擦を避けられた原因かもしれない。
世の中が変わるにつれて、「強いお嫁さん」の姿を目にすることが多くなった。 嫁姑で喧嘩をしていたり、何を言われたのか、強い調子で、「一度言えば分る」とお姑さんに言い返しているのを耳にしたときには、正直、びっくりしてしまったものだ。
同年輩の友人たちとの会話の中でも、「姑の面倒を見るのは、我々世代が最後だろうね」と言う話が度々出るようになってきていた。 「老後を嫁に頼める時代ではなくなった」ことを誰もが感じていたと思う。
ここ20年ほどの間に、嫁はますます強くなり、姑の影は薄くなった。
息子夫婦が「一緒に住みたい」と言うからと喜んで一緒になってはみたものの、結果的には自分の居場所が無くなり、「家をのっとられた」と感じている人や、挙句の果てには自分の家を出てしまった人さえいる始末である。
息子も嫁には頭が上がらず、これも親を嘆かせることになっている。
「気に入らなければいつでも帰って来い」とまで言うかどうかは知らないけれど、嫁いで行く娘に、「何事も我慢して婚家で気に入られるように・・・」などという親は最早いまい。 最初から「親との同居は拒否」も多いと聞く。 世の中、変われば変わるものである。 一方で、嫁にやった娘に、いつまでもべったりの親も多いようだ。 嫁の世話にはなりたくないが、娘には面倒を見てもらいたい、と言うところらしい。
そんなわけで、現代は生まれて来る子供には、女の子が望まれる。 「男の子はせっかく育てても嫁に取られておしまいだもの」と言った人がいた。
友人の多くは姑の立場であるが、「嫁の悪口」は我々の話題には無い。 「昔の嫁」の立場を経験しているからかもしれない。 我々よりも若い世代の人には、姑は目の上のたんこぶらしく、最近聞くのは、もっぱら「姑の悪口」である。
人間関係というのは「いや」と思い出すと、どうにも耐えられないほど「いやになる」ものらしく、同じ家の中にいて、「同じ空気を吸っている」と、思うだけでいやになる、と言う人もいた。 姑の悪口以外に話題のない人さえいる。
長い間、同居している姑の悪口ばかり言っている人がいた。 人づてにその姑さんが亡くなったと聞き、「彼女も内心ほっとしたことだろう」と思ったのも束の間、幾月も経ずに彼女自身が亡くなり、暗然たる気持ちにさせられたことがあった。 「悪口」はできれば言わないに越したことは無いのである。 言う人の品性にも関わることである。
息子一家と同居しない選択をしている人も多いが、一緒に住むのも、これでは双方のストレスは如何ばかりかと、他人事ながら案じられることである。
最近では姑の面倒を見るくらいなら離婚も辞さないと言う例もあるらしいから、親もあまり長生きをすると子供を不幸にするわけだ。 いまどき、姑の面倒を見るなんて、とんだ「貧乏くじ」を引いてしまったと言う感覚なのかもしれない。 「愛する夫を産んでくれた人」なんてきれいごとは言えない心境なのだろう。
嫁と姑の立場がすっかり逆転した今日、親もしっかり自分の「身の始末」を考えておかなければならない時代になった。 嫁姑関係のストレスに悩まされるよりは、健康に留意しながら一人で気楽に暮らし、最後はいわゆる「孤独死」。 それも悪くは無いなと思ったりしているのだが・・・。 ほんの幾日か「お騒がせ」すればおしまいだものねと、同じ考えの友達と笑い合ったことである。
日本で、嫁姑の関係が再逆転する日が来ようとはとても思えないが、嫁姑の問題は、どうやら世界共通の「永遠のテーマ」であることだけは確かなようだ。 この「強くなった嫁たちの老後」を、見てみたいものである。