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9.11テロ以降、強大な力とそれを行使する権限、振りかざした正義がいったい何を行うのかなどの
錯綜する世界情勢、平和への不安を吐き出した中から、西遊記になぞらえた日記を抜粋
ナンでもさいゆーきに見える自分のノーミソって・・・

2001/09/20 (木) 今度こそ風前の灯火か?!

平時には、世界に類を見ない素晴らしい理念だ!!と絶賛されるが、きな臭くなる
たびにやっかいな足かせ扱いされる鬼っ子の「憲法第九条」、何度目かの危機。
日本の平和憲法って、なんだか西遊記の三蔵さんみたいだよな〜
永遠の戦争放棄と僧侶故に殺生を嫌う三蔵。でもその生い立ちは決して穏やかなもの
ではなかった。原爆の悲劇を被り、そして敗戦によるずたぼろの「植民地」からはい
上がるための交換条件の専守防衛。
立派な家柄の血筋でありながら、父は殺され母は奪われ、産まれた直後から「孤児」
として育った江流(玄奘)。憎き賊を訴え法で裁き敵を討つも、母は後に自害してしまう。
前世に置いても九度、取経途中で「流沙河の化け物」に喰われるという壮絶さ
(悟浄の持つ九つのしゃれこうべ=前世の玄奘説記述は訳者、解説者によりまする。
ついでながら、しゃれこうべネックレスは渡江の際に昇華してしまったので取経時には無い)
旅立ってからは、戦争放棄・天竺取経は鉄の意志だが、器が果てしなく弱い!!
守り手がいなくてはたやすく命を絶たれてしまう、そんな存在。
人々には「ありがたい高僧」と敬われていても、魔境の妖怪にとってはエサでしかない。
鉄の意志を守る鉄壁の守備。九条は艱難辛苦を乗り越えてめでたく天竺に到達出来る
のだろうか?!いや、天竺は終着駅ではない。経を持ち帰り翻訳し広めるそれこそが
目標なのだ!!

2003/03/22 (土) 強大な破壊力と制御装置

力を暴走させるのは快感だろう。ひしゃげ飛び散る「敵」の残骸と己の強さに
酔いしれ、世界の支配者を夢想する。
「正しい制御装置」の存在は、「力本人」にとってはうっとうしいものだろう。
が、力で押さえる手段しか選べないのなら、遠からぬ未来に彼は孤立する。
500年の孤独は……友と思っていた者さえ訪れない果てのない幽閉の日々、
何を考え続ければいいのだろう?
自分の行動の間違い?友情への過信いや誤解??
強い王を頂いた猿たちはもちろん、力が全ての妖怪達の中には天界との開戦を
諫める者などいなかった。結果的に多くが「退魔」された。それは誰のせい?
指導者を誤った民の自業自得なのだが、それが独裁者ならば、恨みは一点に集中する。
あるいは仏の押さえ札の結界によって五行山への接近が阻まれていたのかも
しれないが、原作は取り立てて説明をしない。
硬い石から産まれ、柔らかく包んでくれる温かい抱擁など一度も経験したことも
なく、群れに受け入れられるためには力の誇示しかない。
でも、「自分の武力」は絶対のものではなかった。たった一つの拠り所が砕けた。
そんな彷徨の末、自分を救う術(すべ)を持つ三蔵に会う。
彼にとっては二人目の「師」。一人目で力を、二人目で心を伝授され、
ようやく彼は完成する。己以外の命のために、こんなにも泣くことが
出来るようになるのだ。

2003/03/24 (月)それぞれの正義

悟空達にとって、お師匠さんを守るための殺戮は「正義」
襲い来る方からしたら、人間を支配し喰らうのは「妖怪の正義」
三蔵にとっては、無事に取経を果たすことが「正義」
西遊記は仏教説話みたいなモンだから、どんなものであろうと命は尊い。
殺戮に使うのは道教の力。御仏は散らされた命の救済に有り難く降臨される。
うまく出来てるじゃァないか!
中華にあまねく浸透していた道教(道術)を、西天渡りの新参仏教が従え、
行使する。
まだ、仏教が「正しかった」古き良き時代のオハナシ。
仏の名のもとに仏教徒自身が殺戮を正当化する、ずーーっと昔のオハナシ。
人殺しを奨励する『カミサマ』が、こんなにもはびこる前の…………