「15 説明」

東京都青梅市根ヶ布、曹洞宗梅華林高峯山天寧寺御本山は永平寺です。
天寧寺の参詣にはJR青梅線東青梅駅で下車し北口を出て青梅街道勝沼踏み切り手前の信号を右折して成木街道に入る。そして、信号三ッ目根ヶ布の標識を右に天寧寺坂通りに入ると約300米右側に見えます。車の方は新青梅街道より青梅市街地方向に入り勝沼踏み切り手前信号を右折し成木街道に入る。そして、信号三つ目根ヶ布の標識を右に天寧寺坂通りに入ると右側にみえます。車の方は駐車場へ。
天寧寺の伽藍配置は曹洞宗禅宗七堂伽藍で東京都史跡天寧寺境域として東京都の文化財に指定されている。参道に入ると六地蔵があります。そして惣門を抜けると静かな参道やがて江戸時代に出来た大きな山門が迎えてくれます。山門の左右には二天像の多聞天と増長天の大きな像あります。山門を入ると右側に東司左側には鐘楼そして中雀門を中心に左側には僧堂右側には庫裡から法堂へ。中雀門から正面をみると法堂が見えます。僧堂には当山34世天庵宏道和尚をモデルとした僧形文殊菩薩像が安置されております。鐘楼の鐘は当地方を治めていた三田弾正忠政定公寄進の大梵鐘で国重要美術品です。法堂の中に入ると正面に釈迦如来坐像右側の座敷の欄間には性海慈船禅師大休悟由書の額があります。禅師さまは明治25年から大正4年までの永平寺64世の方です。法堂の奥には開山堂があります。法堂の裏側には霞ヶ池があります。この池にはかわせみなどの楽園です。この池が水源となって霞川が始まり入間川から荒川へとそして東京湾に。しかし現在の天寧寺があるのも先々代天寧寺34世天庵宏道和尚終生の大事業である天寧寺の昭和大改修へと着工し志なかば昭和35年示寂後継住職天寧寺35世宝雲武彦和尚と寺の責任役員である数野泰祐氏ほか役員檀信徒の努力と都と市の配慮で23年の歳月をかけた昭和の大改修が昭和58年にすべて完成いたしました。天庵宏道大和尚は現在の石川県能登の生まれ神童の噂さ高く6歳の時天寧寺33世住職高井泰山師が永平寺を訪れた時師弟の縁を結び徒歩で一ヶ月半を費して根ヶ布に着いたという。20才で曹洞宗専門学校を卒業以来本山に入り十年間修行の後曹洞宗宗務庁に勤務いろいろな役を勤め上げる二祖国師孤雲懐奘禅師650回大遠忌には東奔西走し永平寺に尽くしのちに大本山永平寺西堂の役職任ぜられました。開山堂にあるお位牌には大本山永平寺西堂天庵宏道大和尚。もう一つある新しいお位牌にも大本山永平寺贈西堂宝雲武彦大和尚。昭和の時代から平成の時代となり天寧寺も天堂昭彦和尚の代になりました。




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