山内新四国八十八箇所霊場

四国八十八箇所霊場の由来
山内新四国八十八箇所霊場の由来
霊場参りのやり方
うどんとの関係
ハナっからうどんのお話
オシメェうどんのお話
アクセス(周辺地図)
平成30年5月6日実施の霊場巡りツアーのお知せはこちらから

山内新四国八十八ヶ所霊場というのをご存知だろうか?
新月ヶ瀬と歌われた梅に名を得し里、東京の西、青梅は吉野梅郷のそのまた西の端、文豪吉川英治が愛し執筆活動を行った柚木(ゆぎ)にある。
その柚木にある真言宗豊山派愛宕山即清寺を入り口とする、四国八十八箇所霊場のご本尊と浄土を戴いた聖地のことである。
同様の場所は全国に数多く存在し、その基本は本場の四国八十八箇所霊場まで足を運ばなくとも、同じご利益が得られるという考え方に基づいている。
昨今のパワースポットブームを受けて、百名山よりも手軽でご利益もある八十八箇所めぐりが密かに注目されている。

四国八十八ヶ所霊場は弘法大師(=真言宗開祖=空海)が42歳の厄年に自身と人々のために四国を一巡して八十八箇所の霊場を定めたと言われています。
八十八ヶ所めぐりは弘法大師の没後、弟子たちが大師を慕って足跡を巡ったものによると言われています。
八十八の数は諸説あり、中には男性の厄年42歳、女性の厄年33歳、子供の厄年13歳を足したものだといわれるものもありますが、定かではないようです。

山内新四国八十八ヶ所は、その入り口にある愛宕山即清寺によると、安政年間に第三十二世融慧和尚が幕末の動乱の中、平穏な世を願って四国遍路を行い、各札所の本尊の写しと浄土を戴き、愛宕山の聖地に四国霊場開創を志されたそうです。
そのお志の真意は、四国遍路を行いたい気持ちはありながらも、貧困や日々の生活のため簡単には行くことができない人々のために身近な場所で同じご利益が得られるようにと信心されてのことだそうです。
しかしその後、病に倒れ思い半ばで入寂されてしまいます。
遺志を引き継いだ第三十四世融雅は野村勘兵衛、岩田傳太郎の両氏を世話人とし、慶応元年から三年間余りの時間をかけて、
檀家を始め諸方の信者から総額千両強(現在のお金で一千万円くらい?)ものお布施を集めるに至りました。この浄財をもって石碑を安置し、山内新四国八十八ヶ所霊場は開創されたそうです。

般若心経を唱えたあとに、ご本尊の真言を唱えます。(ご本尊ご真言一覧のページ)
真言とはインドのサンスクリット語を音写した言葉で仏や菩薩の教えや功徳を秘めた呪文のようなものだそうです。
山内新四国八十八ヶ所霊場の札所の番号とお寺、ご本尊は由来の通り四国八十八ヶ所霊場と一致しています。

山内新四国八十八ヶ所霊場の入り口から文豪吉川英治の記念館の間に、昭和五十六年創業の「さぬきうどん」があります。
現在は二代目となっていますが、今も店を手伝う創業者の大女将のお話によると、店を興されたのはご主人が病に倒れ、まだ学生だった三人の子供たちを養うためにと、選んだのが四国は香川県 讃岐の国伝統のうどんだったそうです。
修行の後に開店し、まさに細腕繁盛記となる訳です。先日山内新四国八十八ヶ所霊場との関係を聞いてみましたが、大女将曰く「全く関係ない・・・ただの偶然」と微笑んでおられました。
が、果たしてどうでしょうか?代々愛宕山即清寺の熱心な檀家であったこの家の窮状に際し、天啓として四国ゆかりのお店が開かれたというのは偶然ではないように思います。
そう思ってそこここに聞いてみると、昔は各家庭に硬い木の麺棒があり、こねて伸ばす手打ちの技術と各家によって異なる出汁や具があり、個性豊かなうどん文化とともに、この地のうどんに関する挿話があると伝え聞くことができました。

「ハナから」と読みます。「ハナから」とは「最初から」という意味で、まずうどん食べてからお参りを行うと、今の幸せがいつまでも続くと言われ、主に今現在大きな問題を抱えてない人が手打ちうどんを食べてから、行うと良いとされています。そばの細く長くに大して、太く短くと形容されることもありますが、うどんは本来太く長いもの、つまり末永く栄華が続くという縁起のよい食べ物です。

「風邪を引くと親がうどんを打ってくれるのが楽しみだった」そうです。
消化の良い食べ物であることも、もちろんあったでしょうが、凶事を追い出す効果として、気持ちを込めて打ったようです。
「オシメェ」とは「おしまい」という意味ですが、この場合「お終い」では縁起が悪いということで「締め」という言う字をあてたということです。
ただ、お参りの帰りにうどんを食べると、今まであった悪いことが締められ(お終いにされ)今後は幸せが訪れると言われ、主に現在の状況を打破したい人がお参りのあとに手打ちうどんを食べると良いとされています。