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日 時/2008年1月25日(金) 19:00~21:10

場 所/国分寺市本多公民館

◎ビデオ「被子植物の受精」・・・・・鷹取 健

 録画していた「植物の誕生 おいしいゆりかご・果実」(NHK教育:10min.ボックス:1998年9月28日)の紹介でした。花粉がめしべに受粉、胚のうに向かって伸びていく花粉管、その中を移動する精細胞、花粉管が胚のうに刺さって受精する。当時東京大学大学院生だった東山哲也さんが、最近歩道の植え込みや公園などで見られるトレニアという植物を使って撮影した映像で、被子植物の映像としては世界で初めて成功したものだそうです。

 トレニアの雄しべや雌しべの形状なども興味深いものがありましたが、生きたまま卵細胞を見ることのできる被子植物だということで、この植物を選んだことが成功につながったようです。

 花粉管の中を移動する精細胞がなぜ2つなのだろうかと思いましたが、受精の場面でそのわけがわかりました。1つは卵細胞と受精して種子の胚となり、もう1つは中央細胞(極核)と受精して胚乳となるということです。これを重複受精というのだそうです。

裸子植物のイチョウの受精は見た記憶があるのですが、被子植物では胚乳までもが受精によってできるとは知りませんでした。重複受精は100年ほど前に発見されたそうですから、中学か高校で学習したはずなのにすっかり忘れていました。重複受精は被子植物に特徴的なもので、鷹取さんは「これは進化史的に位置づけてみたら教材に必須の事実なわけです」と話されていました。重要な事実を貴重な映像として見ることができてよかったです。

見やすくするためか、受精の場面は静止画になっていました。現在見ることのできる番組は動画になっていますが、全体の構成は1998年版がいいそうです。

◎「伊豆大島フィールドワーク報告・その1」・・・・・小川 郁

 昨年の暮れに、首都大学東京の市民講座として行われた大島フィールドワークに参加したということで、写真と地形図を使いながらの報告でした。今回は御神火茶屋から遊歩道を歩いて三原山に登り、東側斜面を少しくだった1986年噴火によるB火口までの報告です。 遊歩道を歩くと1951年噴火の溶岩の上に1986年噴火の溶岩がのっているところでは、前者には木本のオオバヤシャブシ、後者には草本のススキやハチジョウイタドリが生えていたそうです。火口近くのスコリアが広がる場所では草本のシマタヌキランやシマノガリヤスがところどころに生えていたそうです。小川さんは溶岩の標本も持ってきましたが、その中の一つには地衣類が付着したものがありました(写真では確認が難しいですが、一番左の溶岩に地衣類が付着)。こうした地衣類やこけなどが先駆けとなり、そこに草本が根付き、広がるとやがて木本が生えてくるという遷移の様子がわかるように思いました。

 安永噴火(1777年)の溶岩も観察したそうですが、こちらは表面が縄の集まったような模様になっていて、つるつるした感じのパホイホイ溶岩(縄状溶岩)、1986年噴火の溶岩は表面が鉱滓で覆われたようながさがさのアア溶岩(鉱滓状溶岩)だそうです。おもしろい名前ですが、パホイホイとはハワイ語でその岩の表面のような状態の岩をさす言葉で、アアもハワイ語でこの岩の上を裸足で歩いたときの熱さを表す言葉に由来しているそうです。

 どちらも粘性の低い玄武岩室溶岩なのに表面の模様が違うというのはなぜだろうかと思いました。小川さんによれば、安永溶岩は細かい穴が少ない、つまりガスが少なかったということですから、このあたりがその原因なのでしょうか。

 写真の右下の溶岩は、上下逆で、ぽたぽたと垂れ落ちる様子のまま固まったような感じです。写真上中央の溶岩は、サンドイッチのような層状になっています。そういえば以前大島に行ったとき、さまざまな溶岩が御神火茶屋で土産として売っていたようでした。

 おもしろいと思ったのは、B火口の溶岩の方向です。板状の溶岩が上がってきているそうですが、その方向は北北西。富士火山帯につながります。大島の全体図を見ると北北西から南南東を結ぶ線が軸になっています。この軸の方向と一致しているわけです。

 大島は黒い玄武岩室の溶岩ですが、すぐそばの新島と神津島は白い流紋岩質の溶岩というのもおもしろいことです。小川さんはそのあたり「なぜなのか」と質問したそうですが、わかっていないそうです。

 鷹取さんは以前フィールドワークで大島を訪れたときに、正村さんと安山岩の柱状節理を見つけ、1つの火山でも時間的に違う物が現れるのかと話し合ったことを紹介されました。

 阿久津さんは1986年噴火の時に船にまで乗ったものの、行くことはできなかったそうです。遠くから見ると噴火の様子は結構きれいに見えたといいます。これを受けて鷹取さんはNHKプロジェクトXでは全島1万人を避難させた町長を英雄的に描いていたが、はたしてこの避難は必要だったのかと疑問を投げかけました。

 小川さんは、『火山の話』(中村一明:岩波新書・黄-35)を参考文献として推奨していました。 

◎「力の学習(中1)」・・・・・小川 郁

2007年東京教研で報告したレポートを、そこで話し合われ指摘されたことをもとに、実際に授業で使った実験道具で演示しながらの報告でした。

 まずは町田さんから力の矢印について意見が出されました。小川さんは図アのようにかかせています。作用点(●)はAとBの間としているようです。町田さんは、これを言葉では表現できないので、「物体に着目して」と言って図イのようにかかせているそうです。


 図ア            図イ

授業の様子について阿久津さんから質問が出ました。「100gのおもりを下げると20cmのびるバネがある。横にしても滑車を通して100gのおもりを下げれば同じように20cmのびる。このバネの両側に滑車を通して100gずつおもりを下げたらのびはどうなるか」という課題についてのKDくんの考え「20センチというのは片方につけたときだから、両方につけたらバネの真ん中を中心にして両側に5cm5cmになると思う。」の根拠がわからないということでした。


 根拠は小川さんにもわからず、鷹取さんからは、「こういう意見が出るのは課題がわるいからか、教材がわるいからか」と問題提起がありました。小川さんは東京教研で「両方ぶら下げるのが先ではないかという指摘があったけれども、どうだろうか」と、検討してほしいということでした。

 これについて高校の阿久津さんも町田さんも、「『物理100時間』(東京物理サークル)がそうなっているので、あまり考えることなく両側から先にやっている」ということでした。小川さんの「フックの法則はどこでやるのか」という質問に対しては二人とも「この前にやる」ということだったので、ふたたび小川さんが「力の矢印はそれ以前?」と聞くと「そうだ」ということでした。そこで、「ではこのとき、どんな矢印をかくの?」と聞くと、「矢印をかかせて考えさせていないから、よくわからない。“同じ”という子は、“止まっているからつりあっている。だから同じ”という具合」ということでした。



 最後に吉村さんから意見が出されました。「両側におもりをつるしたつり合いの状態だと動いていて不安定なので、片方とめたものの方が考えやすいのではないか」「小川さんの提示した実験装置は、みんなで確認するにはいいが、触る機会がない。糸の張りなどを確かめられない」「“つりあっている”だけでなく、いろいろな位置で両側に引いていることを、どこかでやる必要があるのではないか。右図のようにおもりを糸でつるし、糸をいろんな位置で切断してみる。するとおもりの方は落ちていき、糸の上の部分は跳ね上がることで確かめることができる」ということでした。大変参考になる意見だと思いました。

「バネにつるすおもりを両側からやるか、片側からやるかで生徒の発言内容がだいぶ違ってくるようだ」という阿久津さんの意見もありましたが、町田さんはそのあたりを春にでも検討できるように実践してみたいということでした。教材の配列によって子どもたちの思考がどのように変化するのか、楽しみです。

◎「総合:国分寺崖線を調べる(中1)」・・・・・柳下 貴美子

 終了間際、資料(国分寺崖線を調査するための事前学習プリント)を用意していてくださっていることを知り、急遽短い時間でしたが報告して頂き、意見交換をしました。

 今まで理科でやっていた学習内容だそうですが、他の単元を圧縮しているということで、ここのところ総合的な学習の時間2時間でやるようになったということです。       

 事前学習プリントは2枚です。1枚は国分寺市の現在の地形的な概観と、古生代からの歴史的な概観をつかみ、崖線についてのビデオを見て感想を書くものでした。もう1枚は地形図の等高線を利用して国分寺市の高低を図にして調べる作業と、国分寺、多摩地方の地下の様子を地層の種類ごとに色分けして気づいたことをまとめるものです。

 参加者からは、「3億年以上前から振り返る必要はないのではないか」「青梅を扇の要とした扇状地になっていることや丘陵地のでき方など、武蔵野台地の歴史にふれた方がいいのではないか」「多摩川が流路を変えながら大地を削り、いまの地形ができてきたことが理解できるようにしたい」などの意見が出されましたが、結論としては「2時間の総合的な学習の時間では難しい。理科できちんと教えたい」ということでした。

(記録:堀)