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当寺は、白瀧山常保寺と称する真言宗の寺であったが、その寺を開いた開基及び開創の年月は数度の火災により古事来歴を失い、その縁起等は不詳である。
現在の瀑布山の由来は、文献によると境内地に小瀑布(小さな滝)があるを以てなづけしと伝う。室町時代になり山梨県の塩山、恵林寺より吹峰宗陰禅師がこの寺に赴き現在の臨済宗に転宗となり嘉吉元年(西暦1440年)8月1日に、遷化された。 江戸時代には、中原 章、小林天淵、原 布袋などの青梅文化の基となった文人達が、常保寺に集まったと伝えられる。明治3年に火災にみまわれ、多くの古記録、古文書を焼失した。翌年には、當山14世関宗玄徹和尚により復興されたが、老朽化が進み昭和55年10月に當山18世和尚により本堂・客殿を建て替え、平成20年4月20日、現住職第19世晋山式を厳修し現在に至る。
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