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落肥溜即悟



ひとはこころを生きているのか
こころがひとなのか
それともこころは
あたまの動きの一面なのか


考えて歩いているうちに
肥溜めにおちたことがあった

べつに頓悟もしなかったけどね

けど
悟りをひらいた聖者たちは
たいてい
肥溜めには落ちなかっただろ?

順序が逆でなくってよかった
と思ったよ
悟ってから肥溜めに落ちたんじゃ
ちょっとかっこわるいもん

肥溜めのなかから空を見上げながらね
やったなあ
やっちゃったなあ
ほんと
つくづく思う
にんげんとして
なんというか
こう
最悪な体験のひとつであるね
それを
やっちゃった
やっちゃったもんね

ふしぎな元気が出てきたりして
どこかで啼いていた
ひばりの声も
けっこうこころ静かに
聞けちゃったりして


ひとはこころを生きているのか
こころがひとなのか
それともこころは
あたまの動きの一面なのか


そういうのは

どうでもいいやな
這い出て
からだじゅうの
このべっとりぐっちょり
どうすっかね
これ?

やるべきことが
いろいろ出てきて
よけいなことは
思わなくなる
べっとりぐっちょりという
実相というか
真実存在というか
あれはつよいぞ
てごわいぞ
からだを洗い流しながら
思ったね
人生の真理はここに極まっておるな、と
ぼんやりしていて
べっとりぐっちょりに陥ることは
おうおうにして
あり
そうなったら
四の五のいわずに
洗うしかない
ここに
すべての真理は存するのであるな、と

それ以来
ひとりひそかに
肥溜め和尚
と自称しているのでござる
出家とか
修行とか
イラナイイラナイ

落肥溜即悟

ちゃんと
額に入れて飾ってもある





「ぽ」246 2008年3月

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