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大きなホテル跡のロビーで



大きなホテル跡を譲り受けたが
ほとんどは壊れている
頑丈に造られた一階のロビーだけ
しっかり残っている

だれも来ない
だれも知らない

ぼくだって
よく来るわけではない

どうしてだっただろう
きょう来たのは

よくわからない

夕暮れの明るさも
もう衰え
いつのまにか
きょうの終わり
夜が染み上がってきている

ロビーの端のステレオは
壊れていない
掛ければ
ロビーのむこうまで
柔らかく響く音

さっきまで
リニー・ロスネスの弾く
グッドバイが
響いていた

つぎは
デューク・ピアソンの
アイム・ア・フール・トゥ・ウォント・ユーか
フィニアス・ニューボーンJrの
フォー・オール・ウィ・ノウあたり?
ちょっと
ズィーズ・フーリッシュ・スィングスも
聞きたくなっている
ジェーン・バーキンが
ジミー・ロールズとデュエットしたのもいいけれど
エディ・ヒギンズが
シンプルに弾いているものなんかも
いい

ステレオのところまで行って
曲を選んで
▼を押してくる

そうして
ロビーの端まで戻って
壊れた窓から
夜の
海の黒を見ながら
聴く

かつてのエントランスから出て
かつての庭に
足をさまよわせながら
聴く

どの曲も
そう長くは続かず
終わる

恋のように
再生の望みのように
全への
やさしさへの
歩み直しのように

終わった後は
しばらくそのまま

つぎの曲を
すぐに掛けに行ったりはしない
終わったものの余韻を
そのまま心として

そうして
だれもいないロビーに
響いていた曲を
なんどか思い出す

思い出してみている

生のように

生の
ただなかに
あって





「ぽ」285 2008年5月

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