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ゲッティンゲン
    (バルバラ「ゲッティンゲン」のカヴァー・ヴァージョン)




     バルバラが一九六八年に作ったこの歌は、ナチスを生んだドイツに対する戦後フランスからの友情という意味合いを持つものかもしれない。あたかも五月革命の年でもある。少女時代、バルバラはゲッティンゲンにいたことがあるのか。謎の多い彼女の生涯をそこまで辿ったことがないのでわからないが、戦争末期、古い大学と多くの傷病兵を抱えていたゲッティンゲンの被害は比較的少なかったはずである。最終連は戦争中の空襲を思わせ、ゲッティンゲンにもそれはあったのだろうが、むしろ徹底的な破壊が行われたドレスデン大空襲にこそ相応しい連に思える。
 これは翻訳と呼ぶべきものではない。かなり原詩に近いが、自分の日本語としてかたちを取らせるためにずいぶん改変もしてある。訳詩集を出すつもりもないし、とりたてて人に見せる気もないながら、ある詩歌を心でしっかり把握してみたい時によくこのような意訳をする。はじめは翻訳と呼んでいたが、いつからか、カヴァーと呼ぶようになった。ポップス歌手が、他の歌手の歌をそれなりに新風を入れながら歌う時、よく「カヴァーする」と言う。あんな心持ちに近い。詩歌においては、正確な翻訳にこだわれば死に至る。せいぜいが、ぎこちない借り着のピエロか、脱色された瀕死の意味の流れになり果てる。意訳も超えて、訳者の口調やファンタジーが縦横に出るような書き直しがなされるのでなければ、詩歌の訳は意義を持たない。原詩の形式は無視し、意味も解釈の正誤も意に介さない決心をすることで、ようやく原詩のイデアは、べつの言語のうちに身体を醸そうとする。意味も形式も仮の当座の衣に過ぎない、こう知ってはじめて詩の炎は、イデア界より再臨してくる。
 いまバルバラのこの歌をカヴァーする理由、それはガザ虐殺への小さな糾弾と追悼のためである。ユダヤ人バルバラの歌を、ユダヤ人による虐殺の被害者たちへ。
この歌を歌うバルバラ自身の映像へのアドレスを付す。
http://jp.youtube.com/watch?v=rajgW4Y75CQ





セーヌ川じゃなかった
ヴァンセンヌの森でもなかった
でも綺麗だったわ
ずいぶん
ゲッティンゲン
忘れられない

すてきな河岸もないし
はやり歌だってない
嘆きぶしも
引きずるような
歌いかたもなかったけれど
愛は花開いていた
ゲッティンゲン

フランス王たちの歴史
だれも腹立てたりはせずに
フランス人よりも知ってた
ヘルマン
ピーターにヘルガ
ハンスらの
ゲッティンゲン

フランスの昔ばなし
むかしむかし…
とはじまる
好まれ
よく語られていた
ゲッティンゲン

わたしたちには
もちろん
セーヌ川や
ヴァンセンヌの森
でも神さま 美しかったわ
ゲッティンゲンの
薔薇たち

わたしたちには
フランスの青白い朝
ヴェルレーヌの
灰色のこころ
かれらには
ほんものの憂愁
ゲッティンゲン
ゲッティンゲン

どう言っていいか
わからないとき
ただ微笑んで
立っていたかれら
でもよく理解できた
ゲッティンゲンの
金髪の子たち

驚く人もいるでしょうね
こんなふうに言えば
大目に見てくれる人も
きっといると思う
だって
子どもは子ども
パリだって
ゲッティンゲンだって

おゝ 二度と来させないでください
血と憎しみの時代
だって
いたのですもの
わたしの
愛する人たち
ゲッティンゲン
ゲッティンゲン

空襲警報がふたたび
鳴るだろうとき
武器がまた手にされるとき
泣きくずれる
こころ
ゲッティンゲン
ゲッティンゲン





「ぽ」335 2009年1月

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