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詩とは言の寺、言葉の寺といわれる。言の寺とはなにか。




                    いま、ぼくが戦うときがきた。
                    ぼくたちの大陸の片隅にある搾取や貧困をなくすために。
                    きみが生きていく世界をもっとよくしたい。
                    そんな熱意に駆られて。
                           チェ・ゲバラ「六ヶ月になった娘への詩」






           1

ぼくが書いたものの中には、ブッシュの戦争に触れたものがあった。
それを後になって読んだ若い女が、ぼくに言った。
 「詩人とか作家とか芸術家って、
  どうして外国の戦争について書いたりするんですかね?」
そんなものについて書くって、おかしいっていう意味?と聞くと、
そうだ、と言う。
なんの関係もないのに、と言う。
いちばん手ごわい敵はこんなところにこそいる、とぼくは思い、
即座にその女を心の中で捨てた。
二度と会っていないし、連絡さえしない。
ぼくは人間関係は大事にするが、敵とわかれば一瞬で切る。
現代社会の敵は、たいてい軽機関銃をむけてやってきたりはしない。
同じ都市にいて、同じものを食べていたりする。
同じヘアースタイルをしていたり、同じ映画に並んだりしている。

愛知の詩人平野晴子さんなら、どうするだろう。
海外の戦争の写真やニュースに素直に動転し、なんとかしたいと思い、
しかし、自分の普通の生活を続けながらでは、
たいしたことはできないと、情けなく、煮え切らなく思いながら、
彼岸の戦争と此岸の平穏とを同時に描き続けている。
鍵っ子のさびしさやママの放浪に疵つきながら、
夏休みがつまらないと持て余している姪に
 「家を追われ
  毛布にくるまっている幼い姉妹
  母を呼んでいたのだろうか
  脅えた眼にぽっかりあいたままの口」
こんな空爆後のイラクの写真を見せて
 「こんな目にあっている子もいるのよ」
と言ってみる。
どうするでもない。
どうなるでもない。
 「お子様ランチや花火でも埋まらない」姪の夏のこころと
同じ年頃のイラクの三姉妹の姿。
どちらの子たちも、どうしてやることもできない。
それでも、気にかけないではいられない。
けれども、平野晴子さんの、そんなこころと体のあり場所でこそ、
イラクの子たちの映像と鍵っ子の姪のこころが出会う。

 「こんな目にあっている子もいるのよ」
  風がめくった一枚の写真を
  見せてしまったのは
  とっさの行為だったが
  わたしの膝に手をかけて
 「それからこの子はどうしたの?」
  しつこく問われ
 「叔母ちゃんも知らないのよ」と
  ちいさなお尻を膝に抱く

  三姉妹が身をよせてくるまっている
  毛布の鮮やかなチェックは
  身体にしっかり巻き付いていたが
  わずかに流れている端をひきよせ
  姪の足にかけてやると
  四姉妹のようだった

それからこの子はどうしたの?とは、強い問い。
叔母ちゃんも知らないのよ、とは、裸形の答え。
写真の中の毛布を想像力で引っぱって
姪の足にかけてやる
これもまた、強度の想像力。
詩というものはここにこそあり、
ここにしか近未来の詩はないだろうと確信する者にだけ、
この詩は詩である
という孤絶。
いつのまにか詩は
無意味なことば遊びでもスノッブな知の見せびらかしでもなくなり
偏狭なオタクっぷりでもなくなって
世界情勢や政治を避けようもないものになっているのに
まだ時代遅れにゲンダイシしている世代がウザイけれども
 「どうして外国の戦争について書いたりするんですかね?」
とのたまう女ほどには敵ではない。



           2

(詩ふうの書きものを載せる「ぽ」というペーパーを七年つくってきて
(ぼくは自分の詩ふうの書きものが
(社会や世界への批判からしか発想されていないのがよくわかった。
(十七年前にゲンダイシへの批判と逸脱から詩ふうのものを書き出したみたいに
(ぼくの原動力はいつも反抗と批判ばかり。
(こういうのは詩ではないと言いたい自称シジンがいっぱいいて
(自称シジンたちが集まってシダンだとか言っている。
(自分の書くものが掛け値なしの詩と呼ばれたからといって
(シュニカワタニタロウでないシジンがいったい
(どれくらいの年収を得られるだろうかといろいろなケースで計算してみたが
(あまりに採算のとれないシゴトだとわかったので
(シジンの肩書きはどうでもいいやろ、とぼくはとうのむかしに捨ててある。
(シュニカワタニタロウ氏は軽井沢に別荘も持っているし
(家も最新式に建て直したそうだし
(テレビCMの唄もばんばんつくっていて
(あの儲け方はハンパじゃないけれども
(あのようになれないのにシジンだと自称するのもウラさびしいばかり。
(勝ち目のない戦いははじめからしないという
(近代的軍事思想の方式をぼくは採用して生きているので
(シジンの肩書き争いには参加しない。
(シジンwannabeのみなさん、せいぜい、頑張ってね。
(思潮社現代詩文庫に入ればアガリだという見方はどうだか。
(まったく版の重ねられていないシジンが生きのびていけるとは思わない。
(自費出版であの叢書に入れてもらった人もいるそうだし。
(どうだか。
(どうだか。
(戦後の昭和平成のシジンは
(けっきょくシュニカワタニタロウ氏だけでじゅうぶん
(ということになりそうな予感。
(明治はじめの島崎藤村、
(大正頃の北原白秋、
(すぐその後の朔太郎、
(それから中也と宮沢賢治、
(求道の臭さの光太郎、
(ちょっとステキな立原道造、
(そして戦後のタニタロウ氏、
(これで大衆は満足で
(その他もろもろは図書館資料
(ということになりそうな予感。
(いくら本が出ても広まらず
(敷衍されず
(周知されず
(ということになりそうな予感。

話が逸れたな。
話は逸れたのか、ほんとうに。
いや。
世界情勢と社会問題を扱わない詩はもう時代遅れだとぼくは言いたいのだ。



           3


知り合いの藤本さんがチェ・ゲバラ好きなので
ぼくもよくゲバラのことを思う。
ジャコバン派の絶対革命思想を報じるぼくにはゲバラの思想は甘いと思うし、
スターリンと毛沢東への見解修正が遅すぎたとも思うが
あの時代にあっては限界もあったというべきだろう。
それに、
昨今のゲバラのファッション化(=商品化)を
ゲバラ当人にとっての最大の皮肉とも思う。
第2回アジア・アフリカ会議でのゲバラの演説の中には
価値法則によってもたらされる不平等な国際通商関係によって
低開発国が支払わせられる不利益についての告発があった。
「低開発国の人びとの際限ない汗と労働で産出される原材料。それを
世界市場価格で販売して得られるわずかの金。それをもって、
オートメーション化された大工場で作られる機械を購入する。
これがなぜ『互恵』と言えるのか。この種の関係が
社会主義先進国と低開発国という二つの国家陣営のあいだに作られるなら、
ある意味、社会主義諸国は帝国主義的搾取の共犯者と結論せざるをえない」。
ゲバラが問題にしているのは差額利益そのものだ。
利鞘、マージン、売買差額金、人類からのその撤廃を要求している。
彼はまさに資本主義の原理に切り込んでいる。
しかしファッション化されたゲバラ・グッズは廉く作られ廉く仕入れられて
高く売りつけられる。
だれがマージンを取っているのか。
だれがマージンを取っているのか。
マージンを取っている者こそがゲバラにとっての敵ではないか。
マージンを取っている者こそが彼らの敵バティスタ政権だったではないか。

(われわれはひとりも盲目ではない。
(われわれはよく見えすぎる目を持っている。
(見えすぎるので見えないふりをする。
(憂世ではそういうふりも必要だからだ。
(ポール・ボウルズのように「心の奥底ではすべてを丸ごと拒絶しながら
(うわべは受け入れるふりをするという戦略」を
(生まれながらに採る種族、それがわれわれだからだ。

演説の中でゲバラは、明快といえばあまりに明快に、彼の社会主義を定義する。
「われわれにとって社会主義の定義とは、
人間による人間の搾取の廃絶に他ならない」。
二〇〇六年現在の時点でぼくが思うのは
社会主義という表現をやめて
非搾取主義や搾取撤廃主義とでもすべきだろうということ。
社会主義という言葉も汚れすぎてしまったよ、ゲバラさん。
革命という言葉も汚れすぎてしまったのだよ、ゲバラさん。
だが搾取撤廃という点で人類の進化が正確に測られるのはいつの世も同じ。
世界史のすべての大変革を起こした人々の意識には
例外なく搾取撤廃への意志があった。

ファッション化され
商品化されたゲバラを嫌うのは
正しい人間である証拠。
ゲバラ・グッズを売る店や商人を不快に思うのも
正しい人間である証拠。
ゲバラ・グッズ不買こそがあらゆるバティスタ政権的なものに対する戦い。
真のゲバラはゲバラを笑う。
いつの世も同じこと。
マルクスが『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』で言うように
「ヘーゲルがどこかに書いていたが、
歴史上の大事件や大人物たちというのは、いわば二度、不意打ちを食らわせる。
最初は偉大な劇として、次はみじめな笑劇として」。
実在したチェ・ゲバラと商品化されたゲバラ。
真のゲバラはゲバラを笑う。
フーコーがゲバラワッペンを付けていたと聞いたことはない。
ドゥルーズもゲバラTシャツを着ていなかったようだし。
ネグリがゲバラのように葉巻をふかしているのかどうか。



           4

ゲバラ・グッズは
笑劇であり悪であり醜さでありバティスタ政権的でもあるけれども
搾取撤廃への夢という一点で
真のゲバラはぼくの魂の兄貴であり続ける。
ゲバラ・グッズのことではない。
大量の政治論、経済論、政策論を書き残した真のゲバラのことだ。
フランス文学好きの母親の影響下に
喘息病みの少年時代にヴォルテールを
シャトーブリアンを
ボードレールを
ランボーを
アポリネールを耽読したゲバラ。
そうして一九五六年、
あの木造の古いヨット
伝説的なグランマ号に八十二人で乗り込んでキューバ沿岸へと向かう
直前、
生まれたばかりの娘にこんな詩を書き送ったゲバラだ。

 「ぼくはアメリカ大陸をかけまわった。
  革命を見つけようとして、マヤも、グアテマラもね。
  そんな道の途上でひとりの仲間に出会った。
  彼女はぼくを導いてくれた。
  そうして、ヤンキーたちからこのちっぽけな国を守ろうとして、
  ぼくらはいっしょに生きてきたのさ。
  いま、ぼくが戦うときがきた。
  今度はべつの小さな国で。
  ぼくたちの大陸の片隅にある搾取や貧困をなくすために。
  きみが生きていく世界をもっとよくしたい。
  そんな熱意に駆られて」

詩とはなにか、と問う必要は
もうぼくにはない。
 「ぼくたちの大陸の片隅にある搾取や貧困をなくすために。
  きみが生きていく世界をもっとよくしたい。
  そんな熱意に駆られて」
たとえ明示されてはいなくても
こんな響きが底に耐えない言語配列をそう呼ぼうと定まったので。
こんな響き。
響き。
永遠への思いを伝えて
鳴り続ける寺々の鐘のように。

詩とは言の寺、言葉の寺といわれる。

言の寺とはなにか。

言の寺とはなにか。





〔註〕

1章

▼「ブッシュの戦争に触れたもの」
    裏原宿THCのホームページに英訳とともに掲載されている『ふりあげたこぶしを静かに下げるちから―アメリカ合衆国第四十三代大統領ジョージ・W・ブッシュに捧げる』(二〇〇三年三月二〇日)や、「ぽ」一〇三号(二〇〇六年四月号)所収『2003年3月1日、雨の夜に』を指す。
▼「愛知の詩人平野晴子さん」
    一九四二年山形県生まれ。現在、愛知県在住。詩集『愛情乞食』『雪の地図』『質問』など。「蕊」同人。「中日詩人会」会員。川口晴美氏、山田隆昭氏とともに雑誌『詩学』の新人賞選考委員だった駿河昌樹は、二〇〇五年二月号で、平野晴子氏を「詩学新人」のひとりに選んだ。ここに引用した作品『姪』は、詩集『質問』(詩学社、二〇〇六年刊)によった。

2章

▼「詩ふうの書きものを載せる「ぽ」というペーパー」
    一九九〇年から発行されていた同人誌『ヌーヴォー・フリッソン』(後に個人誌に移行)の後を受けて、駿河昌樹が二〇〇〇年一月一八日に発行開始した詩葉。七年間にわたって継続中であり、現在、一五一号を数える。冊子形式を採らず、ビラ方式を採り入れることで、経済的余裕と時間のないマイナーな書き手に適した発行形態を追求しようとの意図があった。

3章

▼「藤本さん」
    藤本真樹氏。アートディレクター。デザイナー。写真家。ダスティーヘブン社長。神宮前「ラ・ボワット・ノワール」のバー「Howl」やカフェ「Le sang des poetes」等のオーナー。裏原宿THC(株式会社ワールドのコンセプトストア)仕掛け人。
▼「第2回アジア・アフリカ会議でのゲバラの演説」
    一九六五年二月二十四日に行われた、キューバ政府工業相としての最後の演説。
▼「マージンを取っているのが彼らの敵バティスタ政権だったではないか」
    一九四〇年に大統領に選出された時のバティスタは、「国民の息子」と呼ばれ高い評価を受けた。四年の任期を終えてマイアミへ移住したが、一九五二年、再び政権を奪取し、独裁制を採る。マフィアと深い関係を保ち、ハバナを富裕層相手の歓楽地に作り変えた。
▼「ポール・ボウルズのように『心の奥底ではすべてを丸ごと拒絶しながら、うわべは受け入れるふりをするという戦略』」
 ポール・ボウルズは、一九一〇年ニューヨーク生まれの作家。『シェルタリング・スカイ』、『雨は降るがままにせよ』、『蜘蛛の家』、『世界の真上で』など。モロッコのタンジールに居を移しながらも、精神の帰属先を、西洋文明社会にも非西洋文明社会にも求め損なった徹底したホームレス性を特徴とする。引用した「心の奥底ではすべてを丸ごと拒絶しながら、うわべは受け入れるふりをするという戦略」は、ロベール・ブリアット『ポール・ボウルズ伝』(谷正親訳、白水社、一九九四)による。
▼「フーコー」、「ドゥルーズ」、「ネグリ」
    いうまでもない著名な思想家たちだが、ゲバラ以降の「革命」が思想の世界やフィクションの世界に移り、そこでのみ生き延びることになった状況を如実に示す思想家たちかもしれない(マイケル・ハートとともに『帝国』を執筆したアントニオ・ネグリは、まだ世間一般では周知が足りないとも言える)。ルソーがアメリカ革命とフランス革命に及ぼした前例を忘れなければ、やがて、これらの思想家たちの影響が十分に浸透するに相まって、人類は激越な未曾有の搾取廃絶革命に入るはずである。





「ぽ」151 2006年9月

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