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                  駿河 昌樹 詩葉 二〇〇六年三月

                    先行・平行する自身の詩文一切を否定し、不断の推敲凝縮によって
              幾許かの結晶に到らんとするために。したがって此処では、同じ詩作品が無限回
              改変されて発表され続ける。




詩葉『瀞』創刊の辞




 他人事だった詩の波が、寄せては返し、また寄せては返しして、いつの間にか意識の足裏をすっかり濡らしていた……
 その波を受けとめるようになったのは、一九九〇年からのことに過ぎないが、散文の同人誌として始まった『ヌーヴォー・フリッソン』という雑誌が、いつか私の個人誌となって一〇三号を迎えた頃には、奇妙にも私は、詩歌の中にこそあった。
 二〇〇〇年一月に詩葉『ぽ』を開始したのも、むしろ、詩歌と自分との関わりへの疑いからだった。気まぐれや酔狂から詩歌が脳に燈っているのならば、ある程度の量を書いてみれば必ず燃え尽きる。詩葉とは銘打ったものの、『ぽ』は、内なる偽詩を殲滅しようとして設けた場だった。
 そういう『ぽ』も、六年間ですでに九十二号に達した。選択推敲したものを発表したに過ぎないのだから、蓄えてあるものも含めれば、実際に書いてきたのは数倍の量になる。
 自分と詩歌の関わりについては、それでも、いまだに疑いは晴れない。私は偽物なのではないか、一見、詩的とも見える浅薄な才気に、なにより私自身が謀られているのではないか、との危惧は、さらに強い。多年にわたり、多量の詩歌ふうのものを書き散らしたからといって、それらが詩に達しているとは限らないし、詩人と見なされるべき証にもならない。他人の新しい詩集を手に取るたび、殆どが、未成熟の拙速の結晶で埋められているのに驚かされるが、そうした時に自分を振り返ってみて呆然とさせられるのは、私においても、一冊に纏めうるほどの数の、詩と呼びうる詩が、いまだ殆ど存在していない、という事実である。
 ここに開始しようとする『瀞』は、こうした私にとって、初めての積極的な詩作の試みの場である。私は、ようやく、詩に真向かってみようとする、と言う。詩というものは私には不明のままなのだが、少なくとも、何度となく推敲され続け、凝縮の努力の果てに少しずつ形を取り始めてくる類の、せいぜい三十行程度の短い言語表現をしか、もう、詩と呼ぼうとは思わなくなっている。方針だけは定まっているのである。
 現在の詩歌の風土の中で、たとえ独りであっても、私は長さを脱ぎ、即興性と推敲欠如を遠ざけ、単語間の連結の単純さを忌避したい。言葉が、言葉を超えた階層を開示しうる十分な回路を形成するに到るまで、意味とイメージの密な配線に心血を注ぎ続けたいと思う。
 六年来の詩葉『ぽ』は、此処に始まる『瀞』によって全否定されるべき詩活動として、平行して継続される。詩歌に関わる者は、多様な作風を平行維持し、つねに最大限の内的矛盾を抱えつつ、多量に書き続けなければならないためだ。
 なお、『瀞』は駿河樹懶の名で制作される。駿河昌樹と同一人体であり、相互に緊密な精神的連携があるが、同一人物であるかどうかは、わからない。ちなみに、樹懶とは、ナマケモノと呼ばれる動物の漢字表現で、ジュライと読む。







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