[ NEXT ][ BACK ][ HOME ][ INDEX ]




戦後詩とか



 戦後詩といわれている詩は、結局第二次世界大戦の後二十年ぐらいに書かれた詩ととらえればいいのだろうか。という疑問のような、そうでもないようなことを書いても詮ないことであるが、ここのところ戦後詩という概念に疑問をもつことがあった。
 ぼくは確かに、鮎川信夫や吉本隆明や石原吉郎の詩は、文壇でいう第一次戦後派の業績と一緒にしてもとび抜けたものをもっていると思う。武田泰淳や堀田善衛や椎名麟三や野間宏の戦後すぐ書かれた小説をまとめて読んだことがあったが、それぞれその後たくさん書いているので、ほんとうは六〇年代から七〇年代に書かれた小説に本領を発揮しているところがあるはずなのだが、島尾敏雄なども自分の読書の楽しみにぴたりと入ってきてしまい、こちらの不安な感性とぎしぎしと接触するという具合ではなかったように思う。そこへいくと、特に吉本隆明の本などは、リアルタイムで付き合っていく気分になる。鮎川も石原もとうに亡くなってしまっているが。
 小説のほうでは、なにか鎌倉文士とか、純文学隆盛のころの、雰囲気を楽しめたことはあるが、詩では「櫂」の詩人、六〇年代詩人とみていっても、どうも雰囲気を楽しめない。なぜなんだろうか。
 個人的には吉岡実の『サフラン摘み』が出たときに、吉岡は戦争に行ってるし、そこのところからどうしてこういう言葉が出るのかなと思い、いまでも疑問なのだが西脇順三郎を師と仰いでいたことも、戦争に行ったらそうならないはずなんだけど、と思ったりもした。とにかく、『サフラン摘み』は出た当時すごいと思い、次に「どうも“すごい”と思う」ところに空気穴(風船の)みたいのを感じて、自分からスタスタ逃げ出したような気がする。かといって、吉岡の散文集『死児という絵』の趣味・美学のようなものが嫌いだったわけではなく、自分からはそういう美学にいけないな、というところは、それは逆に切実にあったが、今思えば西脇のほうへ空気穴から、空気が漏れている感じがしたのだ。
 とはいうものの岩波文庫で西脇順三郎詩集を読んでみると、その感じは嫌なものではない。でも、ここから詩の歴史としてはずいぶん嫌な小規模のものが発展しちゃったよ、という感慨もある。鮎川は西脇だけは「先生」と呼ぶにふさわしいなんて言っているが、これは雰囲気のことで、英文学の「先生」という意味なのだと思う。でも一回岩波文庫版で読書感想会をやってみたい気もする(なんじゃ、そりゃ。小熊秀雄詩集も――理由はどうも自分だけでは通読する気合が入らないので)。
 突然、金子光晴のことを書いてこの小文を閉じるが(これから続けて書くかもしれないが)、金子といえば『女たちのエレジー』の「洗面器」という詩がすぐ思いだされる。



  洗面器のなかの
 さびしい音よ。

 くれていく岬(タンジョン)の
 雨の碇泊(とまり)。

 ゆれて、
 傾いて、
 疲れたこころに
 いつまでもはなれぬひびきよ。

 人の生のつづくかぎり
 耳よ。おぬしは聴くべし。

 洗面器のなかの
 音のさびしさを。



 この詩は洗面器にまたがって広東の売春婦が、おしっこをする、その寂しさを詩にしたと前書きふうに金子はこの冒頭に書いているのだが、金子の場合はこういう船旅の漂泊にとても興味を引かれる。
『老薔薇園』の散文詩を読んで、端正な美学にびっくりして、その後、船旅漂泊の詩を読んだり晩年の『風流尸解記(しかいき)』のような、よくできるなあ、という老人の少女愛みたいな世界にわたって、何かがキレていて、通奏低音としてそのキレている響きが鳴っているのである。それが何かはともかくとして、日本では西脇のような感じのタイプで、いい詩人はいないなあという印象を証明するように金子のような詩人がいる。
 宮沢賢治や萩原朔太郎、立原道造などはキレてる印象は全然ないから、また突然だが、テレビや映画の影響も酷いのかな(よくも悪くも)と思ったりもする。
 着流しで埃の舞う道を闊歩しようにもいまは、埃の舞う道などないしそんな詩人はいない。なにか変な人がいない。細かく変かもしれないが、きっと本格的に変な人は引きこもっているんだろう。
 とにもかくにも最近思うに、(以下次回)



[ NEXT ][ BACK ][ HOME ][ INDEX ]