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マルチメディアとインターネット雑誌



 「灰皿町ラジオ」「灰皿町テレビ」というマルチメディアのコンテンツを自宅
サーバにのせようとして、軌道に乗りかけている。
 すでにritaの前号から数号、音声と映像をのせてみた。これらとととも紙の雑
誌のような通常のテキストを含めて、バラエティ豊かな内容を展開できる素地が
いよいよできつつあるといっていいだろう。しかし、これは整然に、とはいかな
い。ぐっちゃぐちゃに進んでいくのだ。
 もっとプライベートな部分でパソコンのハードユーザはSkypeなどのテレビ電
話を使ったり、国際的なビジネスでもたぶん連絡にかなり使われている。プライ
ベートな部分ではもちろん通常の手紙や電話などのように、閉じた空間でなけれ
ばいけないが、この閉じた空間とWebコンテンツのような公開された空間との相
互的な刺激が新しいアイデアを生み出しつつあるようにも思う。
 Webコンテンツ全体がテキストでは、紙の雑誌のような空間になってblogや普
通のホームページの文書が紙でいう雑誌空間のようになっていき、マルチリンガ
ルでもいけるとなると好奇心は累乗化という感じになってくる。加速度的という
ことだ。これに携帯端末も加わりつつある。
 ということでいえば、すでに「インターネット雑誌」という概念は矛盾を含
む。たとえば、公開予定のメーリングリストは閉じた雑誌空間とはいえない。
ボーダーは全部曖昧、といっていいだろう。
 ただし、なにか気持ちを温める意味が「雑誌」といういい方にはある。「白
樺」という昔の同人誌があるが、あれは現在でいえば巷(市場)に通じる切磋琢
磨する温かいような空間であったような気がする。現在では、そういうボーダー
があいまいなので、かえって雑誌には無理があって輪郭がぼやけてしまう。現
在、ボーダーがあいまいなのもわからないような人の集まりなのか、たぶんおも
しろくない、ということになってしまう。
 Webコンテンツは、最初から巷への直接性をもっているのだ。
 気持ちを温める意味での「インターネット雑誌」の形態は、ばしゃっと平面に
水を流してみる、というような感じの意義は持っている。これは温かい空間では
なくて、気持ちを温める空間であることをわかっている、という意味である。
 気持ちを温めるのが大事なのは、生活空間が大事であるのとつながっている。
ばしゃっと流れていき(テキストは半永久的に残るところがいいところだが)、
それはそれで、Webコンテンツを何かで「微力ながら」かき混ぜていくといえそ
うに思う。
 カウンターカルチャーという言葉にある「電位差」の概念はすでにめちゃく
ちゃに壊れているだろう。逆にどの地点でガス抜きをするか、ということへの
「模索・迷い」は詩作にもつながると思うが、考えてみると、Webはカウンター
するものが世界に無数に見えるバラエティのある豊かな空間なのだ。



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