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第7回  できん者はできんままで結構

 いま子どもが使っている教科書の元をつくったのが政府の教育課程審議会。当時その会長をやっていた三浦朱門氏は、こう話しています。

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 「学力低下は予測しうる不安というか、覚悟しながら教課審をやっていました。いや、逆に平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。つまり、できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張って行きます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養ってもらえばいいんです。・・・・・・ アメリカやヨーロッパの点数は低いけれど、すごいリーダーも出ている。日本もそういう先進国型になっていかなければなりません。それが “ゆとり教育”の本当の目的。エリート教育とはいいにくい時代だから、回りくどくいっただけの話だ。」

『機会不平等』斉藤貴男著 文芸春秋40n・41n

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 三浦氏は斎藤氏のインタビューの最後に、「だから教えない。“劣っている”と判断された子供は、積極的に無知に“育てる”。このような考え方が、すでに“コンセンサス”になっている」(同・43n)とまで言い放っているのです。

 大切なことが二つ。今日、大問題になっている「学力低下」や「学力格差の拡大」は意図と計画のもとにそう仕向けられてきたのだということ。もう一つは、こうした考えが日本の中心にいる人たちの“コンセンサス”になっていること。


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