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ゆめのかよひ路 ――私の小倉百首から



  寛平御時きさいの宮の哥合のうた
住の江の岸による波よるさへや夢のかよひ路人めよくらむ  藤原敏行


 このまままっすぐ行くと海に出るという。旧街道らしい道
に立ち、あたりを見まわす。この土地に引っ越してきてから
何年かたつけれど、付近をゆっくり歩くのは初めてだ。集合
住宅のある丘の上から長い階段を下り、崖ぞいの寺院の裏手
から別の丘の神社の正面にまわる。近くの河の水系にそって、
これと同じ名前を持つ小祠が無数に、レントゲン写真に映っ
た血管周縁のリンパ節のように散らばっているという。どこ
から見ても何の変哲もない、どこにでもあるような社に過ぎ
ないのだが。土地を統べる神に挨拶するでもなく、隣接する
女子高校の校門の横を左折して大きな踏切を渡り、商店街に
入る。コンビニエンスストアの前の灰皿が置かれた場所にし
ゃがみこみ、うつろな眼をしてたばこの吸口と缶チューハイ
を交互に舐めている初老の男は家の近くでも見る顔だ。コン
ビニエンスストアの扉から出てきて、寒風の中、立ったまま
包装パラフィンを剥き大きな海苔の太巻きにかじりついてい
る若い男の眼の凄まじい暗さ。産業道路に面したとんこつラ
ーメン店のあたりを過ぎる、また別の、長髪の若年ホームレ
スが、森厳な感じのするタブノキ林の奥に消え、裏側に覗く
小学校と公園のあいだから、ふいに夕日にきらめく漁師町が
出現する。狭い玄関口を無限に列べたかの、ほとんど同姓か、
いくつかのカテゴリーで簡単に分類できてしまう家の名をつ
らねた小路がうねうねとどこまでもつづく。汐の匂いもする
ようだが、ちょっと方向感覚が狂ってきたせいか、どこを指
して行けば海なのか、分からなくなっている。家と家の隙間
から青い水の色が顕って見える。びっしりと卒塔婆を密集さ
せた、トーチカを思わせる古刹の脇に水の色のほうに抜ける
路地があって、しぜん足は速くなる。角を曲がったら、だが
そこはまだ河だった。堤防にそってとりあえずは海をめざす。
河幅はすこしずつ広くなってゆくようで、鴎の姿もちらほら
目立ってきたが、依然遥かな先まで河だ。やがて巨大な蛇み
たいに光と流れは向きを変え、霧笛も仄かに聞こえるけれど、
頭上には高速道路の構造が暗く騒がしい日蝕のように迫って
きて、堤防は世界が果てる突端のごとく、ついに尽きるのだ。
「島を置くことは嶋山を置き、天海のはてを見せざるやうに
すべきなり。山のちぎれたる隙より、わづかに海を見すべき
なり」か。この河と堤防ときりぎしにかこまれ、空に凍りつ
いた冬の鏡の向うのどこへ脱けようというのか。四囲を鼠の
歯のような白波に咬まれている小さな庭から、われわれはつ
いに脱出することができない。


*本文中引用の「 」内は『作庭記』より。  



「現代詩図鑑」2009・春号より。



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