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はなぞむかしの ――私の小倉百首から



  はつせにまうづるごとに、やどりける人の家に、ひさしくやどらで、
  程へて後にいたれりければ、かの家のあるじ、かくさだかになんや
  どりはあると、いひいだして侍りければ、そこにたてりける梅の花
  ををりてよめる。
人はいさこころもしらず故郷ははなぞむかしのかに匂ひける   紀貫之


 また夏がやって来た。海べりのこの古いマンションに妻と
二人、暮らしてどれくらいになるのか。あらためて考えると
茫洋とした思いにとらわれる。時は積もるのでなく、再帰す
るものだということが、ますますたしかな感覚となる。青い
空、暴力のような太陽の輝き、それが去年とどう違っている
のか、今年のいま、記録された数字のほかによすがとなるも
のは何もない。こうして同じ時のなかで、私という空蝉だけ
が知らぬ間に燃焼し、熟し、やがて壊するのだ。それまでの
この、青い空、暴力のような太陽の輝き。日が中天を過ぎて
から、いつものようにマンションのある丘を下り、町に出る。
小さな魚市場は朝の糶をすでに終え、水を打ってひっそりと
した影のなかにある。磯臭いにおいは港の南にあるヨットハ
ーバーのほうからやって来るのだ。できるだけ町並みの影に
沿って歩きながら、ときおりタオルで首筋のあたりをぬぐう。
それから小さな食堂のがたぴしいう扉を開けて、食事をする
のは判で押したような毎日の習慣だ。食事といってもラーメ
ン程度のものだが。昼の霧笛が聞こえてくる。外に出ると、
たてものの間から垣間見える沖が、白いやいばのようにきら
めいている。何もかもが眩しい。これが、老年ということな
のか。布製の買い物袋を持ってスーパーマーケットに入る。
夕食の材料を求めるためだ。むかしと違って、夕食に肉や魚
の占める割合が少なくなっている。茄子や隠元やトマトを布
袋に入れ、かついで港町をひと回りする。港の外れには断崖
がひかえていて、その上に長大な枝がうねり絡まるタブノキ
の暗い森がある。そこには小さな神社があって、いま祭礼の
真っ最中である。普段、その場所に土地の人間はあまり近づ
かない。断崖に沿って小径があり、そこを辿るのがいつもの
散歩の順路なので、またタオルで汗を拭きながら小径を行く。
あたりは灌木と夏草が猛烈な精気を放っている。桑の木の群
生があり、その葉陰に、金と緑の鎧を着けたカミキリムシが
長い触角を動かし、いかつい口も盛んに動かして何かを咀嚼
している。桑の木の幹には静かに蟻が這い上がり、付近の小
さな空中を、アシナガバチが羽を唸らせて遊弋している。そ
のとき気づいたのだ。私は絶対の寂滅の視線でこれらを見て
いると。これらの光景は、同時に私の死後の光景であろう。
ふと、明るいものに呼ばれている気がした。明るさは陸の側
でなく、海から到来する感覚だと判った。ふいに、彼方、と
いう栄耀に見舞われている自分を感じ、いまタブノキ林のや
しろで盛る祭礼が放つ光に、それと同じものがあることに気
づいてしまった。死ではない。しかし生でもない光。このな
つかしさを、どう言えばよいのか。



「tab」16号より。



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