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「tabあとがき集」



 家のまわりで、ことしは金木犀が二回満開を迎えた。けっこう短いとは言えぬ年月を生きてきたつもりだが、こんなことは今までの経験にない。金木犀は色も匂いも好きなので、とくに覚えているのだ。そういえば夏の頭から今に至るまで、きれぎれに萩の花が咲きつづけているし、夾竹桃も同様で、妻などはこのあいだ、桜の花が咲いているのを確かに見た、と言う。彼岸桜ではないの、とまぜっかえしたが、彼岸桜が咲くのは春彼岸のころであって秋のそれではない。「パンセ」の中に、夜の地中海の彼方から一つの叫び声がして、それを聴いた舟人がローマ世界という古代が終焉するのを知ったとある。盈虚(えいきょ)ということは常に考えておかなくてはならないものだ。ますます明瞭に世界の潮目が変わりつつある。それがどこに行くにせよ、生きている限りはそこから目を逸らさず、凝視してゆきたいと思う。
No.1 2006/11

 家で仕事をしていて、また、晩酌を伴う晩の食事は私がつくるので、散歩と買い物を兼ね、一日一回は住んでいる町の中をぶらぶらとあるく。すると、総持寺の裏手にあるこの町に、散歩や買い物に出る独り暮らしと思しき老人が非常に多いことに気づく。近くに作業所があるみたいなので、それらしい若者や女たちも見る。そこに通っていないそれらしい別の若者とも一日一遍は必ず出会う。可成りむすめらしく大きくなったダウン症の少女、電動車椅子を達者に操るおじさんや、カレー饂飩にコーラで遅い昼食をとる、ふつうならこんな時間にこんなところに居るはずのない色白で小太りの青年、自転車を猛烈な勢いで疾駆させ町内を定時巡回している、口舌のまったく不自由な筋骨逞しい男……。これらのうちに私も加えられるだろう。一般的な市民が属する「職場社会」の此岸に展がっている光景は、またそれとは異なったマイノリティたちの白昼である。
No.2 2007/01

 随分以前になるが、あるニュース番組の特集で、世界中の陸地をマラソンで巡っていて、この度日本列島を縦断し終えたというひとりのフランス人へのインタビューを放映していた。彼に言わせると、この列島を走っているあいだじゅう、町中であれ郊外であれ、まるで森のなかを行くような感じだったそうで、こんな感覚はこれまで走ってきた他の土地ではけっして覚えなかったということだ。globe上の他の土地の荒廃に比べ、これでもまだまだましということなのか、この水のゆたかな列島の特異さと言うべきなのか、インタビューを聞いて不思議な気持ちになった。そういえば饅頭の塩瀬が、もともとは中世の帰化僧によってはじめられた渡来物の菓子司を起源とし、奈良にあったその店が京都烏丸通に移ったあと、さらに繁華な江戸日本橋に遷って六百年後の現在に至るといった経緯や、法隆寺を造った宮大工の部曲とも言うべき系譜を有する金剛組が、千四百年ののちの現在もまだ現役の大工集団として存在していることなどが思い合わせられる。それは強固な意志や信仰や、揺るぎない伝統意識によって不断に維持されてきたもの、というよりは、この列島の風土では、なんとなく、気がついてみれば六百年が、千四百年が経過してしまった、というのに近い感じなのではないか。この「なんとなく」という、あまねくみちゆきわたるヒトにとっての水のような部分について、思いをひそめてゆきたい。
No.3 2007/03

 あれは今の菊五郎がその名跡を襲ったばかりのころだったろうか、女性アナウンサーの取材を受けていて、突然彼女に、そんなこと言ってあなた、このごろ私をお見限りで冷たいことったらありゃしない、と、ついと肩で肩に触れんばかりの発言と所作をしたのを見て、なるほど、ああいう粋で艶冶な振る舞いが役者の日常でもあるべきようなのだと、感心したことがある。変な連想だが、これとフーテンの寅などが(寅でなくても)述べる口上というのとは、そう遠くはない世界だなと思う。これの間に幇間の客アシライなどというものを置いてみると、なるほどとは感じないだろうか。私が言いたいのは、梨園の特権性というものを、乞食・河原者の地位にまで引きずり下ろしたいのではなく、これら彼らをつらぬいて、芸能というものが如何に深いところまでその錘鉛を下ろしているかということなのだ。仕事で使う地下鉄の有楽町駅地上出口あたりで、しばらく前に、明らかに行きと帰りで同じ顔の、サクラのおばさんをふくむ香具師の一団がスーツ姿で「営業」をしていたが、あの腕時計売りはじつに芸能だと思った。お金を出しても良いから、その口舌や手管をくわしく見物させて欲しかった。彼らがいなくなったと思ったら、「ザ・ビッグイシュー」のおじさんが、雑誌を持った片手を高々と上げて立つようになったが、あれもほんの少し芸能の匂いがする。毎回二百円を渡して雑誌を受け取るほんのひととき、私も小さな芸能儀式に参加しているのである。歌舞伎座の一幕立見席みたいなところで。
No.4 2007/05

 私の住んでいる町は、山の手といえば山の手、少し下ると場末といえばいえなくもない風(ふう)を持つ地区だが、実は南北朝期の古地図にも載っている古い土地柄なのだ。そんななか、その古地図に名を見るIという家は、現在ではリフォーム店をいとなんでいるのだけれど、旧家とて歴史民俗的などこかの調査団が入ったことがあって、話してくれた人によるとそこから「大変古い物」が出てきたそうだ。いずれこれを持ち帰って詳しく調べようということになったに違いないが、その家の今は隠居している「先代の社長」が、青い顔をしてくだんの物を埋め戻させたという。祟りが恐ろしいと。これを聞いてその迷妄を嗤うのでなく、まじめな人ならそうするだろうなと思った。代々深く秘されてきたものの包みを解き、箱を開いた瞬間に逃げてゆく信仰、というより、学者がもっとも欲しがっているはずの生きた生活の真実というものがそこにはあるように思う。人類学者を悩ます、インフォーマント(情報提供者)が伝える神話などが「正確」かどうか、という問題にも通じるものがあるだろう。人を介するというか、心を介することがらは、時計を解体してその仕組みを知るというような具合にはゆかないようだ。
No.5 2007/07

 高野五韻さんが京都から出てこられてきて、横浜でお会いして話をしたことがあった。彼の出京は仕事だったのだが、それは横浜は都筑区の茅ヶ崎(湘南のではない、港北ニュータウンの)にある幼稚園だか保育園だかのランドスケープに関するもののようだった。都筑の茅ヶ崎は、昔調べたことのある杉山神社があるところで、神怪こそないが深い謎に満ちたそんなところに新住人の子どもたちが跳んだり跳ねたりする、しかも「自然」という思想とぬきさしならぬ関係を持つ新しい考えをひめた施設があるということは、私にとってひとつの感慨を抱かせるものであった。
 そんな仕事帰りの五韻さんがぼやいていたことがある。あるプレゼンなり発表なり報告書なりを提出するとき、わかりきったことでも、またちょっとそれは考えにくい、重箱の隅をつつくようなことでも、必ず「証明」とか「数字」「数値」を要求されるということだそうだ。極端な場合、それを証明するために、ぴったりと合う数値をサーチすることだってあると思う。五韻さんがここで言いたかったのは、数字をないがしろにすることではなく、数値偏重の持つ不健全さなのだと私は理解している。
 言い換えれば、逆に数値を積み上げていって世界を再構成できるのかどうかということだ。それができっこないということは、たとえば世界を構成する整数1と整数2のあいだには、どんな「数字」だって入ってしまえること一つとってみてもわかることではないか。
 いいかえれば、世界のあらゆるところに隙間を見いだすこと、一切は空間(=数値)化されうるということ。ゼノンの矢の軌跡みたいに永遠に分割され続ける世界が唯一のものであるという思想……。
 だが、いま世の中を覆っているのはこうした、世界はすべて数値化できるという考えだといえる。問題は数値に現れている現実なのであって、たとえばその疾病の解決には数値にではなく、それを数値として浮き上がらせている現実のほうに手を加えなければならないはずである。数値はあくまで指針であり、研ぎ澄まされるべきは、具体性への感覚(センス)と構想力だと思う。
 現在、世界を制覇して勝利の雄叫びを上げている、英米を中心とした論理実証哲学は、もともとウィトゲンシュタインなどもその始祖のひとりなのだが、よもやこんな退廃と混乱を生み出すとは、ご当人たちは思ってもみなかったに違いない。ウィトゲンシュタインは一種の空のうえで世界を分割し、演算し、舞踏し、結局哲学のすべての問題は言語の問題にすぎないと繰り返し指摘したのだが、現在世界を制覇している思考は、ちょうどその空であるべき領域を、反対に征服し、所有しうる「有」と見なして全世界を分割し、演算し、舞踏するようにして刈り込んでいる。
 石油の次は食糧や水、食糧や水の次はわれわれが息をする空気まで対象にしたバクチを開帳するに違いない。人間は神がいないとこんなにもダメな存在であるとは、われらがウィトゲンシュタイン先生も草葉の陰であきれておられることだろう。
No.6 2007/09

 ことしは萩の花が長かった。いつもは気がつけば咲いていて、忽ちに散りきってしまうのを常とするのに、一つの枝先から別の枝先へ、ある意味で静心もないように、花をつけつづけていた。日本の中世に義堂周信という臨済に属する詩僧がいたが、ことしの萩の開花期の長さというよりは、落花期のとりとめもない長さは、彼のこんな詩を思い起こさせる。

祖庭秋正晩(そていあきまさにくる)。叢社与誰群(そうしやたれとかむれゐん)。毎憶香林遠(つねにおもふかうりんのとほきを)。更憶真浄文(さらにおもふしんじやうのぶん)。宗風懸一髪(しゆうふういつぱつにかかり)。隻臂寄千斤(せきひせんきんをあづかる)。好在東山下(よしとうざんのもと)。花開七葉分(はなひらきてしちえふわかる)。

すなわち、世界にやって来た凋落の秋を知って、ひそかに心構えをするという内容だが、われわれにとっても、いまだ希われたトポスとしての「香林」は遥かに遠く、「真浄の文」はさらに深く思われるのである。
No.7 2007/11

 最近、この生麦という小さな町も、荒んできた気がする。パチンコやスロットの店は前からあったが、店内の音が路上までやけに大きな響きで聞こえてくる。そこへ出入りする人間が増えてきたのだ。コンビニの前では、チューハイの缶を手にしてタバコを吸っている中年や老齢の男の(時に女の)しゃがみこんだ姿が、気がつくと変に眼につくようになってきたし、そこに群れている中学生くらいの少年や少女のガラスを引っ?くみたいな冷たい哄笑は、横浜の下町というより、ホガース描くところのロンドンの下町といった感じである。あるときそこの通りでヤッケを着た若い男とすれ違ったが、百円か二百円くらいの太巻きを寒風のなか歩きながら齧っている、その暗い眼の凄まじさに慄然とした。それがその日のその男の三食を兼ねたものなのだろう。封建時代といわれる時世(ときよ)でさえ、経世済民ということに「支配者」たちは心を砕いてきたものなのに、この開明的なお国の無策無能ぶりは、蛮行と相同じい。
No.8 2008/01

さいきん、CDを売る店の売れ行きがだんだん落ちてきて、経営がそのうちたちゆかなくなるところが増えそうだという話だ。iPod等、ネット配信に因るところが大きいようだ。でも、少し考えたら、二十年くらい前にレコードに対してCDがやってきたことのまた繰り返しという気がしないでもない。そもそもレコードが登場してきたときも、既存のものに対するある種の侵襲はおこなわれたはずで、ただ時を追うにしたがって、どんどん不可逆的に、元に戻れない形になっているということはあるだろう。でも「元に戻れない」のは複製(コピー)の世界でだけ、という限定は存在するのだ。概ね複製されているのは、たとえそれが電子音に近いものであれ、「現実の音」にほかならない。いいかえれば、複製とはライブの複製なのだ。電子音を使用したものであっても、このライブと複製とはあくまで異なる象限にあるということは忘れられてはならない。たとえば現実の楽器の音に混ぜて、サンプリングした音を機械から流すようなことがあっても、それはあくまでもライブにほかならず、臨場感ではなくってそこにわれわれは臨場しているのだ。つまり現場としてのライブと複製の世界とではディメンションが異なるのだ。この事実が人が世界と具体性で結ばれていることの基準点を示すのであって、この具体性という場所に、人はいつでも立ち返れなくてはおかしなことになってしまうと思う。
No.9 2008/03

 けっこう力を入れて書いた文章がタナに晒されたまま、ほこりをかぶりそうになってきたので小誌に掲載することとした。2回連載の予定。ここに参加している石川和広さんや高野五韻さん、また岩田英哉氏や水島英己氏などを議論の場に巻き込んだ、小泉義之著『病いの哲学』への私なりのアプローチだが、あの時からもう2年近くも経ってしまった。当の著作を読んでいないと分かりづらいところがあるかも知れない。医療問題や死生観など、現代の基本的な問題はほぼすべて出揃っている感じの好著なので、手に取ってごらんになることをお勧めする。
No.10 2008/05

 エミリー・クングワレー展を見た。彼女はアボリジニーだが、その描く絵の豊饒な迫力に圧倒された。正規の美術教育も受けていない彼女に何でこういうことが可能だったのか、という議論も一部には存在するようだが、彼女は芸術家である以前に、はるかに偉大な宗教者なのだと思う。その絵にはいわゆる美術鑑賞を超えた、森厳で幽邃、かつ心を快活にさせるなにものかがあると感じた。国立新美術館に行ったその日は雨だったが、見終わって外を眺めると梅雨空は見る間に霽れて、乃木坂あたりの風景が、一瞬エミリーの聖なるふるさと、アルハルクラのような色彩で満ちた。
No.11 2008/07

 ことしで四十回を迎えるという、NHKの「思い出のメロディー」を観た。私にとってはハイ・シーズンであった歌の数々がいわゆる懐メロになってしまったのかという感慨は正直あったが、それよりもさいきん勘づいていて、この番組での歌を聴き、確証を得た気になった事実がある。それは歌い手が一流であればあるほど、音程にシャープがかかって聞こえるということだ。殊に演歌などに特徴的で、「歌謡」性の高いものほどそれは際立っている。演歌でなくとも、たとえばリートやオペラの詠唱にもこのことは言えて、こと、ヒトの肉声を通さなければ成立しない歌については、見かけの音符どおりということはありえないことが分かる。この、シャープがかかるという現象のうちに一種の夢幻が存在するのであって、さいきんの色んなポップスがおもしろくないのは、全部がフラットに聞こえてしまうからだ。つまり、そこに夢幻の立ち昇る余地がないせいだと思う。ビートルズの声などは、随分シャープを帯びて聞こえたものだが。
No.12 2008/09

 私も蕪村についていささか関わりがある(ごらんのように、和田彰の「あとがき」で先を越されてしまっているが)。この十一月末までに、この絵師について書かなくてはならないのだ。いったいに、古い画について深い関心がある(これについても秋川久紫に遥かに先を越されているが)。なぜかということを私なりに考えてゆくと、これはたぶん、「現在」を相対化したい欲求に根ざしているのではないか。そうあやしむ。昔のものに惹かれるというのは、たぶん単純に昔に還りたいのではなく、「現在」が唯一無二、絶対ではない、と知ることによって、或る展望を得たいのだと思う。ほんとうのところ、未来や次代というものは、いま・ここから立ち昇るのではなく、過去のほうから?がって到来するものではないか。
 今号の散文は、桐田真輔氏主宰のウェブマガジン「リタ」、ほかに発表した稿に手を加えたものであることをお断りしておきます。
No.13 2008/11

 何だか最近美酒佳肴というものに執着しなくなっている自分に気づいている。体のちょっとした事情もあるが、そんな世界観が近しく感じられるということだ。疏食粗食にあこがれる。酒は菊正・燗である。お前いまさら何だと言われそうだが。
No.14 2009/01

 先達て三日間だけ特別に、朝起きて会社へ行き、午前中仕事してひるめしに行き、また午後から仕事して八、九時間会社で過ごすということを久しぶりにやった。冬の晴れた昼、じぶんの?だけがまるで黄泉の国から戻って来て働いているかのようだった。休憩時間にドトールでテイクアウトのコーヒーを買ったとき、流れてきた煙草のけむりの匂いの中に、十年前の私の姿を確かに見た。
No.15 2009/03

連載と関係したことかもしれないが、縁起の縁ということを最近よく考える。あらゆる生起は何かの縁によるものであるし、一旦生起した物や事は決して無くならず、また次の生に続いてゆく。人の一生で終われることなど、実はどこにもない。そのことの秘密を業縁という形で発見することもあり、知らないままもがいて終わる一生もあろう。そこに流れる悲しみと、また同じ字の抜苦の悲ということを考える。
No.16 2009/05

 一日に一遍、日課である散歩をしていると、犬を連れて同じように散歩している老若男女と頻繁にすれちがう。よく観察してみると、犬とそのご主人様の顔がしばしば非常に似通っていることに気づく。顔つきのことではなく、顔そのものがだ。柴犬みたいな顔のご老人や、シーズーと見分けのつかない顔をしたおばさんなど、私の確信はますます深まる。ところで、夫婦も十年も一緒にいると、お互い顔が似通ってくるとか。この場合、どちらが飼い犬で、どちらが飼い主なのであろうか。
No.17 2009/07

東博の平成館の右隻というのか、館の半分を会場にして開かれている「伊勢神宮と神々の美術」なる展覧会に行ってきた。それこそ弥生古墳時代の生活(感)がそのまま続いているような展示品にも改めて驚かされたが、もっと時代が下って中世や近世初頭の神仏習合思想に注目した。瑞祥的表現をふくむこの一種の凄まじい感覚性は何であって、一体どこから来たものであろうか、と。
No.18 2009/09



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