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「悪人正機説について」



 平成二十一年一月二十八日、いちどきに四人の死刑囚の刑が執行されたという新聞記事を読んだ。彼らの犯した罪科が列挙されていたが、おのおのの内容は凄惨というしかなく、具体的にここに書くことはしない。前非を悔いる手紙を書いて謝罪したものもなかにはあるが、ある被害者の遺族は、ああは言っているがまだ嘘をついているとしか考えられず、信用できないとして、死刑囚の謝罪を受け入れようとしなかった、という記事も併せて読んだ。また、これに先立つ一月二十日、名古屋のいわゆる闇サイト強殺事件で、派遣社員の女性を、彼女の命乞いにも拘わらず、無意味に撲殺して山中に遺棄した三人の男の被告に対し、検察側は全員に死刑の求刑をおこなった。証言台に立った被害者の母親は、ゴキブリを殺すのも人を殺すのも彼らにとっては同じこと、死をもって償ってもらいたい、と述べたという。
 これらの記事や報道に臨んで、私もまた他の大勢と同じであろう烈しい嫌悪と、被告や犯人に対する深い怒りで身が震えた。私にも家族がおり、それに準えて考えたとき、秋霜烈日の断の思いが身をつらぬくようだったのだ。だが、としばらくして考えた。私はむろん第三者であり、ある意味で無責任な観衆にすぎず、この身をつらぬくばかりの思いもやがて日常の他の何かに取って代わる。しかし遺族はどうであろうか。彼ら当事者は一時の観衆ではなく、その苦しみは恐らく彼らの愛するものに手を下した人間の死をもってしても絶対に消え去ることはない。「ゴキブリを殺すのも人を殺すのも同じ」と言って、被告らの極刑を希(こいねが)うとき、世界は負の極限のポテンシャルに措かれるのであり、ある意味で遺族のそれからの人生はこの負の関係に担保される不可逆性を帯びることになるのだと思う。被告らは、あるものは涙ながらに謝罪し、あるものは何も申し上げることはないと言って謝罪しなかったと、のちにその名古屋地裁の法廷でのことを報道で知った。被告側の謝罪が本心からのものなのか、あるいは別の被告の謝罪拒否の言辞のうちに真実を見るべきなのか、にわかには判らず、またそれを断ずることも無意味であると考えるが、いずれにしても負の極限の関係の一項として、被告らもまた、被害者遺族あるいは被害者それ自身と密実に共有する、同一の入会地の中に存在することになったと言えるのだ。
 この関係は何だろうか、と私は長大息する。わが子を殺された女性が、殺した犯人の存在の廃滅を望む感情は当然であろうが、「ゴキブリを殺すのも人を殺すのも同じ」という論理は、それゆえに被告には死をもって償わせる帰結を導くと同時に、「ゴキブリ」を媒介に、ほんらい異なるディメンションに措かれるべきわが子と、犯人らとを、同じ絆で結びつけることになりはすまいか。わが子の重い存在が「ゴキブリ」並みに抹殺されたとしたら、その代償として地上から抹殺されなければならない被告たちの存在は、わが子並みに重くなければならないはずなのに(これは逆説である)、わが子に与えられたのと同じ死という選択肢しかない以上、彼らの存在はじつのところ「ゴキブリ」並みに軽いことになってしまう。つまり、同じことだが、わが子の存在もまた「ゴキブリ」並みに軽いことになってしまう。この、遺族感情からすれば一種の地獄であるべき循環する論理は、犯罪の代償としての死刑に常につきまとう問題なのだと思う。ああ、救われないな、とも思量する。何をもってしたら真に償わせることになるのか。この負の関係の常在をそのままにしておいてよいものか。
 このとき、ふと親鸞の悪人正機の説が心を過った。と言ってただちに歎異抄に到ったわけではない。前になりわいの仕事上のことで少し調べたことのある、脳性麻痺の障害者団体「青い芝の会」の精神指導者的な立場にあった仏教者・大仏(おさらぎ)空(あきら)師の、独特の歎異抄理解、その悪人正機説がふと思い浮かべられたのである。
 悪人正機とは何か、基本的なことなので、少し長くなるが、これについては歎異抄から、よく引かれる部分の全文を引用しておきたい。

善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、悪人なを往生す、いかにいはんや善人をやと。この条、一旦そのいはれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆへは、自力作(さ)善(ぜん)のひとは、ひとへに他力をたのむこゝろかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこゝろをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死(しようじ)をはなるゝことあるべからざるをあはれみたまひて、願ををこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もとも往生の正因(しよういん)なり。よて善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、おほせさふらひき。(三章)

 伝聞されたこの親鸞の言葉は難解だと思う。悪や悪人とは何なのか、善人と「自力作善のひと」ははたして同じなのか、いくら読んでもよく飲み込むことができない。この場合の善も悪も、実体として捉えようとするといつの間にかするりと消えてしまうような、そんな概念みたいな気がする。いいかえれば、自体としてでなく、関係というものの中でだけ生起している概念のような気がするのだ。
 大仏師の所説については山森亮著『ベーシック・インカム入門―無条件給付の基本所得を考える』(光文社新書)で、次のように要約されている。

 悪人正機――すなわち「悪人こそまず救われるべきである」というのは、仏教の教えるところの善い行いに集中できる物理的な基盤をもつ支配層の人々ではなく、生きるために殺生を行わざるを得ない労働貧民こそ救われるべきであるという意味である。そして現代において、「善い行いとは究極のところよく働くことだ」とされている。そうした善い行いから排除された人々、すなわち障害者こそ救われるべきではないのか、というわけである。(127頁)

 「青い芝の会」については、ここで詳しく触れている余裕はないので省く。しかしこれに関わる大仏師の悪人正機読解から私が連想したことは、悪人とはもっとも救いから遠いもの、不可触的な汚穢に属するもの、見捨てられ忘れ去られ、忌諱の対象たるべきものであり、それは(脳性麻痺という)障害者もそのうちにふくまれる被差別者たちといいかえて間違いないのではないか、というものである。世界で一番低位のところにいるこれらの者たちからまずさきだって緊急に、済度されなくてはならないのではないか。善人や、心や体が健常の身のものの済度は、そのあとからゆっくりとでいい。「青い芝の会」や大仏師の言わんとするところから少し(あるいは大きく)外れるかも知れないが、おおまかにこんなことを、彼らの所説を機縁として思ったことであった。先の歎異抄本文に比べ、明快と言えば明快である。
 ここに私は重ね合わせて考える。前述の被告と犯罪遺族のなかで、悪や悪人とはもちろん被告犯人の側に、世俗的には帰せられる概念のほかではない。けれど、被告犯人と犯罪遺族の関係も、救いからもっとも遠く、通常の社会生活上からは不可触的な禁忌の部分もふくむ、判決や刑の執行ののちは世界から見捨てられ忘れ去られる、そういった負の要素の入会地としての「悪」に属するものなのではないだろうか。この「悪」は、常在として、世界の中にいつまでも置かれつづけてはいけない。犯罪遺族を悪や悪人と同一視するものと、口が裂けても言えないことを言っているつもりでは毛頭ないけれど、彼ら彼女らもまず先に取り急ぎ緊急に救抜されなくてはならない、そういう存在だと言っているのだ。いわばそこにいるだけで存在論的な深みの中にあると言える。ほんとうは被告犯人と同質のくらやみの中にある、と言ったら、もし過つことになるのであろうか。ここで危機の中でだけ許される「選別」の行為、救急医療の現場で言われるところのトリアージ(治療の優先順位)という言葉が思い浮かぶ。その言葉からまた秋葉原事件のことなども連想されて、思いは複雑なのであるが。
 このとき親鸞の悪人正機の思想を、もっと具体的に知りたいと思った。具体的に、とはただ歎異抄をひらいて、そこに示されている近代以降を思わせるような思想や逆説に驚いたり惹かれたり、という恣意的な読み方ではなく、その歎異抄が説く「悪」の問題を、浄土真宗の教典である親鸞著、教行信証をたよりとしてというか、少しでもそれが導く思考の野のなかに探ってみようかと考えたのである。うまくゆくかどうかは判らない。

 畢竟するところは同じ海に帰することになるのかも知れないが、歎異抄と教行信証とでは、悪のニュアンスが少し異なるように見える。
 歎異抄では、悪ないし悪人とは、「うみかわに、あみをひき、つりをして、世をわたるもの」や「野やまに、しゝをかり、とりをとりて、いのちをつぐともがら」という所業およびそれを為すものである。また、たんに、「あきなひをもし、田畠をつくりてすぐる」一見罪なき民も、前二例、漁猟者のごとき悪業をまぬかれているわけではなく、「たゞおなじことなり」と親鸞は言っている。ひとはみな業縁を背負って生きており、煩悩具足の存在に異なることはないのであると。これだけ見ていると、却って悪とは日常を壊すほどの極端なものでなく、平時の道徳律の範囲を出るものでないようにも思える。だが、この例しを引く同じ歎異抄十三章の冒頭近くで、若い唯円坊が親鸞に、お前はわが言うことを信ずるかと聞かれ、唯円がはいと答えると、かさねて、それではわが言うことに違背することなきか、と言われたのでつつしんでお受けしますと答えると、「たとへばひとを千人ころしてんや、しからば往生は一定すべし」と言ったとある。これには後半部分があるのだが、それはひとまず措き、こういう箇所を眺めると、親鸞のいた中世という世界の乾いた暗さや、つくづく乱世であったのだなあ、という感懐がしきりに興ってくる。悪人正機の悪は、こういうところから想像されるように、一つの道徳律の範囲の内にとどまっているものから、酸鼻を極めた所業に到るまでの大きな幅を持っていた気がするのである。
 これに対して教行信証では、悪は歎異抄におけるような、善と対になって言及されるごとき反語に似た言い方でなく、もっと端的積極的に、まずそこから主だって、済度されるべき概念として捉えられている。むろん歎異抄の、まず悪人から往生させよ、という思想もそれだけでひとつの緊急性、切迫性を有するとも言えるのだが、教行信証では悪や悪人の問題はさらに真正面に据えられ、経典教義をはじめ、思考の全力を挙して正面突破すべき中心課題、という姿をとって現れてくるのだ。その悪を具体的に言うことができるが、それは悪の中でももっとも救われがたいと仏教では理解されている、父殺し、および潜在的母殺しをふくむ、五逆(殺父・殺母・殺阿羅漢・出仏身血・破和合僧)、それと誹謗正法(済度の大網さえ謗り、あざわらうこと)の大罪のことである。ほとんど神話に届くような幽邃な説話が、教行信証一巻の最中心部に置かれてある。阿(あ)闍(じや)世(せ)王の物語であるが、これは観無量寿経(観経)や大般(だいはつ)涅槃経(大経)などが当該物語のそもそもの出典となっているという。ここにおいて、深く救いのない悪にたちむかって済度すること、この世界の言葉で言うと大悲というものが、するどい結晶のように教義の中心を形成していることが理解されてくる。
 では阿闍世王説話の大略について、筋書きだけでも述べておかなくては話は始まらないだろう。教行信証においては本文の多くが経文の引用などから(物語が)成っていて、つづれ織りのように一読錯綜きわまりない印象がある。ここでは、この著名な物語の要点を簡明に押さえた今昔物語集(天竺・震旦部)を参照しつつ、以下に示す。

 摩伽陀(まかだ)国の王舎大城に阿闍世王という王がいた。彼に提(だい)婆(ば)達多(だつた)(釈尊のいとこに当たる)というものが近づいて、自分は釈尊を害するから、あなたは父の大王を殺して新王になれとそそのかした。阿闍世王は提婆達多の言うことを信じて、父・頻(びん)婆(ば)娑(しや)羅(ら)王を捕らえ、人知れぬ場所に幽閉して飲食を断ち、干乾しにして責め殺そうとする。そのときに后・韋(い)提(だい)希(け)夫人は大いに嘆き悲しんで、その身体にむぎこに和した蘇蜜を塗り、瓔珞の中にぶどう液を隠し持って幽閉された王の所へ行き、飲ませかつ食べさせて王の命を長らえさせる。阿闍世王は頻婆娑羅王がいつまでも死なないので、どうしているかと不審に思って幽閉場所の番人に事情を聞くと、番人は、后がやってきてこれこれのことを為しているので王は生きているのだが、制止することかなわず、今に至っている、と申し上げる。阿闍世王はこれを聞いて大いに瞋りをあらわにして、「わが母韋提希は賊人のともがらなり」(「今昔物語集」)と言い、剣を抜いて母の韋提希夫人の首を斬ろうとする。ここに名医でもある耆婆(ぎば)という大臣が進み出て申し上げる。わが君はどうお考えになってこのような大逆の罪を造ろうとなさるのか、経典などには父王を殺したおびただしい王の例しは確かに記されているけれど、いまだ無道に母を害した人のことを聞きません、大王よ、よくよくご思慮なさってこの悪逆を思いとどめられよ。阿闍世王はこれを聞いて非常に恐れ、剣を捨てて、母に手をかけることはしなかった。その一方、父王はついに死んだ。(母后はそのまま幽閉され、そのなかで釈尊の説法を受けた。これがすなわち観無量寿経である。その後の韋提希夫人がどうなったかははっきりしない。あるいはそのまま釈尊の説法を聞き、恍惚裡に獄死したのでは、との見方がある。)年を経て、釈尊が鳩尸那(くしな)城(じよう)抜(ば)提(だい)河(が)のほとりの沙羅林において大涅槃の教法を説くということがあった。つまりこれは、釈迦が涅槃に入る・入滅することをも意味するが、耆婆大臣は老いた阿闍世王にかの仏のもとに行ってみずからの罪を懺悔することを強く勧める。王は犯した罪におそれおののき、仏は自分に目をかけてくださることはあるまいとか、私は逆罪を造ったので無間地獄に堕ちるであろう、仏が私を見たてまつっても罪が滅することはないとか、自分ももう年老いたのでいまさら恥を見せたくもないとか、いろいろに言い分けて耆婆の忠言から逃れようとするが、大臣の懇切な勧めでようやく重い腰を上げる。諸大臣をはじめ無数の供のものを引き連れて釈尊のもとに至るに、仏は大王を見てたちどころに未来成仏の予言を与える。仏は言った。もし私があなたの罪業を消滅せしめることができず、あなたを仏道に入らせることができなければ、私は仏として在ってはならない。今あなたは私のもとに来た。もうあなたは仏道に入っている、と。これが父殺しの阿闍世王の物語である。
 このおもに今昔物語集巻三第二十七によるところの説話は、概ね観経から採られているらしい。教行信証信巻本文に出現する物語は、それに併せて、大経から採られた、父王殺し(観経では恐らく母后獄死もふくむ)の、時間的にはあとのことがやや詳しく述べられている。逆罪を為した後、阿闍世王の身に「悔熱」が生じ、からだに瘡ができて臭気を放つことはなはだしく、その周りに近づけないほどになる。つまり身を破るまでの悔悟の念が発したわけだ。いろいろな大臣がその身に罪のないことを説き、それぞれに信ずるところの尊者を王に紹介し、彼らのもとに行くことを勧める。その最後に耆婆が進み出て、王の罪の深さ、恐ろしさを説き、仏陀のもとにただちに参じるよう勧める。このとき、「色像を現ぜずしてたゞこゑのみ」の亡王が、たぶん阿闍世王にだけ現れる。父王は阿闍世に、耆婆の言うところに従え、と告げるのである。阿闍世はおそろしさに悶絶して地に倒れる。それから以下の論でいくつか触れるであろう釈迦の説法があり、「われいま仏をみたてまつる」という阿闍世王の発心があって大団円となる。教行信証信巻にはもうひとつ阿闍世王の説話に酷似した、父を殺した善見太子の説話も並行して置かれているのだが、太子の出生にまつわるその神話的な内容の玄妙さは別にして、今は深く立ち入らない。
 教行信証で最重要視されている悪とは、五逆と誹謗正法であることはすでに述べた。五逆とは、故意に父を殺すこと、母を殺すこと、悟りを得た修行者を殺すこと、仏身を傷つけること、教団を乱すことの五つである。注意して見ると、阿闍世王が犯した罪は、教行信証内に引かれてある観経、大経を通じて、殺父と間接的な殺母の二つだが、観経・大経の両経全体を見渡して、いまひとつ、かならずしも彼一人のわざではないにせよ、逆罪が犯されていることに気づく。父王・頻婆娑羅はむかし「ひとりの仙の五通具足せる」を殺害しているのだ。あるいは逆に、阿闍世王が殺した父王は初果の聖者であった、とも。古人でも仏教徒でもないわれわれにも、これら物語の中で犯されている三つの罪の恐ろしさや深さはよく分かる気がする。対して、あとの二つ、出仏身血と破和合僧については、腹の底からの恐怖や痛みは湧いてこない。これらは教行信証における阿闍世王の物語にとって、いわば物語外的な因子として、誹謗正法の問題に接続してゆくもののようである。
結論から言ってしまえば、仏の正法を誹謗することは五逆より重いということなのである。このことは倫理的である以前に論理的な帰結として教行信証の中にあらわれている。「汝たゞ五逆罪の重(ぢゆう)なることをしりて、しかも五逆罪の正法なきより生ずることをしらず。このゆへに謗正法のひとはそのつみ最重なり」(岩波文庫版233頁)。また、「このひと」は仏土に済度されることはありえない。なぜならば「この愚痴のひとすでに誹謗を生ず。いつくんぞ仏土を願生する理あらんや」(同232頁)、ということだからだ。注意しなければならないのは、「愚痴のひと」が仏土に生じ得ないのは因果応報による仕打ちというよりは、仏土を謗るものが、その謗られた同じ仏土を願う理屈が成り立たないと言っている点だ。いわば理の勝った話だが、親鸞はそこからさらに論じ論じて(つまり引用に引用を重ねて)、ついに五逆にまさる誹謗正法さえ摂取され仏土に済度されるものである、という結論に至る。
 経緯はこのようなのだが、たぶん教団や教義のようなものにとって深(じん)重(じゆう)の罪とされる謗正法より、われわれ門外世俗の人間にとっては、直接に阿闍世王が犯したとされる五逆の罪のほうが、なお深重でさわり重く感じられる。大経の経文どおりの「汝たゞ五逆罪の重なることをしりて、しかも五逆罪の正法なきより生ずることをしらず」という暗愚な衆生としてのわれらにとっての感想には過ぎないが。まずはこれがなぜ済度されるのか、ややくわしく見てゆく。
 大経、観経、今昔物語集などもふくめ、教典に引かれたこの物語を通覧するに、私などがああ無惨だな、と思ってしまうのは、阿闍世王が父王を害そうとして飲食を断つ結果、息子に隠れ母后が子に対する慈母そのもののように、観経などではその身に食べ物を塗りつけさえして、(阿闍世王の説話では「足をけづ」られ、善見太子の話では飲食を断たれたうえ着ているものまで?がされた)無力な夫である父王に濃やかに飲食を与える光景であり、そのことが発覚して、阿闍世が剣を取り、母の首を斬ろうとする(善見太子の説話では、母の髪を引いて刀で母を斬ろうとさえする)光景である。逆罪の深重にして逆罪たるゆえんであろう。母を直接に害することはいずれも耆婆大臣に止められるのだが、父のほうはみずからの言葉を通して(大経によれば心と口によって)確信犯的に殺したといえるのである。教行信証の引用では、父王の死後、阿闍世王の心にただちに悔悟の念が生じたという。身は瘡と臭気と熱を発し、さまざまな薬を塗っても治らないのは、このような瘡は心より出るもので、現実のもととなっている四大(地水火風)より成るものではないからだと、阿闍世王は母后に言う(ここでは韋提希夫人は生きていることになっている)。自分は無間地獄に堕ちるであろうという確信と恐怖。
 しかるに、懼怖し躊躇しながら耆婆に励まされ沙羅双樹林をめざす阿闍世王を待ち受けつつ、まさに悪逆阿闍世一人のために、涅槃に入ることを、凄まじいことに釈尊は少し先延ばしさえする。世尊たる自分はまさに仏性を見ることのできない衆生のために世に住するのだ。仏性を見ることができるもののために、私はついに世に住すること久しいものではないのである。そしてその衆生とは罪重い阿闍世王と名づけられたものにほかならない。阿闍世王は「無量無辺阿(あ)僧(そう)祇(ぎ)劫(こう)」に涅槃に入ることができないが、このゆえに、私も阿闍世王のために無量億劫に涅槃に入らないのだ、と釈尊は沙羅林に集まった大衆に説法する。このことは如来の密語不可思議なのである、と獅子吼される(これらは途中までやって来た阿闍世王や耆婆大臣の耳に届いている)。
 物語的には、教行信証にとって最大のテーマとも言える悪人正機が大きく正面にせりあがってくる山場であろう。釈尊はこのとき月愛(がつあい)三昧という瞑想に入り、三昧に入り終わると同時に大光明をはなつ。その光は阿闍世に届いて彼のからだを治してしまう。阿闍世の四大によらずという病を、まず四大より成るその身から治し、それから心に及ぼうということである。阿闍世王はそう説明する耆婆にむかい、如来世尊はこの自分を見たてまつるおつもりなのか(そんなはずはない)、と言う。耆婆は答えて、たとえば七人の子があるとして、父母にわけへだての心があるはずもないけれど、一人の子が病気であったら、父母の心はその子においてひとえに重いごとく、大王よ、如来もまたもろもろの衆生に平等でないわけがないけれど、罪者においてその心はひとえに重いのです、と申し上げる。これが衆生世俗への方便の論として、もっとも基本的な悪人正機説の根拠のひとつというか、それを担保する考えだと言えよう。
 さて五逆の罪はどうして済度されるのか。阿闍世王をまえにおこなわれる釈尊の説法によれば、ことは父王にさかのぼって展開される。頻婆娑羅王は生前、諸仏に善根を積み供養を行って、そのゆえに王位に居すことを得たという。いいかえれば諸仏がその供養を受け入れなかったとしたら、先王は王たりえなかった。もし王たりえなかったとしたら、阿闍世王はそもそも頻婆娑羅王を害することはなかったわけで、その罪が永劫に消滅しないものだとしたら、諸仏も永劫に恢復されない罪を得ることになる。もし諸仏世尊が本来清浄な姿として罪を得ることのない、そういう存在であったなら、阿闍世王ひとりどうして永劫消えない罪を得るということがあろうか。たっとかるべき諸仏世尊と悪人阿闍世王の間にも、論理的関係としての縁起・因果は存在するということになる。
 さらにたたみかけるように釈尊の説法はつづく。大王頻婆娑羅に、むかしは悪心があった。?冨羅(びふら)山(せん)に鹿狩りをして曠野を経巡るに、ことごとく得るところがなかった。その野でひとりの五通具足した仙人と出会った。大王は、この仙人が鹿をことごとく追い払ってしまったのに相違ないと、瞋恚悪心を発して、左右のものに命じて仙人を殺させた。命終にあたって仙人は怒りを生じ、自分は無辜である、おまえは心と口によってよこさまにわたしに戮害を加える、わたしは来世においてまた生まれ変わって、同じように心と口をもっておまえを殺すことになろう、と言う。大王はこれを聞き終わってたちまち悔心を生じて、仙人の屍骸をねんごろに弔った。このゆえに(このねんごろな弔いによる応報軽きがゆえに)先王は地獄に堕ちることがなかったのである。このように阿羅漢を戮することも五逆の一であったはずである。先王はみずから(罪等を)つくって、果としてみずからその応報を受けたのだ。阿闍世王が自己責任として先王を殺したわけではなく、自分の意思ではどうにもならない業縁あるがゆえに父王を殺したのであって、そこに実体としての殺罪は構成されない。悪業や罪には罪報という「報」があるというもの。あなたの父王に罪がないとしたら、その身に罪の報があるということがあろうか。頻婆娑羅王は現世のなかにおいて善果と悪果とを得た。善果とは王位に就いたということであり、悪果とは殺害されたということである。このゆえに先王の位置は不定(ふじよう)と言われなければならない。不定なるがゆえにその殺という事実も不定であり、殺不定ならばどうして決定(けつじよう)して地獄に堕ちるということが言えるのか。ここでも、ものごとは論理的関係としての縁起・因果空間の中でのみ存在し、ものやことはそれ自体の実体(自性)なるものを持たない、という思想がはたらいている。
 この思想は釈尊の考え方にももちろん胚胎していたが、より直接には、ナーガールジュナ(龍樹)によって大きく完成された空の論理(中観思想)と呼ばれるものであり、親鸞もまさにそれにほかならない浄土宗の教理の根本をなす考えである。その空の論理は教行信証において阿闍世王の殺罪につき、以下のように展開される。
 右に、ものやことは自性なるものを持たないと述べたが、これは阿闍世王の殺罪に関しても言える。教行信証によればこうである。ものごと(原文では涅槃という譬え)は、有るというわけでもなく、かといって無いというものでもないが、そうはいってもものごとが心にあるということは「有る」と言っていいのである。殺もまたかくのごとし。殺罪は有るにあらず無きにあらぬものながら、しかも「有る」と言えるのだが、慙愧のひと(この場合の慙愧とは、自ら恥じ=慙、また天に恥じる=愧、という義)には無い(非有)。無慙愧の、烈しい悔いを覚えないものには殺罪は「有る」とする(非無)。また明らかに報いと思われることを受けたものには殺罪は「有る」のである。ものごとは本来空と知る(空見)ものに殺罪は存在せず(非有)、ものごとの空なることを知らない(有見)ものには殺罪は存在する(非無有)。ものごとはすべて有であると信ずるもの(有々見)には殺罪は「有る」。なぜなら殺罪を有無に渉らぬものの視点から見ずに、有は一向「有る」とするものは、殺罪の報いを得るからである。ものごとのすべては実在すると信ずることのない(無有見)ものには殺罪の報いはない。ものごとはすべて常なるものと見切ったもの(常見)には、殺罪なるものは存在せず(非有)、ものごとは常無きものと見る(無常見)ものには殺罪は「有る」のである(非無)。ものごとは常なるものと見ることにとらわれているもの(常々見)は殺罪を無きものとすることがかなわない。なぜなら常々見のものには、とらわれた見方という抜きがたい過去世よりの業報(悪業果)がはたらいているからである。これゆえ常々見のものは殺罪を「無し」とすることができない。以上の義をもってするがゆえに、殺罪は(他のすべてと同じく)、有るにあらず無きにもあらぬ(非有非無)ものながら、しかもまた「有る」のである。ひとの生死は出で入りの息の有無によって知ることができる。阿闍世王は殺せと命じたのでなく、その出で入りの息を止めることを心と口とによって命じたに過ぎない。殺とはこのようなことである。諸仏は世俗に従った方便の言葉として説いて、これを殺と言うのである。殺(罪)が「有る」とは、こう述べきたって初めて言えるというものであろう。この有無のことは、次に引く文章と文中の譬えで読むと分かり易いかもしれない。この場合、「有る」とされる殺罪は毛髪の幻覚とされるものであろう。

眼病にかかった人が眼の前にちらつく毛髪を幻覚している。そこでほかの人が、おまえの見ている毛髪は真実ではないと教える。そのとき眼病者は、自分の見ている毛髪はほんとうにあるものではないという限りのことは想像できる。しかし、毛髪の幻覚がまったく見えない、という真実を理解しているわけではない。医薬の力によって眼病が治ったときに初めて、毛髪の自体をまったく見ない、という仕方で真実を理解する(『明らかなことば』十八章ほか)。その場合には、毛髪を有りとすることを越えているとともに、それを無いとする意識をも越えている。幻覚そのものがないときには、幻覚の有も無も、肯定も否定もないのである。空性とはそういうことである、とナーガールジュナもいっているのである。(『空の論理〈中観〉』梶山雄一・文、角川ソフィア文庫「仏教の思想」3、160頁より)

 こうして世尊によって阿闍世の絶対的な罪は相対化された。したがって、悪の絶対性は相対化されたのである。世界を実体本質論的に、すなわち有見の眼で見ればどうにも解きほぐせない結ぼれは、非有非無という、一種の数理的なグリッドたる空の論理を通すことによってほどけることがはるかに予見されている。ただし、罪や悪は相対化され、減らされたのであって消滅したのではないことは、気がついておいていい。あくまでも、非有非無のなかでいっとき「有る」のである。世尊の説法を聴いて阿闍世は蘇生の思いをいたし、「われいま仏をみたてまつる」と声を上げる。そして、世尊釈迦にむかって、もしわたしがあきらかによく世の中の衆生の悪心を破ることができなかったら、阿鼻地獄にあって無量劫のうちにもろもろの衆生のために深い苦しみを受けようとも苦としない、と言う。これは感謝の言葉であるというより、一種の誓願だろう。弥陀の誓願に似た。ここに罪科がいっとき「有る」ということの秘密のようなものが見え隠れしている。そして、阿闍世自身の悪心がこうして「破壊(はえ)」されたのみならず、阿闍世が今度は衆生の悪心を「破壊」する側に回るという展開をつらぬくもの、いいかえれば数理的で犀利なグリッドたる空の論理に満ちているのは、深い憐れみ、寛容としての大悲ということになる。いままで全力を挙げて為されていた罪・悪の相対化、ときに詭弁とも印象されかねない論理操作を支えていたのは、この大悲であったのだ。
 親鸞の悪人正機説は、少なくともここまでの流域面積を持っているものと理解されなくてはならない。ここにおける済度とは、許しという意味合いよりは、むしろ悪を造り罪を犯したものが自ら慙愧し誓願をおこなう、といった参加型の撥無と委ねを通じて、損なわれた世界の修復を図ることではあるまいか。そしてそこに寄り添う大悲のその巨大さは、悪のその深さに鋭敏に即応しているはずだ。悪にむかう大悲は世界のあらゆる部分に浸透し、それは無礙にしてなにものもその浸透をさまたげることはできない。なぜならそれは空の空なるものであるからだ。気をつけなくてはならないのは空とは存在の無ではないということだ。事情は以下に引く文章のごとくである。

ものが空であるということは、そのものが本体として存在するのではなくて、原因や他のものに依って生じてきているということである。一般には空ということばは、無ということばと通じるから、空はものが存在しないという意味に取られやすい。しかしことばが誤解されるのはことば自体が本体をもたないからである。われわれがいう空性とは本体のない存在ということであって、存在の無ではない。空性という表現も、たとえば、車輪や車軸や車体の集まりをかりに車というように、仮の名づけにすぎない。車という実体があると思いこむのが誤りであるように、空という本体があると考えてはいけない。また車ということばでかりに呼ばれるものがないのでないように、空であるといわれるものは存在しない、というわけでもない。そのようにものの本体の存在、その滅としての非存在のいずれをも越えるものであって、それはシャカムニ・ブッダの説いた中道のほんとうの意味である。(『空の論理〈中観〉』梶山雄一・文、角川ソフィア文庫「仏教の思想」3、146〜147頁より)

 この論理によれば悪や罪業は消滅したのではなく、存在するのでもない。まさに教行信証がいうところ、「非有非無」のさししめすもののとおりなのである。罪業有らざるにあらず。だがその悪人は大悲に摂取され往生を遂げる。慙愧し誓願するものは、喩えて言えば地獄に堕ちることをまぬかれる。では慙愧せず、誓願も拒むもの、すなわちその存在があるだけで正法が誹謗されていることを意味するような、そんな人間の罪業はどうなのか。教行信証の教えるところでは、たしかにそのものは「ある種の地獄」には堕ちるが、最悪の地獄に堕ちるのではない。一は仏や聖衆を見ることを得ず、二には正法を聴くことを得ず、三にはさまざまな供養をおこなうことができない境域に置かれようけれど、それは無間地獄よりはましであろうと。教行信証に引く善導の言葉によれば、五逆と誹謗正法の罪はあまりに怖ろしい。それを憐れんだ弥陀のはからいは次のごとくである。

四十八願のなかのごとき謗法五逆をのぞくは、しかるにこの二業そのさはり深重なり。衆生もしつくればたゞちに阿鼻にいりて歴劫周章していづべきによしなし。たゞし如来それこのふたつの過をつくらんをおそれて、方便してとゞめて往生をえずとのたまへり。またこれ摂せざるにはあらざるなり。(『教行信証』岩波文庫版237頁)

 それでも往生は遂げられる、と言っているのである。いや、摂取せざるにはあらざる、と、言っている。すなわち非有非無の空の論理はここでもつらぬかれている。救済なきこと、というわけでも、必ずしもないのであるよ、と。もし大悲があるとしたら、そこまで摂取する、そこまで、そのまったく救いのないところまでくまなく降りてゆく。これを一転させれば、ほとんどまず第一にそこから摂取する、最悪最重のところからまず第一に手をつける、という截面に接触しているとは言えまいか。「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」は、この文脈から見ると大変飲み込みやすい。悪人正機の真の意義はここで生きる。
 このとき悪人が往生を遂げられるのは、悪人が主体ではなく客体であるかぎりにおいてである。悪人が自ら救われようと、あるいは救いを拒否しようと、主体的に何かを意志し意図することによっては彼に往生は絶対におとずれない、また反対に彼は往生を回避し得ない、というのが親鸞の思想の独歩たるところだろう。彼は自身としてはなにも造らない、世界と自分にはなにも付け加えない、という客体化された素材であるような自己であるかぎりにおいて、彼に初めて往生がおとずれると言える。誓願や慙愧、ないし懺悔といった一見主体的に見える行為も、なにかしら圧倒的にやって来るものの促しに対する投地のようなもので、自らあらかじめはかって、意志しておこなうこととは少し違うような気がする。迷悟一如と言うが、ありのままの我がそのままで済度される、とよく説かれる真宗の教義が、ここに位置していることがようやく理解される。
 さて、ここまでながながと書いてきて、得たものの貧しさは自分でも分かっているのだが、この論の最初に提起した問題は、以下をもって結びとしたい。ここで殺人犯人あるいは死刑囚には、すでに大悲が届いているものとする。「いはんや悪人においてをや」という言葉のままに。

 理論的に言えば、慙愧のない、少なくとも被害者遺族から見て慙愧の感じられない殺人犯人に対して、被害者遺族は、裁判所の下す判決より常に一等以上重い量刑を望むものであり、それは極刑が最終的に担保する体系の中で望まれる。このとき極刑は量刑の中の一番重いものというよりは、刑の体系全体をある仕方で決定づけるようなものとなる。ある仕方とは、罰の志向性がそこで極(き)められる、つまり死に至る志向性を持つものになる、ということにかかわる。被害者遺族が常に殺人犯人に対して、その死を望むというわけではないと思う。ただ、遺族感情としては、事案に際して死という事態と無関係でいるということは不可能であろう。慙愧のない殺人犯人に対して被害者遺族が望む死は、質的なもの、あるいは志向的なもので、量的なものに換算できないと考えられる。許せないと思う感情からは、極刑以外の量刑に対しては畢竟して極刑にまで至る心の志向を覚えるだろうが、では実際殺人犯人が極刑に処せられたらどうなのか。懲役五年、十年、二十年、無期と量刑を数えていって、これは実際の一人の懲役囚の心身にとってはフィジカルに重くなってゆく「量」と言える。では、その先の刑がもたらす死は死刑囚にとって「量」と言えるのか。極刑が下された瞬間から彼に「量」は存在しなくなる。彼がフィジカルに存在しなくなるということは、彼はすなわちその瞬間から誰にとってもフィジカルな人格ではなくなるということだ。殺しても飽き足らないやつ、という言い方があるが、フィジカルな人格ではなくなった相手を、いくら想像の中で、たとえば千遍万遍殺そうが、親鸞の時代のように一族の血を絶やすまで係累のものを皆殺しにしようが、飽き足りることはないだろう。また現実にもそういったことは法的に許されない、というよりは、業縁によって為し得ないのである。この稿の始めあたりで触れた、歎異抄における親鸞の「ひとを千人ころしてんや」という問いかけの答えがここにある。理論的には、一回殺した相手はそれ以上殺すことができない。犯された犯罪がいくら大きくても、償うべき身は一人分の貧しい肉体でしかないのだ。死刑は少なくとも死刑囚本人にとって、量刑の中の最高刑であるとともに、量刑を離れた位置にあると思う。
 悪人正機の構造は、善人と悪人と、そしてそれ以外の第三の存在をも浮かび上がらせる。すなわちそれが被害者遺族である。いま、千遍万遍殺そうがとか、一族の血を絶やそうがとか、恐ろしげなことを書いてしまったけれど、犯罪遺族の感情のある部分はこのような光景で占められているものと思量する。目には目、歯には歯ということで、殺された子どもや恋人やきょうだいと同じ思い、同じ苦しみを味わわせたいと考えるのが、大方の持つ感情なのではないだろうか。ことに慙愧のないと見られる殺人犯人に対しては。このとき犯罪遺族の心の中もひとつの地獄となって彼ら自身を燃(も)しているものと推量される。たとえ殺人犯人が死刑になっても、ならなくても。だがよくよく思いみるに、たといしてはならない極重の罪を犯した人間であるにせよ、ごく一般の常識を持った善良な社会人が、ひとの死をひたすら庶幾する、という光景――こんなにもおびただしく庶幾するという光景は、やはり異様と言わざるを得ない。異様であり、なによりひとの死を希う側のただならぬ不幸と無惨を思う。だが、一「個人」としてはこの趨勢にあらがうのは非常にむつかしいことなのかもしれぬ、とも考える。だがしかし、ともう一度思う。冒頭に述べたこの、ああ、自分は救われないなという、深い心の痛ましさへの気づきから(そういう瞬間とはどこかでかならず出会っている)、一切空ということのゆたかさに捨身する――悪人正機とはそういうことではなかったのか。この現代社会において、トリアージとしての仏の大悲は、善人からも悪人からも遠く追放された彼らのような存在にこそまず第一にさきだって、届けられるべきだと思う。すべてはしどけなくも一如不二(ふに)であり、こうべをめぐらせば、そのことはいつでも突然届けられてしまうものだから。

*テキストの教行信証と歎異抄は岩波文庫版を使った。そのほか、角川ソフィア文庫『空の論理』(梶山雄一執筆部分)、『タブーと結婚―「源氏物語と阿闍世王コンプレックス論」のほうへ』(藤井貞和著、2007年、笠間書院)を参照した。また、ネットでは「浄土真宗やっとかめ通信」、「親鸞仏教(渡海難)」の2サイトも参照し、お世話になった。教行信証の教義に関しては、私はかなり強引な解釈をしたと自覚している。



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