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とんぱた亭



 ある晴れた朝、きょうから月曜まで外泊を許されたので妻
が病院まで迎えに来た。うちの近くにこんな店があったよと、
彼女が披いたタウン誌にその店の紹介があった。とんこつラ
ーメンなど随分食べていない、というより、かつてのように
シャバの町場の昼に、ざわめきや光やクラクションを背にし
てものを食べるという感覚を失っていた。空漠として大きな
快晴の下、赤い京浜急行線の各駅停車に乗って、妻と昼近く、
このあたりでは唯一の高層建築コンプレックスの一角にある
その店に向かった。駅から降りてエレベーターを使い、立体
交差の歩道橋の上から反り見すれば、高速道路のジャンクショ
ンの彼方の海のあたりに青く霞んで、色々な構造物、細い煙
突や大冷凍庫群、ガスタンク、白い鶴みたいな橋梁が複雑に
浮いている。その店までの二百メートルほどの平坦な距離は、
杖を遣うほどではないけれど、長い入院で筋肉が落ちた脚に
はそんなに短いものではない。治療で髪の抜けた頭に三月の
風はまだ冷たいので、若者のようなニットの帽子を被ってい
る。店に入る。ちょうどひるどきで店内はけっこう混み合っ
ていたけれど、ここでこんなふうに、注文したラーメンを待
っているなんて信じられない。まるで健康な人間と同じだ。
こちらがわの世へかりそめに引き返してきたみたいだ。運ば
れてきたラーメンの記憶はない。ただひたすら塩辛かったほ
かは。覚えているのは店に流れていた音楽だ。通俗、陳腐、
感傷的な洋画のテーマ音楽。単純な筋、見え透いたどんでん
返し、やすっぽい悲しみと、そして安易な結末。しかし麺を
たぐりスープをすすりながら、私は深い幸福感に見舞われて
いた。いったいなぜ? このとき私は知ったのだ。春が来て
いることを。今は春なのだ。薄い色に見えるが、ほんとうは
濃厚なものがある春の空。冬が去ったというよりは、ただ、
春がある。胸が甘く痛むまでに。

 なにゆゑに五月の思ひ身にたぎつ木の下愛(かな)しその花水木
 遠く近く葉むらを透かし陽の射せばいかに五月の空をしからむ
 生と死のもともかげ濃きはつなつの五月半ばにわれは生(あ)れにき
          (「入院記」二〇〇二年三月六日の条より、倉田良成)  


初出「倉田良成詩文片「ゆぎょう」38号」


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