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唐棣の華



 休日の時間を初めていっしょに過ごしたのは、わるい冗談
のようだが浦安にある、広大でかつ恐ろしく鋭利なコンセプ
ト群が仕組まれている遊園地だった。待合せ場所で呆然と群
衆の中にその姿を捜していたら、まぢかでドンと胸板を押さ
れた。ショートヘアというより『ジャングルブック』のやせ
っぽちのモーグリを思わせるおかっぱ髪の目が、深い井戸を
覗き込むみたいに笑っている。むすめという年頃でもないの
だが、年齢どおりにはちょっと見えない。気は進まなかった
が、彼女の懇願のままにゴーカートを運転したり(路肩に乗
り上げる)、電子銃での射的をしたり(この方面に私が意外
な稟質を有することが判明する)、挙句ウォータースライダ
ーの降下のさいちゅうに彼女と並んでバンザイまでさせられ
た。夜に入って無数の電飾がうねる大パレードを待ちながら、
さいしょの踊り子が現れるはずの曲がり角のほうへ首を伸ば
す彼女に、いま本当にどきどきしてるんだろ、と囁いたら、
あなたはあんがい意地悪なところがあると切り口上で言われ
た。その夜をきっかけに、週末ごとに色んな遊園地に出かけ
た。ある土曜日は後楽園で、むかしからあるジェットコース
ターではなく、トルネードと名づけられた螺旋状に回転する
遊戯機械をこれなるかなと見上げていた。頭上を疾駆する銀
色のその下に立っていると、乗客たちの悲鳴と、それから胸
ポケットに入れたと思しきタバコの箱や簡易ライターなどが
ばらばらと落ちてきた。こういうのが好きなのではないかと
思い乗ってみないかと言ったら、少し考えさせてほしいと答
える。数十秒ほどしていいわと振り向いた顔は白く小さくなっ
ていて、兄の屍を埋葬するアンティゴネーのような決意の色
を湛えていた。あとで彼女はそのたぐいの新型の乗り物が死
ぬほど嫌いなことを知った。彼女は私のほうが乗りたいのだ
と思っていたらしい。初夏から秋にかけて、豊島園やみなと
みらい、荒川遊園、東武動物公園にまで足を延ばしたが、そ
れは彼女や私にもおなじみだった、今はもうない幻の二子玉
川園や丸子多摩川園、向ヶ丘遊園や谷津遊園をめぐる埋葬の
行為でもあったような気がする。秋が深まるころ、遊園地で
はないがレストラン街やホテル棟、デパート棟などが取り囲
む、ビール工場跡地にできた複合施設の広場で一日を過ごし
た。十月の空は怖いほど晴れていて、金色の光のなかで白塗
りの大道芸が夥しい風船を出現させた。街がくびきから解き
放たれ、しかもまだ悪意はやって来ていない、ほんのわずか
な、宝石のような時間(ブランク)。日が斜めになってきた
ので、地下のワインショップとデリカテッセンで酒と食料を
買い込み、太陽の最後のきらめきが射しているベンチに坐っ
て乾杯をした。都会の真ん中なのに白銀の虫の音が沸いてい
た気がする。暗くなるにつれ、まわりにいた恋人たちは一組
去り二組去り、やがて誰もいなくなる。完全な夜が来て、タ
ワー棟や高層ホテルの影が峻険なまでに高く細く伸び上がり、
私と彼女はその先の空に、配所で眺めるような大きな月を仰
いだ。ふたりともこんなふうに逢うのは限界だと感じていた。
年が明けて、彼女は私の妻となった。

 唐棣(とうてい)の華、偏として其れ反せり。あに爾(なんじ)を思
わざらんや、室是れ遠ければなり。子の曰(のたま)わく、未だこ
れを思わざるなり。夫(そ)れ何の遠きことかこれ有らん。

  《からなしの花びらが、そむくように外に垂れている。君
 をいとしく想うけれど、家が遠くてね。》という詩を朗唱
 したあと、先生は言われた。「いまだ想っているとは言え
 ないね。想いがあれば、何の遠いことがあるものか」と。
                    (『論語』子罕篇三二)  


初出「倉田良成詩文片「ゆぎょう」38号」


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