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白露に ――私の小倉百首から


  延喜御時哥めしければ
白露に風のふきしく秋のゝはつらぬきとめぬ玉ぞちりける   文屋朝康


 暑さはなかなか去ることをしないが、風の匂いなど、もう
盛夏のものではない。サイフを握りしめて買い物に出る。ふ
だんは部屋に引き籠もっている、一周一時間の、これが男の
まいにちの労働だ。町に出るには大きな踏切を越えてゆく。
フルセットにもなると合計六本の列車の通過を待たねばなら
ない。時間がもったいないときには大踏切の上をまたぐ横断
歩道橋を渡る。歩道橋にはなぜか決まって、半ば乾燥しかけ
た盛大な開花みたいな嘔吐の跡や、近くに競輪場があるせい
か、車券や湿った新聞などが散乱していて、それを避けつつ
向こう側の町に下りる。まず中華料理屋へ入って、モヤシソ
バ六八〇円を食い、千円を出しておつり三二〇円を受け取る。
その足でコンビニエンスストアへ行き、宅配便を元払いで出
す。六四〇円なのでまた千円を出し、三六〇円を受け取る。
これで硬貨は六八〇円。内訳は、百円玉六枚と五〇円玉一枚
と十円玉三枚。これで硬貨一〇枚。細かい硬貨はできるだけ
減らしたい。夕食の材料を買いにスーパーマーケットに入る。
卵小一七八円と中華麺九八円とプレンヨーグルト一八八円、
それに豚バラスライス一〇〇グラム一八四円と隠元一九八円、
トマト一盛り三〇〇円、それに名水もやし三八円を籠の中に
入れ、レジに並ぶ。合計一一八四円。千円と二〇〇円を出し
てつりをもらうと一六円、これで細かい硬貨は四九六円とな
り、かえって増えてくるので何とかしなければならない。一
〇〇円玉四枚、五十円玉一枚、十円玉四枚、五円玉一枚、一
円玉一枚。また跨線橋を越え、住宅街のほうに戻って、ベー
カリー「ビオレ」で発芽玄米食パン一斤を買い、二三一円を
出し、二六五円とすることで、この硬貨一一枚を一挙に五枚
に減らす。それから隣の鮮魚「魚徳」に寄り、かんぱちのサ
ク七六〇円を求め、また千円を出してそれに細かい硬貨二六
〇円を足して渡し、五〇〇円玉を得ると、なんと硬貨はその
五〇〇円玉と五円玉一枚まで減る。そこから秋風に吹かれつ
つ広い勾配を徐々に上って生協に寄る。ふと足りないものが
あるのを思い出したからだ。公園の脇の生協の扉を開け、猫
にやる鶏ささみのパックを手に取る。二〇八円。ついでに生
協林檎ジュースを籠に入れ、レジにまた並ぶ。鶏ささみと林
檎ジュースの値段が打ち出される。林檎ジュース二九八円。
合わせて五〇六円。男はあることに気づくがもう引き返せな
い。千円を渡した男の手に四九四円の硬貨の重さがざらりと
移される。サイフに残る五〇五円と合わせ、九九九円。五〇
〇円玉一枚、百円玉四枚、五十円玉一枚、十円玉四枚、五円
玉一枚、一円玉四枚の、合わせて一五枚の硬貨のフルセット
が、玉ぞちりける。もう買うものは何もないのだ。



(midnight pressのSNS日記に初出 2008・9月)

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