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         アカミトリ、にっぽん語の思い出と、赫々たる道楽文芸のために、
          二〇〇三年七月



      序

 短歌の在りどころというのが、いま、なかなかにむずかしい。
 著名な歌人もおり、結社があり、商業誌があるとはいうものの、けっきょくはどれもが、ずいぶんと流行に左右されつつ、功名の歌詠みに走っている。心の動いた時に作家し、自分から発せられた言葉の不思議さや魅力に打たれて推敲するうち、思いもしない深みに至る、そんな経験を素直に追うような歌の場所となると、なかなかに難しい。
 この『朱鳥』は、御覧の通りの片々たる体裁をあえて採ることで、なによりも、挨拶のひとつのかたちであるべき短歌の、ごく小規模な在りどころを設けようとするものである。雑多な印刷物のあまりに多いこの時代、廃棄するに迷わないような紙葉を、限られた少数の人々にのみ送るというかたちで、その人々と関わりを持ち続ける意志を示したいと思う。
 短歌をはじめとする文芸とのつきあいも、もう短いとはいえない。名のある身でもないから、わたくしの文芸はいずれ道楽といわれても致し方ないものなのだが、さすがにもう青二才でもないのであってみれば、後先顧みず、そろそろ風狂の只中へと踏み込んでもいい頃合いだと思う。
『朱鳥』という名は年号より採った。天武帝統治の最後の年をいう。日本の歴史にわたくしはまったく親近感を持たないが、天武帝にのみは異常なまでの親しみを覚える。個人的な感傷と物好きに過ぎないが、この謎の多い天皇に、これまで通り、今後の日本滞在の無事を祈願し続けたい。







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