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Moonshine 1


景気 意識の外 魔術


 景気が悪い、悪い、と報道メディアがうるさい。景気が悪いなどと言わずに、儲からない、物が売れない、金が回ってこない、と直截に言えばいいものを、いつ頃から景気などという言葉を使うようになったものか。
 景気という言葉の使われ方は、昔はずいぶんと違っていた。『方丈記』には「山中の景気、折につけて尽くることなし」という表現が見られる。山の風景はどの季節にも興趣が尽きない、というほどの意味だろう。『平家物語』では、西光法師が斬られる章で「ち(ッ)とも色も変ぜず、悪びれたる景気もなし(伝本によっては「わろびれたるけひき[景色]もなし」)」とあるが、怖気づいた様子もないというほどの意味。和歌では、言葉によって喚起される視覚的イメージ、さらにいえば心象上の景色、これを景気と呼び、たいていの場合は秀歌の条件とされた。「詮は、ただ詞に現れぬ余情(よせい)、姿に見えぬ景気なるべし」と『無名抄』にいう。景気連歌とか景気の句といえば景色を詠んだ句を意味したし、俳諧のほうの景気付は景色を多く取り入れる手法だった。『国語大辞典』によれば、景気は、「和歌、連歌、俳諧で、景色や情景が写生的に、しかも知的な興趣をふまえてよみ出されたもの。歌論の景曲体より出たもの」とも説明される。
 福沢諭吉の『文明論之概略』に、「其所得をば悉皆金主の利益に帰して商売繁昌の景気を示すものあり」という使用があるので、明治期の早いうちから商況を表わす用法があったのは確かだが、ちょっと気の利いた古語辞典になら、活気や商況、経済の好況不況の変動や売買・取引の状況を表わすとの説明も出ているので、欧米の資本主義に振りまわされるようになった近代の産物というわけではない。遅くとも『浮世床』の式亭三馬執筆の部分に、すでに、「大分賑さ。霜枯の景気(ケイキ)ぢゃアございません」とあるので、一八一三年から二三年には用例があった。喜田川守貞による風俗考証書『守貞漫稿』にも「京師七条の米市も堂島に移す。是を凡て景気或は気配を移すと云」とあるが、こちらは一八三七年起稿、五三年に一応完成したもの。江戸期とはいえ、明治ももう遠くない幕末の動乱の最中である。この頃、心象の景を大切にし空山に心を遊ばせようとする俳人たちが、どんな内的生活を営んでいたものかわからないが、景気という言葉のこんな使い方には、心穏やかならぬものがあったかもしれない。
 ともあれ、現代では『方丈記』におけるような用例はまったくといっていいほど見られなくなってしまっている。偶然見つけた山梨県の伊東工務店という会社の広告に、「空間の作法には、行間という黙約があります。静謐な余情と、うつろう景気の響きは、芳醇な古語を蘇生させ、一水の音は凛とした空間に涼を囁く。間の旋律は季節に交響し、行間に人の心を織り込む。私たち伊東工務店は、そんな行間の黙約を大切にしたいと考えています」とあって、こういう建設会社になら家を任せてみたいと思わされたが、こんな「景気」の使い方をあえてしてみるのは、やはり特例中の特例というべきだろう。

     ところで、現代ふうの「景気」、ずばり商況を表わす景気のことだが、これが悪くなりまさったとして、本当のところ、なにほどのことか、と思わないでもない。悠長なことを言うと呆れられるかもしれないが、人間、この物質社会で生きているかぎり、どう貧乏になろうが、どうしても必要なものだけは、買ったり、拵えたり、くすねてきたりするものだ。そうした必需品の入手にあたって、「景気が悪い」ということは起こりようがない。物品を必要とする側から言えば、大枚払った結果として物が手に入ろうが、只でこちらのものになろうが、日曜大工で汗した末に出来上がろうが、どうでもいいことである。要るものは要る、したがって、とにかく手に入れる。それだけのことで、ここには景気の良し悪しは存在しえない。
 景気が悪くなって困るのは、本当に必要とは見なせない心の玩具を拵えてボロイ商売をしてきた連中に限られる。確かに人類こぞって、この数百年ばかし、そんな商売に現を抜かしてきた風情ではあるが、要らないものは要らないという峻厳な篩に豪勢に掛けられる時には、ここぞと思い切って贅肉を落とす他ない。なにが要らないのか。いざとなれば歴史だの伝統だのは要らない。もちろん詩など要らない。日の出に輝く山波や夕暮れ時の雲を見ていれば、芸術などは要らない。裸で歩くのに邪魔ならば、恥も要らない。人肉を喰うのに差支えるならば、倫理も要らない。そうしたもの全てが、このちっぽけな地上に散らかされた心の玩具なのである。
 もちろん、命なども要らない。そもそも地球が要らないのだし、太陽系も宇宙も要らない。ふざけているのではない。これらの要らなさをそのまま飄々と認識しながら、いかなる在りようも同じことだとの思いにおいて過たず、地球体験を束の間続けていくのを「生きる」という。街や村など、人の群れ集うところで作り出され賑やかにざわめく活動の数々のうち、五千年後までも存続し尊ばれるものは、まず、ない。人間以外のものに伝わる価値ともなれば、在り得ようがない。しかし、なにかしら創造しようとする者たちは、つまりは人間を超えて受け入れられるような価値の創出をこそ望んでいるはずではないか。それがあらかじめ不可能とわかっているとすれば、人間一個人のエネルギーはどこに向けられるべきか。
 どこに向けるか、というより、どこに向けないかということを巧みに考え続けないと、人間はすぐにつまらない玩具を拵えはじめてしまう。マシュー・アーノルドがかつて、「薄汚い住まいから薄汚い勤め先に列車で十五分で行けるのを、この頃の人間は文明だと思っている」と書いたが、こんな十五分を捏造して悦に入っているのが、文化だの創造だのという言葉のたいていの中身であろう。もちろん、思索や内省の生を送ればこうした愚を避け得るなどというほど、事は簡単ではない。言語や表象を用いての思考、および、それに基づくあらゆる活動は、デカルトのいうところのコギト、そのコギトの運河を流れていく不自由この上ない小舟であることを強いられ続ける。フェリックス・ガタリは、人間は否応なく非人称であり、前−個人でもあると見なし、コギト以外の存在の仕方を求めるには意識の外に出る他ないと考えたが、エネルギーを空虚な「文化」や「創造」に向けないためには重要なポイントというべきだろう。

   意識の外ということを、古来、「荒野」や「砂漠」という呼び名で人間は表わしてきた。イエスが荒野で行った修行は、物理的にどこかの実際の荒野において行われたものかもしれないが、内的な荒野が伴われていないならば、もとより意味はない。内なる荒野に居続けたということが、イエスという現象の秘密なのである。荒野での修行中、彼に現われたという悪魔は、それが内的な荒野であるかぎりにおいて、内的エネルギーのある種類を意味することになる。聖書に控えめに記されている記述から推測するかぎり、イエスが相当の魔術を体得していたのは疑いようがないが、昔から魔術の実施にあたっては、術師には正エネルギーと負エネルギーの調整が先ずもって必要とされた。いわゆる白魔術を行う場合でさえ、正エネルギーだけでは魔術はけっして成しえないと、ディヴィド・コンウェイも有名な『魔術』(David Conway,? Magic : An Occult Primer, 1988)において明記している。負エネルギーの取扱いが必須であるかぎりにおいて、悪魔と呼ばれるエネルギーとの接触は、魔術師には避けようがない。ここで言う魔術師とは、心身と精神を利用してあらゆる意味で全的に宇宙を探究する者たちをいう。
 こうした者たちのうち、宇宙精神の直接的な感得を五感を超えた感官で行う傾向の強い者については、神秘家と呼ばれるほうが相応しいかもしれない。一般的な魔術師の観念に近いのは、宇宙に照応関係が張り巡らされているとの仮説に立ち、内的表象を駆使することによって宇宙の機構を操る者たちのほうだろう。後者は仮説と広範な知の体系を使用するため、基本的な探究態度は科学者のそれに近い。というより、こうした魔術師たちから科学が派生してきたのは人類の思想史を見れば明らかで、ピタゴラスからプラトンに至る過程で科学化が起こったことや、ニュートンが一身で魔術と科学とを体現していたことなどは、たびたび振り返られるところである。

   しかし、知的に収集される外部情報と、これもまた外部から導入される他ない知的な方法論の駆使に基づく魔術師の探求方法は、正否の検証においてもあらゆる部分で外部的な知に頼る他ない。近代における知が主体の絶対外部としての性質を持っているように、魔術においてもこれは絶対条件である。  これに深い不安と不満を抱き、自身の内奥で宇宙真理と合一したいと望む者は、魔術師や科学者に課せられた態度を進んで放棄する瞬間を迎える。ここに神秘家が生まれる。彼は、万人にいかなる瞬間も付与されている最低限の素材(存在、時間、通常意識、心身に組み込まれている全可能性など)のみを用いることで、直接的全的な宇宙把握を行おうとする。生活面では、あらゆる生活用品を入手しやすい既成のありきたりのもので済まそうとするような、無趣味人の典型のような物質面での無関心が特徴的となるだろうが、重要なのは、知的内的な面においても非所有が顕著になることである。低次霊界に多くの重心を置いている人間の場合、一般に、家屋や家具調度や宝飾品をはじめとして芸術までに及ぶイメージを、生涯にわたって渉猟し、それらに執着し続ける。それらが単に情報として霊体に蓄えられるにすぎない場合は問題ないが、それらの情報に霊自らが価値づけをする場合、霊性は重くなり、次元間の素早い運動が不可能になる。神秘家にとっては、水のようにスムーズな霊的運動性こそが最重要であるため、これは致命的となる。したがって、世間的な華美さや複雑さや所有の多さの対極に、彼の生の核はおのずと向かっていく。
 最後に手元に残るのは言葉であろうが、言葉はもとより外在性そのものであり、照応の術のための器具の最たるものでもあって、魔術師に最も親しい道具である。これをどの段階で放棄するかは、神秘家個々のやり方によるだろう。もとより、放棄し尽くしたかたちで扱うのが可能なのが、言葉というものでもある。内面との関係を一切断ち切った上で、いかにも感傷的に、あるいは誠実に思索しているかのように扱うことが言葉の場合は可能である。この面における言語使用法の探求は、象徴詩や超現実主義詩の時代から始まったわけではなく、数千年を遡る昔にすでに確立されていたというべきだろう。喜怒哀楽を表現しているかのような感傷的な趣きの詩を、稀に、知的な深みに欠くとして軽んじる読者があるが、そうした読者は、むしろ最初の関門において、自分たちこそが撥ねられてしまっていることに気づかない。魔術実践のひとつとしての詩歌の振る舞いは、誠に巧妙にしてあざとい。浅薄さ、くだらなさ、通俗さ、紋切り型、拙さなどには重々注意すべきである。これらほど侮れぬ守衛たちはいない。

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