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64と65のあいだに
駿河昌樹詩葉・2003年7月
六十四号(2002年4月)を作ってのち『ぽ』を休んでいた。
もっとも、発送記録によれば、六十号(2001年12月)以来、どなたにもお送りしていないようなので、実質的に休んでいた時期は、もっと長いことになる。
さらに遡れば、二十七号(2001年3月)を境に、かってお送りしていたうちの、ごくわずかの方々にしかお送りしなくなっていた。四十四号(2001年5月)からは、さらにその度合いが増した。
個人的な詩葉の小さな歴史に関わることであって、もとよりつまらないことではあるけれども、この三年ほどの期間は、今から思えば、かつてないほどの危険な憔悴の時期だったと思える。不運や閉塞は、ことにこの三年間に煮詰まり切って、ついには生活の逼迫を招来するまでに至った。唖然とするほど多くの別離があり、離反と言っていい出来事にも深く揺れた。運命の嵐、とでもいうべき時期が、このように本当にありうるのかと、訝るというより、目を開かされるようだった。
そういう時期に、詩の世界の人々と、むしろ親交の進んだのは、不思議なことでもある。
久しぶりに、と言っても、お送りする先の方々のリストは、かつてのものとはすっかり様変わりしてしまっている。『ぽ』は、詩に関わる方々ばかりでなく、交友関係を保つ意味合いも含めて広くお送りしていたのだが、詩の関係の方々以外のほとんどの名は、もう、リストにはない。
『ぽ』を休んでいたあいだも、書いていた量は少なくはない。
だれにも見せずに書くというのは、悪いものではない。
書かない、というのも、豊かなことである。
しかし、書かないでいるのを守る必要もないし、人に見せないことにこだわる必要もない。
そんな思いを行動原理としながらの、軽い再開である。
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