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ARCH 64

                   駿河昌樹詩葉・2002年4月



車、車、車の 音、風、きらら




ひとの詩は騒音でしかない
芸術という混信の森もぬけて
もはや美などという外交辞令も呟かずに
遠くへ行くなどという浮わついた麗句も逸れ
留まるでもなく
迷うでもなく
中間だの中庸という流行り文句も手にとり直さずに
捨てるでもなく
そう、捨てるでもなく
見出すものなどやはりなく
水はおろか
吸うに値する空気さえ買わねばならない都会に
歩く影ではやはりナシに
方途さだめずさ迷っているでもナシに
数時間後には消費される程度の目的や必要の
あれやこれやに引っぱられ
交互に前に出ていく二本の足の
つまりは 股関節の付け根のタフな滑り
それを支える腰骨と筋肉の
アリガタヤ、永年の頑張り続けにお世話になって
歩いている
歩けているコウフク そのわきを
走り去る車、車、車の
音、風、きらら
店、店、あ、書店、読まず買わぬとき 書店は南洋のカクテル(モウ、
ワレワレニハ、コトバ、ナンカ、イラナイ……)
そう、読まず買わず
音楽封入済プラスチックの店も
聴かず買わねば
オーロラを封じ込めた氷山型のランプオヴアイス

歩くことと行くことはちがう
進むことはもっとちがう
どのあたりから
同義語や類推や照応の癖をきれいに洗い直して
裸足のウラを地面につけ直したらいいのか
そんな地面をさがそうとしたら
浮わついて逸れていっちゃうだろうか
また

感心して一言ひとことに立ち止まり
ふんだんに時間を費やしてゆっくり詩を読んでいた頃
詩人たちはみんな勇敢で
生き方や見方の大先輩たちに見えていた
人生という語は流行らなくなり
心という語も商売用になってひさしい
こだわっているんだ しかし ぼくは人生と心に
人生と心がわからないから ぼくは
詩人が勇敢な先輩でなくなった時代に
股関節に腰骨に筋肉にアリガトウしながら
たったひとつのコトバによってさえ誰とも繋がれない都会で
歩いている
行っているのでなく
進んでいるのでは なおさらに
なく


車、車、車の
音、風、きらら

進んでいる のでは
なく






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