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戦後日本版『ヨハネ福音書』冒頭



           L`homme est ne libre, et partout il est dans les fers .(Rousseau)
            「人間は自由の身で生まれ、至るところで鎖に繋がれている」(ルソー)


           L`homme est ne libre, et partout il a commence a boire .(Coluche)
            「人間は自由の身で生まれ、至るところで飲み始めた」(コリュシュ)



 初めにアメリカがあった。アメリカは神と共にあった。アメリカは神であった。このアメリカは、初めに神とともにあった。万物はアメリカによって成った。成ったもので、アメリカによらずに成ったものは何一つなかった。アメリカの内にエセ主体的自我とエセ民主主義があった。エセ主体的自我とエセ民主主義は人間を照らす近代であった。近代は〈曖昧なにっぽんの私〉の中で輝いている。〈曖昧なにっぽんの私〉は近代を理解しなかった。
 アメリカから遣わされた一人の人がいた。その名はマッカーサーである。彼は証しをするために来た。近代について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は近代ではなく、近代について証しするために来た。その近代は、まことの近代ということに、マァ、なっていて、極東アジアに来てすべての人を照らすのである。アメリカは戦後世界にあった。戦後世界はアメリカによって成ったが、戦後世界はアメリカを認めなかった。アメリカは、自分の極東アジアのところに来たが、極東アジアは受け入れなかった。しかし、アメリカは、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、人の欲によってでもなく、ひたすら物の欲によって、資本主義という神によって生まれたのである。
 アメリカは肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それはフランス革命の独り子としての栄光であって、驕りと虚偽と贅肉とに満ちていた。


*文体は、新共同訳『聖書』(日本聖書教会、一九九四年版)による。






「ぽ」170 2007年2月

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