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まるで人間でも見ているかのように



                         僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果てた。
                         あの幸福な、お調子者のヂャズにもすつかり倦果てた。
                         僕は雨上りの曇つた空の下の鉄橋のやうに生きてゐる。
                         僕に押寄せてゐるものは、何時でもそれは寂寞だ。
                                       (中原中也『いのちの声』)


すこし目をほそめでもして
ひとびとの顔でも見ているほかないのか
それともやっぱり
逸らしたまなざしをどこかに
放り出しておくほかないだろうか
田んぼでは稲が鳴っているだろうに
山では枝が音立てているだろうに
海では盛大に地球の宴が続いているだろうに
ここではゴム鞠のようなあぶらっぽい顔が
ぺたぺたと静まって蛍光灯の下に並んでいる
こんな時間にべつのこんな時間を重ねて
にんげんとかいう船はどこへ向かっているのか
からだなんて持っちまったものだから
こんなところにとっ捉まっていないといけない
息をするのも唾を飲みくだすのも飽き飽きだ
それなら死んじまえという結論にも飽き飽き
さっきはゴム鞠のようと言ったあの顔々を
こんどは茹で蛸の古いやつと言ってみようか
ヤカンの表面が蕩けて皺のよったやつとでも
そんなこんなしながら結局のところやっぱり
まるで人間でも見ているかのように
頭骸骨にまだ肉と肌がついているやつらを
虹彩の間に取り込むふりをしていくのか





「ぽ」212 2007年12月

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