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思惟の古代のように



それに対して問いを発するために、幽霊に声をかけることができるのだろうか。誰に?彼に?マーセラスがまたしても、かつ用心深く言うようにそれに?《Thou art a Scholler ; speake to it Horatio[…] Question it》〔君は学者だ、それに話しかけてみてくれホレイショー[……]それに問いかけてみろ。〕
                その問いは、もしかするとひっくり返すに値するかもしれない。すでに何らかの幽霊が再来していないならば、一般に言葉を宛てることなどできるのだろうか。少なくとも正義を愛するならば、未来の「学者」、明日の「知識人」はそれを学ばねばならず、しかも彼から学ばなければならないだろう。彼は、幽霊と会話することを学びながらではなく、彼または彼女と話し合うことによって、彼〔女〕に言葉をゆだねあるいは返すことによって、たとえそれが自己のうちであっても他者のうちに、自己のうちの他者に対してであってもそうしつつ、生きることを学び=教えなければならないのである。というのも、彼ら、すなわち亡霊たちは、たとえ彼らが存在せず、たとえもはや存在せず、たとえまだ存在しなくとも、つねにそこに存在しているからだ。彼らは、われわれが口を開くや否や、「そこ」を再考すべく与える。たとえコロキアムにおいて口を開き、とりわけ外国語を話すときには。
ジャック・デリダ『マルクスの亡霊たち』(増田一夫訳、藤原書店)




すべて終わってしまったような夕暮れ
今夜食べるもの二つ三つと
あした入用なものをすこし買って
路地をたどり
ひとり帰る
生活のなかでは
なにが終わったというでもないのに
どうした心だろう
やるべきことが
ふいに消え
守るべきものもない

洗面台で手を洗っていると
さっきのマーケットのレジ係の横顔や
何年も前に海辺で撫でた子猫
昔の夏祭りで握った次姉の白い手などが
いっぺんに頭をよぎる
どうした心だろう
順番などすっかりいい加減になって
記憶がランダムに
勝手に浮かんでは消える
いちどにたくさん浮かんでは
しばらく残る

知らずのうち
ひょっとしてこの人生の課題を
終えてしまったのか
あとは休憩していれば
いいのでは?
思い出されてくる
前世という言葉
生まれかわりがあるのなら
こうしている今が
つねに前世

たぶん来世のわたしは
おなじ心も考えも持っていないだろうが
いまのわたしが
もう少しちゃんとすれば
そのぶん幸せになったりするのだろう
なにもできなかった
今生のわたし
だが未来のひとりの人間の心を
救うことは
まだ
できるのかもしれない

台所から
夕陽のふかい赤を見つめる
不幸だと思いつめてこなかったか
なにもうまくいかないといじけてこなかったか

しかし 美しい夕陽

これが目に染み
心に染み
記憶に染みわたり
そうして死んでいくなら
わたしのからだの原子のどこかに
素粒子の回転のわずかな変化や
軌道のずれのようなかたちで
この一夕の美は残っていくことはないのか

心とはなにか
心を持って生きるとはなにか
いつか死んで
消滅していくと知っているとはなにか
そうして美とはなにか
この夕陽を美しいと思い
美しいとわたしは言う
わたしは書く
そういうわたしとはなにか

すべて終わってしまったような
この夕暮れ
生活の
なにが終わったというでもないのに
やるべきことが
ふいに消え
守るべきものもない

どうした心だろう
わたしは驚き
思いつくものすべてについて
古代のひとたちに戻ったように
思惟の古代のように
あれはなにか
それはなにか
と自問しつづける





「ぽ」229 2008年1月

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