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こころの旅が終わる



人跡未踏だったのに
世界遺産に指定されると
あそこも
ここも
一大観光地
生態系は引っかきまわされ
なかったはずの花が咲き
いないはずのカエルが跳ねているそうな

あんなところにまで観光に行く
人々のエネルギーに感心
いいとか悪いとかいう前に
あの機動力には脱帽

大枚はたいて
あんな苦労をしていくあそこ
なのに
ひとつとして
新奇なものがないように見えるのは
まちがい?
空があり 地があって
人は飲み食いせねばならず
金をかせがねばならず
後は推して知るべし
どこであれ人のいくところ
人の理屈
金の 人脈の 自己顕示の
古くからのお話

むかし知りあいだった
若い理論物理学者さんは
電車から降りるのを
いつもいつも忘れながら
数式いっぱいの紙に没頭していた
ふだんは街から出ることもないのに
なんと遠いところにいた彼だろう
人が自分たちの理屈を捨てて
宇宙の理屈に降伏しないといけないところ

どこにもいけないのに
どこかにいこうと
忙しかったむかしのぼく
でも今は ちょっとはわかっている
もうどこにもいかないし
心の旅は終わり
未来はいらないし
過去に戻るのでもない
ここにいて
このように呼吸している
尽きず湧いては消える
さまざまの思い
心は ようするに川で
それをどうこうしようという必要は
なかった
求めるものも極めるものも
もう ない
だれかにわかってもらいたいこともない
自分の喜怒哀楽にも
あまり関心はない
主張したいこともなかった
はじめから
ほんとうはなかった

これからどこへ行こう?
これからどうしよう?
こんな思いがよくなかった
ここにいたら いい
ぼくをここに連れてきたものがあるなら
そいつに任せきったら いい
どこにいても
どういう時でも
体と心だけを生きていれば いい
万人に平等に与えられているものだけを
生きていれば いい
それだって
大げさに考える必要はない
わざとらしい集中もいらない
唱える特別な言葉などいらない
雑踏から離れる必要はない

与えられた体の
自然な欲求を尊ぶぐらいで いい
そこからは悪いものは来ないのだから
不自然に求めすぎる時に
悪いことはすべてはじまる
どうしてぼくらがここにいるのか
どうすればもっとモノは豊かになるのか
どうすれば心は満ち足りるのか
そんな質問も
いけない
問い過ぎては
いけない
ぼくらは多くの層が一致することでできているのに
なんであれ
やり過ぎはそれを崩してしまう
ぼくらの層の一致を保ったままで
できることをする
それだけしかしない
そうすれば迷うことはないだろう
そこから自然と地図が生まれ
そこから自然と
ひとりひとりのための道が生まれる

もうどこにもいかないし
心の旅は終わり
そろそろ喜怒哀楽と
よそ見の季節は終わり
なにかの思いにとり憑かれるのでなしに
ほんとうに生きたことはある?
なにを、でもなく
なにとして、でもなく
ただ生きる
生きる‐したことは
ある?





「ぽ」282 2008年4月

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