[ NEXT ][ BACK ][ TOP ][ INDEX ]


わたしn1とわたしn2、その他







        万法すすみて自己を修証するはさとりなり。
        …自己をならふといふは、自己をわするるなり。
                 道元『正法眼蔵』現成公案




雨音がわたしを聞いている
そんなに記憶の深さを頼みにしちゃあ
いけないよね
薄い心の暮らしを
うまく運ぶのがいちばんいい
爪を見る
爪が光っている
爪はわたしの瞳を見る
瞳が光っている
光りあっているわたしn1とわたしn2
きみたちを
部分とはもう呼びません
きみたちをわたしと呼びます
お皿を洗うと
わたしn1旧名「爪」が洗剤の泡の中を生きる
泡の中からわたしの顔を覗いているね
白い繭のような泡の中から
きみは世界を白く見続けているね
そんなきみの居場所の外郭を
見続けるわたしn2旧名「瞳」の
表面の潤いと震えよ
きみたちのことも
これからはわたしと呼ぶ
もっとも微かな空気の揺れにもさざ波立って
飽きることなく
潤い続けるわたしn3よ
震え続けるわたしn4よ
きみたちが感知し続けている
広がりと窄まりを
そのまま受けとめようとすれば
雨音がわたしを聞いている
空気がわたしを抱いている
時間がわたしを育んでいる
空間がわたしを整えている
おお手のひらよ
わたしn5よ
窓が呼ぶままに
開閉が呼ぶままに
伸びが呼ぶままに
動きが呼ぶままに
外に雨を受ければ
きみは雨に濡れた手のひらとなり
わたしn6となる
新たなわたし
旧名「雨に濡れた手のひら」よ
雨音の中に
邂逅を生み落とすきみの
そこからの
広がりと窄まりも
そのまま受けとめようとする





「ぽ」319 2008年8月

[ NEXT ][ BACK ][ TOP ][ INDEX ]