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気のきいた言葉さえ交さずに


          人はよくもいへあしくもいへ、うけひきがたし。ただ己に恥づ。
                        大隈言道『こぞのちり』





批判の路肩を細くたどって
震える
爪先立ち
みんななにか主張したいらしく
意見を持っていると見せたがっているらしく
もう秋だというのに
秋だからこそ
主張などしないと見せたがっている人たちもいて
わずらわしい
そんな沈黙
無視や無反応は
はじめから織り込み済みで
すべてやっているというのに
してやったりとでも
思っているのか
蜃気楼の立つ
海にいつからか
いて
見え透いたことをする人たちを
見透かしていて
なにか悪いでしょうか
見たこともない
美しい蜥蜴が行くといっても
みな
だれかにすでに発見されている蜥蜴
種カ個カソレガ問題ダ
わたくしが見たのは
種だったのか
個だったのか
わたくしを見つめたあの瞳は
種だったのか
個だったのか
種に見つめられたのか
個に見つめられたのか
神ハ種カ個カ
宇宙ハ種カ個カ
では
わたくしは
と沈潜していくのはもう止める頃でしたか
ゆらゆらと星が
こんな地面ちかくまで降りてきて揺れているのです
おおわたくしには基盤もなく
未来の僅かな確かさもない




という言葉を最近直截に使っていない
死に絶えた
なにかを含み持つ言葉
みんな老いてしまったのだ
みんな遠ざかっていくのだ
はじめから誰もいなかったかのように
わたくしはひとりで文字を書く
車が行く
雑草が風に揺れる
なにが確かなのですか
コーヒーをもっとください
わかりやすい話
わかりにくいまなざし
大事なメモがあったような気がするが
どこにいってしまったのか
親しかった道具たちも
古い知りあいからの
簡潔な季節の挨拶のよう
あっさりと儀礼を守るだけで
うるおいも
こころもないのです
わたくしは濡れそぼちたい
わたくしはもっと生きたい
ほんとうに生きることを生きたい
それはこういうことではないのです
どいつもこいつも
種ばかりではないか
ほんとうに生きることを生きたい
都市は
都市というふさわしくない呼ばれ方をしながら
崩れていく
解けていく
都市の生の肌に触れないままにわたくしも褪せていくのか
暮れ方のひかり
ほんとうの血は濃いオレンジ色かもしれない
せつない列車の音がせつない
ざわめき残りなさいせめてせめてせめて
過ぎ去る影などと呼んで
なにかを言った気になるなよシェイクスピア
バーナムの森がダンシネインに近づいてくる
近づいてくることをやめず
世界の動きはいつも
マクベスの滅亡の少し前で停滞している
降参などするものか
生も死も
疲労も怠惰も
みな
概念にすぎない
概念に肉を与えるな
あるいは概念から肉を剥ぎ取れ
簡単に人間などと自称してもいけません
それも概念
もう過ちを犯している
どこまで表象なしに空気を吸い
水を飲むか
土に触れるか
概念に肉を与えるな
降参などするものか
他人はどれも亡霊
生きているかのような声
だれのためでもなしに
だれにも聞かれずに
まわり続けている水車の軋み
来る
来る
来る
見えなかったものがあんなに大挙して
いちどは
声に出してみなければならないもの
記してみなければならないものが
ああなんといっぱいあるのか
なにも求めない旅のさなかだからこそ
深く出会った人びともあった
花一輪さえ摘まず
気のきいた言葉さえ交さずに
わたくしたちはすれ違っていった
通過こそ神の居場所
そう!
わたくしはいま開いた
ここから噴き出してくるものに濡れよ
待っている
泉がある
森がある
林がある
猶も
それらのために生きる
死はない
終はない
死と終の概念から
肉を削いでいきますから
通過こそ神の居場所
深く出会った人びともあった
花一輪さえ摘まず
気のきいた言葉さえ交さずに
わたくしたちはすれ違っていった





「ぽ」318 2008年8月

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