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東西南ぼく


   何が記述したいか。私と砂漠との関係である。
           (色川武大『ひとり博打』)




ぼくが書いているのは詩だそうだ
ぼくが書いているのは詩ではないそうだ
で、あなたのは?
あなたが詩だとみなしているあれらは?

―ここで詩人振りさんたちや文学に造詣の深い人々とはおさらばでござい
造詣ってたいてい骨董屋ってことだったりする
骨董屋けっこう
でも骨董屋は骨董屋
生肉や娼婦は売れないだろ
ぼくがほしいのはそっちなんだけどね

何度も言うがぼくが詩人だったことはない
数年前から本音なしの冗談ばかり日常言語で構成するようになって
ときどき「詩人みたいなもんです」と言う
自己アイデンティティを留めるセロテープとして
この国では五〇年代頃から八〇年代まで詩は流行ったらしい
セロテープは干からびるね
どんなにお金を使って詩集を出しても自己満足である
どうせなら安く自己満足しようと思うねボク的には
詩集だけじゃないよ
ほとんどの新書がうちにはある
どれも古い卒塔婆のよう
売ろうとしても五円にもならない
まいったね
まいったよん
そこで実は一〇年前に思いついた
いくつかの古本屋から
持っていない新書ぜんぶ買うからとにかく知らせてピョン?
そこでますます完備しちゃっているわけなのよン
ハードカバーもそう
長くなるからこのお話はここで終わり

ぼくオカマ
うそオカマ
図書的オカマ
だって読書って時間の浪費だよピ〜ン
だって本に触れるのさえ時間の浪費だよミ〜ン
浪費ってのはカマ掘られることだッピ〜ン
いつも迷うのはホイットマンコに掘られようか
それともおんなじ時間に
便ヤミンに掘られたほうがいいかしら
迷うのよねェ
迷うピョン
それでいつのまにか朝でしたン
なぁんて年中
掘られそこなった朝の光は
わびしいのよねェ〜

中略。
ほんとうの詩人に
ぼくが讃辞を送らないはずはない
ぼくは純粋で誠実
ぼくは繊細で真摯
ほんとうの詩を読み逃せば
ぼくの損失

注意。
いま書いているこれは詩ではない
詩というのは散文と同じ統語法を使ってはいけない
せめて
詩と使っ同というのは散いなけい語は法文じ統てを
せめてね
ねめてせ
こうした瞬間から勃心しちゃうのよ
しないと、ダメ
いやんいやんしちゃうからン
あたいほんとに意味と日常言語がいや
囚人の真新しい服を噛み噛みして雑巾絞った水飲まされてるみたい
と書きながら
ダッサイ比喩してんのォ、いやんなっちゃう
とゲロる
心的ゲロりである
ぼくのなかには骨董屋がいる
骨董屋は骨董屋
ぼくのなかにはエセ文学気取りさんがいる
ひょっとしたら丸ごとそれかもしれないピョ〜ン
エセ文学気取りさんはエセ文学気取りさん
大学文学部にいっぱいいるような
詩人バーにいっぱいいるような
朗読会なんぞにはごっそりだジョ〜ン
そういうとこに
行くの嫌ってひとりで超然と
日常生活してるのも
すっげえ気取りだぜ
みんなぼくのことだッピョ〜ン
気取り屋さんは気取り屋さん
いんちき
うそ
イヤダヨォ、このヒト

中略。
散文を書く時にはぼくは人格と思考法を変える
ことにしてるし
できるんだな、これが
散文を書く時には気取っている暇はニャイ
エゴ顕示を扱わないからニャア
しかし切実なテーマを扱っているわけでもニャイ
そんなもんニャイよ
でも面白いと思ってるよ
いつも思い続けてるよ
どのテーマも
どれもしっかり考えたいね
そばにいるね
とはいっても
すぐに取り換えちゃってもいいんだな
政体のように
国体のように
倫理のように
主義のように
趣向のように

ぼくがほんとに好きなのはなんだろう
ぼくの
ぼくなる意識にそう関係のない
ぼくの肉体の
不明瞭なもやもやした
自分のからだ感覚が
好きなものって?(けっこう
強引なテーマチェンジだけど
こんな程度でいいしあるべき
だねそうしないと足をすくわ
れちゃうんだよね自由詩には)

カキフライ。
揚げたての
質のいい奴ね
コロモの薄いの

ほんとに嫌いなのはなんだろ?
自己規定(私は詩人として/私は教師として/私は夫として…おっとっと、)
ライフワーク(余生は詩歌の本質の見直しに捧げたいと…おっとっと、)
良識的発言(中東の平和のために、イスラエル政府には…おっとっと、)
みんな最下等の死者の仕事

あ、「最下等」も「死者」も
褒め言葉じゃん!?
いヤいヤいヤいヤ、
マいッタネェ〜、こりャ
褒むべきかな
聖ことばよ、
みな褒め言葉

いヤいヤいヤいヤ、





「ぽ」330 2009年1月

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