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と、白秋さん




(からまつの林を過ぎて、
(からまつをしみじみと見き。
(からまつはさびしかりけり。
(たびゆくはさびしかりけり。


と、白秋。


ずいぶんと傾向のちがう詩の雑誌を何冊かもらって
読んでみたらやっぱりつまらなくって
読み終えられませんでした
一誌はやけに物語っぽいもの
一誌はとにかく意味がわかりづらいもの
その他
だいたい似たようなもの


ところがある一誌は
どこかの地区ののんベえが集まって
演歌もどきの戯詩を集めたもの
やたらとヘンに韻律が整い
現代風どころか
モダンのモの字もないような
情緒テンメン
愛恋
未練
イイノ
ダレニモ知ラレズニ
愛シ尽クシテ
アタシハ死ヌノ
そんな言葉の連続が
あとから
あとから
続いている


気持ちよかったのだよ
それ
しばらく前から
詩は内容じゃないと思ってきていたのだが
やっぱりそうだなぁと結論
どうして現代詩が完全な無駄事に終わってしまったか
どうして中也なのか
どうして賢治なのか
どうして道造なのか
どうして白秋なのか
どうして朔太郎なのか


韻律なのだ
寂しさなのだ
嘆きなのだ
悲愴なのだ
自我の消滅なのだ
あとは
どうでもいいんだよ


(世の中よ、あはれなりけり。
(常なけどうれしかりけり。
(山川に山がはの音、
(からまつにからまつのかぜ。


と、白秋さん。



「ぽ」343 2009年4月

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