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時間のことがまだわからない




ありふれた日用品
国際ホールの庭の大きなオブジェ
目にみえない埃
どれからも
透明な水飴のように
おなじ向きに伸びる線
そういうのが
時間?


ながく地上にいるのに
時間のことが
まだわからない
すべての存在を乗せて
一定の速度で
一定の方向へ進み続ける
巨大な動く歩道
どうやら
そういうものでは
ないようだが


日曜日
スピードを落として
ゆらゆらと進んでいく
動く歩道に
腰のまがった老婆と
その娘らしい初老の女性と
そのまた娘らしい
若い母
手を繋がれている男の子は
大きなキャンディーを
ぺろぺろ
みんな
一定の速度で
一定の方向へ進み続ける
見ているぼくも
おなじく


そういうのが
時間?
いやいや
でも
そういうのも
時間
そういう時間のなかに
みんなで乗って
数十回
数千回
数億回の
生まれ変わりの
春夏秋冬を
過ごしてみる
送ってみる
そんな寛容と忍耐を
宇宙はぼくらに望んでいる?
かもね
そんな気はする


そういうのが
時間?
いやいや
そういうのでない
時間のことを
考え続けて
一定の速度で
一定の方向へ進み続ける
すべてを見ている


ながく地上にいるのに
時間のことが
まだわからない
すべての存在を乗せて
一定の速度で
一定の方向へ進み続ける
巨大な動く歩道
そこに乗りながら
速度も方向も
まちまちの時間を
見ようとし続けている
流れない時間
無方向で
過去と現在と未来が
一致し続けている時間が
きっとある
そこに指一本でも
差し入れてみたいのだ
動く歩道が
終点に行き着く前に


男の子よ
そろそろ小さくなってきたね
キャンディー
さっきまでの大きなかっこう
袋に入っていた時のかっこう
やがてなくなって
棒だけになってしまうかっこう
それらのあいだに
線状の流れを仮定するだけで
きみは満足なのか
そんなイメージでいいのだと
きみはほんとうに思うか
きみのぺろぺろする舌と
時間はむつみ合ったり
胃に入り込んだり
やがて汗になって出てきたり
するものではないのか
どんな物質も時間でできている
どんな物質も
壊れながらふたたび
時間を解放し
解放
分解
破壊
はつねに生産なので
また凝結する時間が出てくる
で?
で?
で?


ひとつ前までの状態をすべて内蔵しながら
たえず上書きを続ける強力な不可思議なしくみがある
それがぼくやきみをつくり
つくられた瞬間から
ぼくときみはそのしくみそのものにもなっている
男の子よ
ぼくの感じるところでは
時間とは無際限の強粘着性の海
あまりに濃密度
あまりにすべて
どの地点も他のあらゆる地点と直接結びついていて
地点相互のあいだに距離はない
地点AはつねにA以外の地点
したがって地点AからBへの移動はいつも比喩にすぎない
つねにA=Bである場合の運動とはなにか


(なんていう詩だときみは思うかもしれない
 しかし詩は抒情や言葉遊びだけの具ではない
 体制や流行へのすり寄りや抵抗のためだけの具でもない
 文章にすれば発生してしまう拘束や論理を外して書ける書式
 叫びにもメモにもなれば文章を超えた超文章機能も入れられる
 古代ギリシアの哲人がすべてを詩で書きあらわしたのも偶然ではない
 ここでは詳述しないけれど
 この数百年の不自由な思い込みからなる詩形式に操を立てるなんて
 ちまたの詩人気取りさんたちに任せておくがいいさ)


面白い終わり方だ
問いに答えきってもいない
しみじみした情感に持っていこうともしない
かといって工学系の詩人気取りがやりがちな記号の関係性記述にも陥っていない
開かれままで
まだ始まってもいない世界への入口に立ったままのような
とりあえずの
終わり方


大宇宙のなか
四方からの風を受け
一定期間
唯一点を占める
きみのぺろぺろキャンディー



「ぽ」344 2009年4月

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