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るり るり と口ずさむ

我生の美しき虹皆消えぬ (高浜虚子 昭和三十二年)





るり るり
  るり るり と口ずさんでいたら
                 気づいた

           (きょうは五月七日… あ、るりの… 命日…)

るりとのつきあいは
どれもこれも ふつう
特別なことがなんにもなかったので
命日といっても
わざわざ思い出して
書きつけるほどのこともない

るりは水やミルクがきらいで飲めない娘
ちゃんとしたご飯も食べ慣れなくて
朝食にペストリーを食べたり
喉がかわくたびにファーストフードでジュースを買ったり
夜はいつもファミレス
体をこわして三十になれずに死んでいった
そんなところは特別かもしれないけれど
るりの友だちはみんなそんなふうだったそうなので
やっぱり特別じゃない
そういう人たちの世界もある
スーパーや食料品店に行くことができずに
せいぜいコンビニぐらいにしか入りづらいという人たち
特別じゃないわ
みんなそうよ と
るりはよく言っていたから

あんなに親しんだのに
抱かなかった唯一の女の子
表向きは
るりに愛人がいたからで
るりはその愛人からマンションも車ももらっていたからで
でも
ほんとうは
コノ子ハ長生キシナイカラ 深ク関ワルト苦シム
と思ったから?
何度抱きついてきても
受けとめるだけで 抱き返さず
カレシに悪いじゃん?
と体のよい逃げを打った
逃げを打ちながら
それでも会い続けたのは
るりが
美しかったから?
いや もっと親しいものを感じていたから?
かわいかったから?
妹みたいに?

と 今でも自分に問おうとして
口ごもる
妹みたいに親しく感じていたのなら
どうしてあんなにキレイにつきあい続けた?
戸外で出会う猫に
気の向く時にエサをやるだけで
けっして家には入れまいとするように
るりを心の家には
入れなかった?
けっして?

いちどイタリアンに行って
せっかく注文したスパゲティを少ししか食べず
ジュースを三つも頼んで
るりはそればかり飲んでいた
まずかった? と聞くと
そんなことない
でも 味に飽きちゃったの
ごめんね 残しちゃって
いつもこうなの
同じ味のスパゲティがあんなにお皿に乗ってると
死にそうになってくるの
だからコンビニで買う時は
ちがう味のをいっぱい買うんだ
どれもちょっと食べて捨てちゃうんだけどね
しょうがないの
息が詰まって死にそうになるんだもの

それ以降は
行くのは るりのマンションか
ファミレス
レンジで温めただけの料理なら食べられるなんて
どういう生物 きみは?
そう思いながらも楽しくて
たいしたことを話してもいないのに
るりもぼくも楽しくて

どちらかといえばファミレスのほうが
よかったかな
るりの部屋に行くと
ぼくにはペットボトルから
ウーロン茶や紅茶を出してくれたけれど
いつも古くて
味がかわっていた
これ いつ開けたやつ?
聞くと返ってくるのは はやくても五日前とか
十日前とか
るりが飲むジュースは回転がはやいけれど
お客に出すお茶は
冷蔵庫で酸化してばっかり

五月七日が命日だなんて
いい加減
るりが死んだのを知ったのは何ヶ月も後のことで
連休明けに死んだと人伝えに聞いただけのこと
連休明けならいつが
るりの死ぬのに似合っているか
ずいぶん考えて決めた
どの日でもよかったけれど
七日なら
るりらしいし

それに
あれも五月七日だった…

るりがぼくにティファニーの香水をくれて
ついでに山下公園まで夜のドライブ
喉がかわいたるりは
いつものようにファーストフードでジュースを買い
氷川丸の左側で手すりにもたれて
ぼくらは風にふかれた
なんとなく片足を柵にかけて海を見ていると
かっこつけてるじゃん? と
るり ケラケラ笑う

あの宵
公園の海沿いは賑わっていて
るりとぼくはお祭りの中にいるようだった
どんなカップルもそうするように
横浜に来たからというだけの
夜の山下公園のお散歩
特別なことはなにもなくって
ありきたりで通俗な
ぼくらのお散歩
でも ほんとうに楽しかった

ありきたりのことを人がする時には
いつも相手は
かけがえのない人
そうしながらぼくらは
人類という織物を
飽きもせず紡ぎ続けていく

るりが死んでからも
山下公園にはなんども行ったけれど
ぼくはいつもあのあたり
氷川丸の左側のあたりの柵に佇んでしまう

買ったばかりのジュースの紙カップを持って
とんでもなく高いハイヒールで歩いてくる
あの夜のるりが
あそこにいくとよく見える

るり とても好きだよ とか
これからはちゃんとつきあって
いっしょに生きていこうよ とか
そんなことを言うのに
絶好のお決まりのロケーションだぜ
とは思いながら
けっして言うまいと覚悟をきめて
冷たいジュースを揺らして氷を音させながら
いつものようにぼくの胸に
きっと飛び込んでくるはずのるりの姿が
見える

心底こころを奪われて
永遠にぼくのこころを奪っていってしまったままのるりが
見える

今もあいかわらず近づいてくるるり
近づいてくるままの姿で
永遠となったるりが
見える





「ぽ」111 2006年8月

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