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密着して温もっている


「こいつが一番よく君を覚えてゐたよ。」と、人差指だけ伸した左手の握り拳を、いきなり女の眼の前に突きつけた。
                   川端康成『雪国』





梅雨の頃には浅いあさい愛のために
ほてるに寄るのがうれしくて
だれでもよかった相手に
決まって
やっぱりきみとでなければ
と言いながら
汗を流した後のからだをシーツに投げて

なんどもやるので仕舞いには
膝や腰は疲れてくるのに
輝かしく張りきったままなので
もう擦り切れちゃうからと
もう息がつづかないからと
芯の抜けたように横たわる相手の背に
落書きでもするようにしてから

バスに浸かりにいく
ひとりには大きすぎる浴槽
七色に照明の変わるバブルバスに
鼻まで浸かるようにして
このほてるのこのバス、ここに

いない
いてもいなくてもいいようなところだ まったくここは
と、
  つくづく思う
  つくづく

うれしかったのだ それが
梅雨のほてるにだれでもいい相手といて何度も
まじわった後のバブルバスの中で

シーツをくちゃくちゃにして横たわったままのからだの
股のあたりに鼻をかるく押し当ててみても
ふいの熟睡に陥って微動だにしない

そんな相手もあった

名前も顔ももう忘れてしまっているのに
からだの箇所箇所ばかりが手のひらに広がり
肌のすべりぐあいが指の先に蘇り
入った先のぶつかりぐあいが
輝かしく張りきったかたちのそこここに
密着して温もっている





「ぽ」135 2006年8月

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