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ARCH 26

      駿河 昌樹 文葉 二〇〇六年九月
        トロワ・テ、Trois thes。仏語で「三杯の茶」。筆者居住の三軒茶屋は三茶と略称される。
        すなわち、トロワテ。ひたすら、益体もない文章のために。




散文精神のほうへ
 倉田良成『ささくれた心の滋養に、絵・音・言葉をほんの一滴』の「はじめに」と「おわりに」をめぐって



                      労働を愛せよ。さもなくば、愛を労働せよ。
                       (ジャン=リュック・ゴダール)




「芸術」から遠く離れて

 久しぶりに一緒に酒を飲んだ際、詩人の倉田良成氏から、「あなたみたいに芸術に触れていない人にはわからないだろうけれど…」という意味のことを言われた。氏の芸術論集『ささくれた心の滋養に、絵・音・言葉をほんの一滴』が笠間書院から出版されたばかりで、私があまり熱意をもってそれを受けとめなかったと見えたことへの、遠まわしな批判でもあったろうか。
 氏のこの言葉には即答しなかったが、帰宅してから、
「僕はそんなに芸術に遠い人間にみえるかな。画家でもないし、美術史家でもないし、美術について書くつもりもないけれど、まったく興味がないように見えるものかなあ…」
 と妻に聞いた。
「さあ… でも、大学に入るまでは画家になろうとして絵ばかり描いていたり、二十年もフランスの各地の大小の美術館を巡って鑑賞を続けたり、教会や聖地の廃墟を巡り続けたり、何十回行ったかわからないパリでは、ルーブルもオルセーも何度も再訪して細かく見て廻ったりしたわけでしょ?そういう人が『芸術に触れていない』のだとしたら、ずいぶん敷居が高いものよね」
 そういう妻も、西洋美術史を学びにオーストリアへ留学した経験がある。向こうへ行ってみて、幼少時からヨーロッパ美術に浸かって育ってきた西洋人たち相手では、どんなに一東洋人が勉強しようと適わないと痛感し、さっぱりと諦めて帰ってきた。彼女は宝飾品やファッションや美食に関わる仕事を選んだが、それとても無論、なかなか及びがたい世界には違いない。数千万円のものにいくら頻繁に触れても、数億、数十億のものには簡単には触れられない。歴然たる経験の差がそこに生じてくる。軽佻浮薄の代名詞たるセレブたちを、知識人がいかに馬鹿にしようと努めても、日々、当然のように億単位のものに囲まれて生きている人々とそうでない人々の間には、絶望的なセンスの差が出てくる。
「芸術に触れていない」と見られても、今の私の生活様態においては、なんら支障はない。不快でもない。むしろ、中途半端に「芸術に触れて」いると思い込むことの滑稽さが思われる。知人たちの中には、専門の美術史家もいれば、長いあいだ美術に親しんで、通り一遍でない趣味と詳しい知識を持つアマチュアたちもいる。文芸の領域にいながら、特定の分野の美術について著書を持つ人々もいる。音楽家もいれば、彫刻家やデザイナーや写真家、パーフォーマーもいる。彼らを見ていれば、「芸術」への触れ方の無限の可能性に圧倒されざるを得ず、安易な芸術通気取りの馬鹿らしさを思い知らされるのだ。
 氏の批判は、文芸趣味の人間が言語表現以外の領域に一歩踏み出す際、往々にして陥りがちな自己過信の危険を示すものと見えた。誰にでも、美術や音楽や演劇などに異常なまでに関心の湧く時期がある。生業とはしていないのに、恒常的に、それらのいずれかに強烈な趣味を持ち続ける人々もいる。芸術品に触れての感想や思索を記す人もいれば、ひたすら口頭で語り続ける人もいる。なんら表現しない人々もいる。彼らに触れるたび、いずれの人々にも、私などは及びがたいと思わされる。興味だけはひろい私だが、こうした人々の関心や思いの深さには、とてもではないが敵わない。興味がひろいからこそ敵わない、とも言える。展覧会に行っても、演劇や映画を見ても、CDひとつ聴いても大いに心が動き、多少の知識は持ちたく思い、深めたくも思い、なにか書いて思索してみたい気持ちにも苛まれるが、各分野の専門の批評家たちで溢れている現代において、せいぜい一介の文芸趣味人であるに過ぎない私が、浅薄とも滑稽とも映らないようなものをいかにすれば書き得るか、考えるだけでも、難しさに圧倒される思いがする。こういう場合、書かないという積極的な選択があってもよいはずで、それなりに合理的な選択であろうとも思える。


素人性ということ

 氏の、「あなたみたいに芸術に触れていない人にはわからないだろうけれど…」という発言を聞きながら、一瞬、ヒヤッともした。私自身、いつ陥るとも知れない危険を目の当たりにした、と思った。
 ひとりの人間の経験や精神というものは、外見を見ただけではわからないし、多少のつきあいを持った程度でもわからない場合が多い。小林秀雄が『批評家失格』の中で、「探るような眼はちつとも恐かない、私が探り当てて了つた残骸をあさるだけだ。和やかな眼は恐ろしい、何を見られるかわからぬからだ」と書いているが、どんな分野でも、切れ者と見えない地味な風体の人ほど恐いものはない。とりわけ芸術や文芸の領域ともなれば、基本的には趣味と娯楽の世界であるだけに、最も手厳しい鑑賞家や批評家は素人の中にこそいたりする。
 芸術論集を出した倉田良成氏の強みは、まさに素人であるところにこそあった。行き当たりばったりに、なんでも鑑賞してやろうという意気込みのある論集は、純粋な意味で、ボードレールの好んだ、いや、余儀なくされたフラヌールflaneur性を、つまり、好奇心旺盛な気ままな散策者ぶり、そぞろ歩きぶりをよく発揮している。プロの美術批評家ならけっして行わないはずの雑多なテーマの集積、美術史家なら真面目に受け取りさえしないであろうアマチュアの感想や考察の数々、あれらが何らかの意味を持ちうるのは、どこまでも素人であることにこだわり続ける著者の姿勢あってこそである。
 だが、自分が他人よりも多く芸術に触れているなどという思い込みが少しでもあれば、すべては崩れ去る。そんな思い込みは、数え切れない専門家たちや、病膏肓に入るまでに到ったアマチュアたちの継続的情熱や見識の前では洒落にもならないからだ。
 専門家性において太刀打ちのしようがない者が、この専門家飽和時代、芸術をテーマとして本を出そうと企てるならば、いわば徹底的なまでの素人さを売りにでもしてみる他にはない。だが、いったん素人としてのステータスを売りにするとなれば、世間一般、みな何事かについての素人で構成されている以上、その競争率たるや凄まじく高い。群を抜きん出た面白さと視点の奇抜さを誇示できる素人でなければ話になるまい。専門的な論文としての評価の埒外にある以上は、氏の芸術論集の評価はこうした視点からこそなされる他ないということになろう。


「本物」の本物性

   氏の論集の「はじめに」を読むと、素人性ということ以外に、氏が幸運にも「本物」の芸術と出会ったということが、この論集のもうひとつの重要な売りであることがわかる。「ここ数年、絵画の鑑賞も含め、ライブというものに目覚めてしまった」氏は、「復元機械を通さない、物理的な意味での文字どおりの実物」に出会おうとし、「展覧会、コンサート、また催事など、いろんな町歩きをし」、「感動や深い覚醒をもたら」されたという。
「本物」や「実物としての迫力」ということに関しては、誰であれ異論はあるまい。問題なのは、そんな当然のことを、どうして今になって説かれねばならないのか、そこのところにさほどの説得力があるとは思えないという点だ。しかも、「実物としての迫力」に「目覚めてしまった」のも「ここ数年」のことに過ぎないのかと思うと、読者としては、なんとも頼りない気持ちにさせられる。そんなことには、誰だって子供の時分から気づいていようから。
 しかも、出会った場所が「展覧会、コンサート、また催事など」という人工的に演出された商業空間なのだとすれば、ここで氏が大事にしている「本物」なるものの「本物」性は、そう簡単に信じるわけにはいかない気がしてくる。氏がガラス越しに眺めたであろう芸術品には、たびたび素手で触れて確かめ、研究している人々の存在がある。ある場所で氏が聴いた音楽を、世界の別のよりよい会場で聴いている人々もいれば、その音楽の生地の素朴な環境の中で聴いている人々もいる。氏の接し方が「本物」だとすれば、より「本物」というべき接し方が必ずあり、それを日々の生活の一部としている人々がいる。当然、真に語るべき資格は、それらの人々のほうにこそあるというべきだろう。
 しかし、氏の方法と認識の根本を揺るがすはずの、こうした深刻な問題についての言及が、氏の論集にはない。私の思うに、氏が本当に伝えたかったのは、芸術が「本物」であるかどうかより、特定の時間と場所の中で、特定の作品に、他ならぬ自分の現在意識が出くわしたという実感のリアルさ、その「本物」さ、哲学的にレジュメしてしまえば、要するに「経験」の問題なのだが、おそらく氏は、この論集において、そこのところを完全に誤解した上で編集を行ったのである。


「本物」概念から派生する諸問題

「画集を眺めて『絵』を論じたり、CDやレコードを聴いて『音楽』を理解したりは、本当はできないのではないか」と、ありきたりといえば余りにありきたりな述懐を、氏はしてもいる。  まるで、美術館で見る「絵」やホールで聴く音楽が手離しに「本物」でありうるかのようだが、本当だろうか。
 それらは、どこまで、どのように「本物」でありうるのか。
 演奏される音楽が、演奏家によるその時点での解釈や物理的・技術的偶然、幸運、限界などの反映であることは周知の通りだが、楽譜と比較した場合にそこに生じてくる差異を、氏の理性は「本物」概念と絡めあわせつつ、どのように処理するのか。展覧会場での管理体制の中、あくまで一観客として、制限された身体的物理的条件下に接する他ない絵画の相対的「本物」性を、氏はどのように計測し評価しようとするのか。ひとたび芸術論に踏み入った以上、たちまち雲集してくるこういった諸問題に答える義務が、氏には生じるものと私には思われる。これらを考え深めようとする時には、物理的な必要から、誰もがおのずと「画集を眺めて『絵』を論じたり、CDやレコードを聴いて『音楽』を理解したり」せざるを得なくなっていくはずだが、芸術と付き合う上でのこうした実践論についての考察も、氏は避けられなくなるはずだろう。
 美術を論じる氏の文章中には、当然のことだが、比較や思索の梃子として、海外の美術作品の名も出てくる。氏の思索を紡ぐ礎となっているそれらの作品イメージや概念は、はたして、どのように氏の意識に取り入れられたのだろう。世界中の美術館や個人蔵作品の「本物」を、いちいち見てまわったわけではあるまい。「画集を眺めて」得られたものが殆どだろう。揚げ足取りをしているのではない。極めて重大な問題がここにあるのだ。人は、ある特定の絵画の実物を見ることはできるが、その鑑賞経験から何らかの問題意識を作り上げていくためには、作業上の要請から、主に複製や間接性に頼った方法によって多量の絵画に接しておく必要がある。そうしながら、その人なりの一般的な絵画観念を、あらかじめ意識内に創造しておかなければならないわけだが、「本物」志向を手離しに称揚すれば、こういった根源的な認識論的問題をなおざりにして考察を進めていくことになりかねないのである。
 作品構造の認識にあたって、他では得がたいような独特の価値が文学作品の翻訳に生じてくるように、複製によって絵画を見たり、録音媒体によって音楽を聴いたりすることには、一般に想像される以上の価値があるものである。要は使い方の問題なのだから、将来的な価値は無限だとさえ言える。これらの間接的知覚手段を嫌うのは自由ではあろうし、素朴さへの賞賛ともノスタルジーともいえるような流れが生じてくる事情も理解できるのだが、加速化や細分化を止めない人間の欲望により更新され続ける現代社会の中に現われ、いったん位置を占めてしまった製品や概念や志向などについては、その出現の必然性までをも無視すべきではないだろう。


「発展・成長」と「停滞」

 現代社会のことに話が及んだついでに、論集の「おわりに」で氏が述べていることにも触れておきたい。
 氏は、白水智の『知られざる日本 山村の語る歴史世界』(NHKブックス)の発言を借りながら、自然や人間自身を搾取対象と見なす現代社会の現状を確認している。金銭獲得手段としてのみ労働を見、換金率によってのみその価値を量ろうとする効率主義の悪弊を再確認しているわけだが、こうした現象の発生の根拠を、氏は近代に特有の時間観に求めている。
 それは「一方向に直線的不可逆的」な「哲学というか時間観」で、「近代的な経済活動の基礎」をなしているものだという。そして、こう続ける。「発展・成長でなければ停滞ということだが、現代の思考はその停滞をさえ、そっとそのままにしておいてはくれない。停滞は次の瞬間、衰亡への右下がりの直線を意味することになる(いみじくもマイナス成長という言葉がある)。そしてたちどころに荒廃と収奪の跡だけが残されるという悪夢。いったい何で、世界は、人間は、灼けた鉄の靴を履いて、成長という名の踊りを踊り続けなければならないのか」。
 もちろん、こういう考え方や慨嘆のしかたは間違っている。
 生物の身体や物質界そのものがこうした構造になっていると見るべきなのだ。耐えざる「発展・成長」への性向は、あながち「近代」の発明とばかりはいえない。むしろ、「発展・成長」と「停滞」との対立図式を疑うに到るために、地球は長い時間をかけて、人類の「近代」を待たねばならなかったというべきではないか。「近代」の思潮や「経済活動」ばかりに「発展・成長」の狂気の原因を見ようとすれば、間違う。それは遥かに根源的なところから来ており、われわれが生物として生きていること自体から、さらには物質界がこのように出来ていること自体から来ている。
 そもそも、人類ははたして「発展・成長」しようとして、こんなにも慌しく活動しているのか。
 人間が少しでも多く稼ごうとし、少しでも多量に合理的に搾取しようとするのはなぜか。
「発展・成長」するためか。
 違うだろう。むしろ、絶対的な休息を、祝福された停止を、天国的な停滞を、せめて自分ひとりだけでも、この地上において獲得しようと躍起になっているからに他なるまい。もし「近代」において、人類規模での「発展・成長」が加速されたように見えるならば、それ以前にはなかったほどに大がかりに、停止が、停滞が、絶対の休息が、夢見られ、切望されるようになったからである。人類はついに、壮大な疲労と倦怠に、いかにも健やかに到達したというべきなのだ。


現代のおとぎ話

 近代「以前の世界にとって(西欧という実に小さな世界も含め)、時間は直線ではなく円環をなすものであり、時には前に進むのでなくただ移り行き循環するものであった」とも氏は言うが、これにも私は賛成しない。社会学や人類学や民俗学の通俗化された言説は、こうした現代的なおとぎ話を、かなり広範囲に撒き散らしてしまったらしい。だが、おとぎ話というものの扱いには、いつも注意が必要とされる。
 昼夜や季節の循環、すなわち地球の自転と公転を直接的に取り込んだ世界観である循環的時間観は、なにも近代以前を独擅場とするわけではない。昔と基本的に変わらぬ地球回転を基礎として生存している以上、現代人の精神においても、この時間観は明らかに根本を成している。
 他方、いつの時代であれ、一個人の人生は、生まれてから死ぬまでの一方向性を強いられてきた。個人の意識にとって、「一方向に直線的不可逆的」な時間観は時代を超越したものというべきであり、近代特有のものと見なすべきではない。近代以前の人々の精神の基盤の大きな部分を成していたと考えるべきである。
 括弧内に記されている「西欧」にしても、「実に小さな世界」でなどない。面積的には、なるほど限られたものに過ぎないあの地域が、人類史上で計り知れない巨大さを持つに到ってしまった事実をどうするか、未だに人類は収束できないでいるのだ。「西欧という実に小さな世界」と表現しさえすれば、あるいは晴れる憂さもあるかもしれない。が、問題解決にはなんの益もない。人類は、西欧による巨大な侵略戦争の戦後処理を終えていないし、解決に用いる思考方法自体、大がかりな場面に適用しようという場合には、西欧由来や西欧経由のものしか役に立たない現状がある。東洋の知などといったところで、どれもが西欧によって利用価値を見出されたものばかりではないか。ごく小さなことを考えるにさえ、私たちは、計り知れない大きさを持つ「西欧」の中にいるのである。


方法論と覚醒

「おわりに」の最後の節は、氏の方法的吐露とでもいうべき表白から成る段落と、循環的時間観への覚醒の報告から成る段落で構成されている。
 方法的吐露は、「一方向に直線的不可逆的」な、「戻れない」時間観を「疑うというか、相対化して、虚心坦懐に絵や音や言葉、また芸能表現の現場に向き合ったらどう感じたかということを書いてみた」というシンプルなものである。どの分野においても方法論や手管の煩雑さの極まった現代において、詩人として裸形で、素手で現象に掴み掛かかろうとする潔さが宣言されている箇所といえる。
 しかし、先に問題にしたごとく、氏の言う「本物」の「本物」性の再検討が必要であるという見地に立てば、ここで氏が言うところの「芸能表現の現場」なるものの有り様にも、やはり再考が必要とされよう。「虚心坦懐」も、構造的に、そうシンプルなものとは思えない。直線的時間を「疑うというか、相対化」しながら成される「虚心坦懐」は、むしろ方法的懐疑にさえ近づく意図的な態度であって、「虚心坦懐」でなど全くない。
 循環的時間観への覚醒を語る段落については、全文を引用しよう。
「私事になるが、本書は死生をまたぐような大病をし、退院した二〇〇三年以降の文章ばかりとなった。病院を出たあと何だかものの感じ方が変わった。『戻ってくる』時間の覚醒といえばいいのか。人間的なもので自然を覆いつくすことはできない。なぜなら人間も自然の部分であることを避けがたいからだ。『三匹の子豚』の藁の家はなんであんな言われ方をされるのかと思う。自然の前ではどんなに堅牢な建造物でも、実は藁の家と同じことなのに」。
 大病からの生還を語る物語はいずれも感情に訴えてくる。感動的な段落といえる。
「死生をまたぐような大病」がどのようであったか、氏自身の口から聞いた私は、わずかながらも知っている。病院で見た闘病中の氏の状態も忘れてはいない。後遺症への配慮を強いられている現在の氏も知っている。
 しかし、考え方という点ではこだわっておきたい。病の後で「ものの感じ方が変わった」のは当然としても、その「感じ方」の変化を翻訳する氏の思考は誤ちを犯している。氏を救ったのは「自然」ではない。他ならぬ医学や薬学や医療工学の凄まじいまでの「発展・成長」だったではないか。まさに「人間的なもの」ではないか。人間が「人間的なもので自然を覆い尽くす」意思を持ったからこその、氏の生還ではなかったのか。


散文精神

 人間が「人間的なもので自然を覆い尽くす」ような方向性を批判する文脈の中で、氏は、人類が「『今』のままではこれ以上やってゆけないことに、もう誰もが気づき始めている」とも言っている。世界中の憂世家たちも再三言っていることだが、これにも私は反論を加えておきたい。
 人類は、誤っており、理性的でなく、不条理でさえある現在の状態そのままに、どうにかこうにか、かろうじて騙し騙しやっていく他にはない。進路を変更できる見込みなど、まったくない。私から言わせれば、このことこそ、いまや「誰もが気づき始めている」のではないかと思う。
 人間は、自然を支配するという道を、おそらく生物としての本質そのものから命じられて選択させられ、もはや後戻りのできないところまで来てしまっているのだ。自然保護や環境維持などと唱えてみたところで、保護され維持される自然や環境自体こそが、人工の最たるものなのである。もし本当の自然というものがあるとすれば、保護や維持という善なる人工手段のもと、直ちに失われ死に絶えてしまう何ものかの内にこそあるだろう。
 意見の調整ひとつとっても、巧く事を運んでいける望みは、人類にはない。「保護」や「維持」という言葉の意味合いの議論以前に、地球環境を適切に保護する方向になど、容易に全人類が向かっていけるなどと思ってはいけない。意見や見解の支離滅裂さ加減や決定の不条理さ加減は、パレスチナ情勢を引き合いに出して確認するまでもなかろう。日本国の卑近な例で言えば、たとえば、なんの根拠もなしに開始された不条理なイラク戦争への、あの余りに理性を欠いた汚辱の極みの便乗参加など、いくらも合法的かつ平和的に阻止できたはずだったというのに叶わなかった。これが現実なのである。私たちが「覚醒」すべき、いや、し直すべき対象とは、「『今』のままではこれ以上やってゆけない」と「誰もが気づき始めてい」ようがいまいが、なにひとつ路線変更はできないだろうということだ。最後の最後まで、人間は利害関係の泥沼と各人の自己愛の錯綜しあう汚泥の上に、塵労と残虐と無関心の迷宮を建設し続けていくだけのことである。他の可能性はない。
 人間性のそうした現実に「覚醒」し続けて行った挙句、どうするのか。どうなるのか。
 むろん、どうもしないし、どうにもならない。しかし、だからといって、引き返すすべも、もう人類にはない。悲嘆や落胆をしたところで、喉の渇きや飢えが行動を促す。かりに満足や喜びに逢着する時があったにしたところで、身体の限界性が、様々な物の力が、なにより時間が、まさに水泡のようにあっさりとそれらを消し去りもするだろう。
 永遠に継続するような歓喜もありえなければ、瞬時に逝ってしまうような絶望さえ持てないゲーム盤の上で、球のように遊ばれて地上から去っていく生を、それでも、多少なりとも持ち堪えやすくするにはどうしたらいいのか。かつて広津和郎が、『散文精神について』の中で書いていたことが思い出されてくる。自らの、タフな執念深い松川事件の追及を支え得た散文精神について広津は語ったのだったが、おそらく、「これ以上やってゆけない」この地球上で、なおも人間が生き続けていくための唯一の方針であり得るような言葉でもある。
「どんな事があってもめげずに、忍耐強く、執念深く、みだりに悲観もせず、楽観もせず、生き通して行く精神―それが散文精神だと思ひます。それは直ぐ得意になったりするやうな、そんなものであつてはならない。(…)この国の薄暗さを見て、直ぐ悲観したり滅入つたりする精神であつてはならない。そんな無闇に音を上げる精神であつてはならない。さうではなくて、それは何処までも忍耐して行く精神であります。アンチ文化の跳梁に対して音を上げず、何処までも忍耐して、執念深く生き通して行かうといふ精神であります。ぢつと我慢して冷静に、見なければならないものは決して見のがさずに、そして見なければならないものに慴(おび)えたり、戦慄したり、眼を蔽つたりしないで、何処までもそれを見つめながら、堪へ堪へて生きて行かうといふ精神であります」。
 詩人がまとめた芸術論集をめぐって書きながら、散文精神で締め括ろうとするというのも奇妙だが、考えようによっては順当な成り行きと言えるのかもしれない。現代日本にもっとも希薄になってしまったもののひとつに、なによりも、こうしたしつこい散文精神があると思われるし、現代の詩にもっとも必要とされているのも、じつは、こうしたタフな散文精神の横溢ではないかと思われるから。
 そういえば、小兵ながらも反抗の固まりで、最晩年は青山在住の、粋で、いつまで経っても生意気な癇癪玉のようだった石川淳は、広津と同じ頃、「われわれは絶望的に絶望しませんよ」と書いたものだった(『夷斎筆談』)。
「今のまま」、いつまでも「やって」ゆく。
「やってゆけないことに、もう誰もが気づき始めてい」ようとも、改める方途は構造的にすっかり絶たれているのだから、このまま行く。酒席で氏に即答しないままに来た答えを、此処で、このようなかたちで返しておきたいと思う。
 私は、他人の一挙手一投足にも、片言隻句にも、執念深くこだわり続ける。何度読もうとも一冊の本を読み終えるということがあり得ないように、考え続けるということも終わらない、結論も出ない、書くことも終わらなければ、言葉の配列作業が意識の中に終焉を迎えるということもない。
 せっかく本を出しても、然るべき感想がなかなか聞けないと、氏は不平を洩らしていた。今回の芸術論集を受け取った者の中には、しつこく面倒な、こんな人間もいたのだとは、告げておいてもよかろう。いや、私だけではあるまい。金にもならぬ詩的労働を好き好んで続けているような、煮ても焼いても喰えない連中が、はい、さようでございますか、と簡単に快い感想を返してくるはずがない。剃刀や爆弾が送り返されて来ないのなら、それだけでも大成功と見なしておけばよいのである。

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