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ARCH 49

      駿河 昌樹 文葉 二〇〇八年二月
        トロワ・テ、Trois thes。仏語で「三杯の茶」。筆者居住の三軒茶屋は三茶と略称される。
        すなわち、トロワテ。ひたすら、益体もない文章のために。




観能ぎらいと小林秀雄の『当麻』



 一月の寒い日、観世能楽堂で梅若六郎の『大般若』を見た。幾転生を繰り返した後に玄奘三蔵法師が大般若経を手に入れ、それまで玄奘の命を奪い続けてきた深沙大将が、以後は大般若経と玄奘を守護するようになる成りゆきを物語るもので、舞台に上がる演者の多い華やかな能である。
 深沙大将と言えば聞きなれないが、深大寺の名などはこれに因む。本来、中国と天竺を隔てる砂漠を神格化したもので、だからこそ「深沙」なのだが、日本ではこの砂漠を大河と誤解したため、竜神のイメージで受け入れるようになった。誤ったイメージはそのまま定着し、現在に到っているという。
 古い能を梅若六郎が蘇らせたそうで、なるほど、一般に流布されている謡曲集にはあまり見たらない。他の能より賑やかな印象のもので、上演の際いくらか眠くなりづらいとはいえるが、もちろん、私のような観能ぎらいをつよく惹きつけるほどのものではない。いつものように、遠い目で見るのにかわりはなかった。機会があれば能楽堂にはきまって足を運ぶが、しかし、足を運ぶたび、つまらない、つまらないとこぼす、そういうタイプのひねくれ者は、なにより、自らの処遇に窮するものだ。
 能楽堂に行ってぼうっと座っているのは嫌いではない。地謡の声が伸びていく中、鼓や笛が鳴り、演者が舞うのを見ているのも嫌いではない。しかし、個人的には謡曲を本で読むほうが遥かに楽しく、能楽堂に足を運んでわざわざ時間を費やすのなど無駄事、と勝手に結論を下している。
 謡曲の読書の興奮との比較の上で言っているのだから、観能ぎらいとまで言うのは、あるいは言い過ぎなのかもしれない。 しかし、わがままを言わせてもらえば、演者たちの存在がいつも邪魔に思える。舞いなどいらない、と思う。鼓や笛や謡だけがあればいいので、本舞台に誰も現われず、現われぬままに謡が進み、終わればよい。能を愛する人々、能の側に立つ人々からすれば、愚にもつかぬ要求に聞こえるだろう。しかし、演者を舞台に上らさねばならなかった時点で、能は発展を止めたと私は思っている。本舞台が、空虚なままに、はじめから終わりまであり、そこを音が飛び、謡が滑り、なにもない舞台のそこかしこを見物のまなざしが揺れる、能が到るべきはそういう地点であったと思う。
能面や能衣裳を愛でるのは古典通の醜い常識だが、通俗の極みというべきであろう。なにもない舞台というものに耐え得なかった俗人たちのなれの果てに過ぎない。芸術だなどとはよく言ったもので、あそこにあるのは虚空を前にした逡巡であり、それがそのまま凍結した様である。
 こんな悪態をつくためなら、わざわざ能について書くまでもないのはわかっている。だが、能について書いているわけではなく、現在まで残ってきたかたちの、あの能の先にあり得たもの、それが現在、存在していないということについて書いているのだ。能舞台における演者の不在、それが存在していないということ、不在というものの未だ到来していない存在を惜しんで書いている。それを惜しむのは、そちらにこそ自分の芸術的な血族があり得ると感じるからだ。誰も現われず、木の色も鮮やかにひろがっているばかりの舞台を前にして、大勢の観客たちが数時間を過すという光景を思う時、恍惚とする。世阿弥の美学が、いま残っているような上演形態のあんなところで終わっていたのなら、何ほどのものかと思う。可能性のなかでは、本当は彼は、さらに先まで行こうとしていなかったのか。あれでは中途半端ではないか。彼の美学的な進展に理解の及ばなかった当時の俗物たちに、譲歩したままで逝ったのではないか。
小林秀雄は『当麻』の中で、こんなふうに能に対する降参報告をしていた。

「音楽と踊りと歌との最小限度の形式、音楽は叫び声の様なものとなり、踊りは日常の起居の様なものとなり、歌は祈りの連続の様なものになって了つてゐる。そして、さういふものが、これでいゝのだ、他に何が必要なのか、と僕に絶えず囁いてゐる様であつた。音と形との単純な執拗な流れに、僕は次第に説得され、征服されて行く様に思へた。最初のうちは、念仏僧の一人は、麻雀がうまさうな顔付きをしてゐると思つてゐたのだが」。

 小林は、自分がいる時代の様々な、つねに相矛盾しあう理性や知性や言葉たちのざわめき以外のものによって、いつも説得されたがって汲々としていた。奇妙なほど女々しい男だが、この文章も、いかにも彼らしい。「これでいゝのだ、他に何が必要なのか」というのは、時に応じて表現が違っても、いつも小林が近代に突きつけて毒づいてみていた、チンピラならではの匕首である。能も、ずいぶん安く見られたものではないか。「音と形との単純な執拗な流れ」とは誤解も甚だしい。世阿弥には、時間の中に生起していく音のひとつひとつが消滅せずに物として残り、響き続けるのが聞こえていたはずであろう。演者の歩みや舞いによって作られるかたちもまた、ひとつひとつが永遠にその場その場に残っていく様が見えていただろう。それらの音やかたちは、次の時間に出現する新たな音や新たなかたちと重なりあい、ぶつかりあい、複雑であるとともに喧騒極まりない事態に到っていたはずである。舞台に起こるのは、「単純」でなどあり得ない急速な漸増であり、仮に少し前と同じ音を鼓や笛が奏でるにしても、それは全く異なった空間の中に、演目開始以来の全重量を負って鳴っているのである。あいもかわらず、とはいえ、どうしてこうも、小林秀雄は間違い続けるのか。この途方もないセンスのなさとはなにか。こんな鈍さで、文学や芸術をどこまで扱い誤れば気が済むのか。
 演者を舞台に舞わせるがままにした世阿弥の美学に、私はまったく組しないのだが、それにしても、小林のような誤解をしては世阿弥に対して酷すぎるというものだろう。「これでいゝのだ、他に何が必要なのか」などと言えるような長閑な時代は、世阿弥の時代にさえ失われていたのであり、なにより、世阿弥の精神の中にそんなものはなかった。小林がここで表白すべきだったのは、いやいや、多過ぎる、もっと削ぎ落とせ、という述懐か、あるいは、どこまで遡れば「単純」なるものに行き着けるのか、という惑いであった。
 単に弥生や縄文の土器を思い出すだけでもいいだろう、「単純」などというものは、歴史上にはほぼ見つからないといってよい。それをよく知っていたからこそ、ルソーは思考実験として、あの原初の自然状態を仮定したのではないか。小林は、「仮面を脱げ、素面を見よ、そんな事ばかり喚き乍ら、何処に行くのかも知らず、近代文明といふものは駈け出したらしい。ルッソォはあの『懺悔録』で、懺悔など何一つしたわけでもなかつた。あの本にばら撒かれてゐた当人も読者も気が付かなかつた女々しい毒念が、次第に方図もなく拡がつたのではあるまいか。僕は間狂言の間、茫然と悪夢を追ふ様であつた」とも言っているが、こんな浅薄な言辞を並べている暇に、ルソーの描いた自然状態の機能の、思考実験としての限界と有効射程を小林は再考でもするべきだったろう。だいたい、ルソーが「あの『懺悔録』で、懺悔など何一つしたわけでもなかつた」というなら、ルソーは、懺悔したかのような新たな仮面を創出したということになる。小林の議論は、わずかのこの短さの中でさえ自己矛盾に陥っているのだ。
 矛盾といえば、こんなものもある。『当麻』の中でもっとも有名なのは「美しい『花』がある、『花』の美しさといふ様なものはない」という文だが、これは、他ならぬ小林がすぐ前に引用している世阿弥の言葉と矛盾している。
「物数を極めて、工夫を尽して後、花の失せぬところを知るべし」。こう世阿弥は言っているのだが、この後に「美しい『花』がある、『花』の美しさといふ様なものはない」と書いては、幾らなんでも拙いだろう。世阿弥の言う「花」は「美しい」や「美しさ」だけに還元はされないとしても、ひろく美や価値と見なされるべきもののことを言っているのだから、ここで小林が言う「花」とはまるっきり違っているのだ。彼が言う「花」は植物としての「花」であり、そうでなければ彼の文は意味をなさない。それとも、つねに「花」は美しいと決まっていて、「『花』の美しさ」などと表現すれば「花」と美のあいだに分断を呼び込んでしまうなどと言いたかったのか。しかし、それならば、べつの書き方をするべきだった。文芸批評家にして、あの表現ではお粗末すぎる。
 もちろん、小林の肩を持つ人々なら、「花」と美が同じものとなった境位をここで彼が表現していると言いたがるかもしれない。しかし、それならば、「花がある。美しい花も、花の美しさもない」と書くべきである。もしこういう方向の意味を表明したかったのならば、やはり小林秀雄も、彼の表現の途中で頓挫しているのだ。
 意地の悪いとか、あるいは偏狭な、などと言われかねない詮索を抜きにして、素直に『当麻』を読めば、

「誰も気が付きたがらぬだけだ。室町時代といふ、現世の無常と信仰の永遠とを聊かも疑わなかつたあの健全な時代を、史家は乱世と呼んで安心してゐる」

 ここに小林の最も言いたかったことがあるのはわかる。『当麻』の書かれたのが昭和十七年、すなわち一九四二年であり、太平洋戦争開始の翌年であれば、まだまだ高揚した空元気の中で軍国日本は邁進している。そういう中でのこの文章は、明瞭な時局批判であると読んでしかるべきだろう。室町時代どころではない、現代こそがいっそうの乱世であり、そういう中にあって、「現代人」には「現世の無常と信仰の永遠」の認識が足りな過ぎる、そう書いているように読める。なるほど、国が高揚している時には「現世の無常」感も「信仰」も薄まる。中世のような、たえず勝敗や生死の順が入れ替わる時代のなかでは、一時の勝利や高揚の際にも「現世の無常と信仰の永遠」を忘れることはできなくなる。斬首した敵将の首実験をしながら、明日のわが身を思わない武将は、戦というものの本質を知らない根本的な不適格者というべきだろう。
 小林秀雄の目に、大日本帝国の軍部や追従者たちは、そうした不適格者に映ったに違いない。彼が批判する対象はつねに、インテリであるなしにかかわらず、時代の指導層なのだが、『当麻』においても事情はかわらなかったということかもしれない。時代の指導層はつねに、その時代の思考・感性体系内部での秀才と目端のきく天性の薄情者たちによってしか構成され得ない。小林秀雄の戦略は、時代の思考体系を逸脱する天才を引用し、称揚し、盾にすることで、そうした指導層の思考法や感受性や人生観まで、徹底して破壊しようとするところにあった。
 ひょっとしたら、能についての小林の見方について、私はやはりここで、見直さねばならないか。物事や議論を複雑化させて、巧妙に利益を得ようとする勢力ばかりが増えていく近代に対し、「これでいゝのだ、他に何が必要なのか」と書くことで端的な批判を突きつけたと考え直すべきか。ルソーの『告白』批判には、世界の植民地化を情け容赦なく遂行するヨーロッパ的思考の欺瞞性への言及があったと見ておくべきなのか。「美しい『花』がある、『花』の美しさといふ様なものはない」という文には、たとえば、ヨーロッパ言語に特徴的な「『花』の美しさ」という表現法への注意喚起を読み、そうした言語体系使用者の思考への根源的疑義の必要性が語られていたと見るべきだっただろうか。
 そうかもしれない。しかし、戦争も終わって、普及版の小林秀雄全集も出るようになり、彼の言説が時代の富裕層や支配層に体よく利用され、生活格差の確認の具に供され、いっそうの知的俗物の愛玩物として認知された現状を見れば、小林秀雄の言説は、いっそう巧みに、緻密に、「現世の無常と信仰の永遠」そのものを生きていかざるを得ない人々によって、くりかえし奪い返され、脱構築され、批判というかたちの賞賛の対象にされていくべきかもしれない。

「思考は、共通感覚[常識]という、理性という、普遍的本性タル思考という形式で、その良き本性とその良き意志という前提にとどまっているかぎり、憶見に囚われ、ひとつの抽象的な可能性のなかで凝固してしまっており、まったく何も思考してはいないのである……」。*

『差異と反復』の中でドゥルーズは、ハイデガーをパラフレーズしつつこう語るが、時代の「共通感覚[常識]」や「理性」を批判した言説が、やがて「共通感覚[常識]」や「理性」の側の強力な盾とされていった時にどういう言動を採ればいいのかという問題を、現在の「小林秀雄」の存在は、たえず突きつけてくるのだといってよい。
 能楽の存在も、成立以来、日本の歴史の中ではそういうものであったというべきなのだろう。だとすれば、「当麻」への小林の単純素朴な切り込みは、能楽にまつわる「共通感覚[常識]」に絡め取られないための、意図的な無手勝流であったかもしれない。「音と形との単純な執拗な流れ」と言い捨てたところに、彼の方策も見栄もあったのかもしれない。



*ドゥルーズ『差異と反復(上)』(財津理訳、河出文庫)。第三章「思考のイマージュ」、三八四〜三八五頁。なお、引用部分前後の文脈は以下の通りである。

「[超越的]感性が、おのれの強制を想像に伝え、今度は想像が超越的行使へと高められるときには、まさに幻想が、あるいは幻想における齟齬が、想ワレルベキモノ、想像されることしか可能でないもの、経験的には想像できないものを構成する。また、記憶という契機が到来するときには、想起における相似ではなく、反対に、時間の純粋な形式における似ていないものこそが、或る超越的記憶の〈記憶にないほど古いもの〉を構成する。また、そうした時間という形式によってひび割れた〈私〉こそが、結局、思考されることしか可能でないものを思考するべく強制されているのであり、この思考されることしか可能でないものとは、《同じ》ものなのではなく、かえって、あの、本性上つねに《他》なる、超越的な「不確定の点」であって、そこには、思考の差異的=微分的な本質としての本質のすべてが包み込まれている。しかもまた、そのひび割れた《私》こそが、[思考能力の]経験的行使においては思考されえないものあるいは思考することができないものをも同時に示すことによってようやく、思考するという最高度の力を意味するのである。以下のような点を指摘しているハイデガーのあの深き叙述が思い出される――思考は、共通感覚[常識]という、理性という、普遍的本性タル思考という形式で、その良き本性とその良き意志という前提にとどまっているかぎり、憶見に囚われ、ひとつの抽象的な可能性のなかで凝固してしまっており、まったく何も思考してはいないのである……。『人間は、思考するということの可能性をもっているかぎりにおいて、思考するということを心得ているが、しかしそのような可能性は、まだ、わたしたちが思考することができるということまでは、保証してくれないのである』、思考は、「思考させる」もの、思考されるべきものの現前においては、強制されてやむを得ずといったかたちでのみ思考する――そして、思考されるべきものは、まさに思考されえないもの、あるいは非=思考でもある、すなわち、(時間の純粋な形式に従って)「わたしたちがまだ思考していない」永続的な事実である」。

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