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ブログの隆盛



 昨年の流行語にも数えられた「ブログ」である。
 もともとホームページを作っていると、即時的なエッセイを書いていくのに向
いているのはすぐにわかったことだった。
 詩を次々にホームページに発表していくのはまた少し違う。なんとなく「もっ
たいない」というような気になるのだ。
 詩は他人に「発見される」という要素がある。技を磨くというが、技を次々に
見せていきそれを発見されたい、「技でないものをついには発見されたい」とい
う、より内的なものだ。詩的なものをすこしずつ噛み砕いて提示するのがエッセ
イで、これは近況報告と滋味みたいのとがまざりあって、詩的な核を料理できる。
これの変形またはそのものがブログの典型的な文章だ。
 ブログによって何がわかるのか。生活であり、日常のとらえ方だ。
 優れた詩を読む場合の「周辺テキスト」として位置づけられるものが、手紙で
あり、記録文である。詩から見れば周辺テキストということになる。

 ちなみに、実際にぼくが動かしてみたブログシステムには以下のようなものが
代表だろう。

 Movable Type
 blosxom blog
 tDiary
 nucleus

 ホームページが巷で作られ始めたころは、動かないページ「静的」なページを
自分のパソコンで作りプロバイダの領域にftpというプロトコルで送っていた。
 ブログはweb上でファイルを新規作成・編集できる。webを読むにもひとつの
プロトコルを使っている。この2つから1つへの手間の軽減は意外に大きい。さら
にblogを実現するために、プログラムはけっこう複雑な装置としてしっかりして
いなければならない。そして、汎用性がなければいけない。この「必ず使われる」
道具は、たくさんの人々に「作りたい」という思いにさせた。上のblogのうち下
の3つはGPL(General Public License)に基づいた配布を行っているので、
LinuxなどのOSにどんどんインストールできる。
 GPLというのはcopyrightの認識からいえば、copyleftともいえるものだ。公開
にはソースを添付して改変は自由でなければならないし、再配布も自由、ただし
ソース付き。これはより多くの人たちがよってたかって改変できることを意味す
る。GPLによってわかったことは、よってたかって改変したほうがより質が高く
なる、ということだ。そしてまったく国境はないのだ。
 GNU/Linux OSはその精華といえるだろう。上のblogもGPLの恩恵にあずかっ
ている。
 質が高くなると同時にblogのプログラムを作る楽しみも盛り上がっていく。な
ぜかといえば、blogが使われつつ、即時的に作者にその要請が戻ってくるのだ。
 実際のblogを使っている人には、使い勝手がどんどんよくなってくる。通常の
静的なホームページの質も急激に進化しているのは、インターネットのメディア
としての市場シェアがわかりやすいが、そんなことをいわなくてもホームページ
を作りたい人は、blogをさらに使っていくだろうというのが簡単な予測事項だ。
したがって、blogは単なる流行ではないということだ。



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