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「観光でない沖縄見聞旅行」をもっと知るために

第31回('15) 呼びかけ  ● 30周年('14) 呼びかけ  ● 第28回('11) 呼びかけ
第27回('10) 呼びかけ  ● 第25回('08) 呼びかけ  ● 第23回('06) 呼びかけ



第31回「観光でない沖縄見聞旅行」への参加呼びかけ
アイム'89沖縄見聞旅行実行委員会 臼井勝重
 2015.5.1
2015.7.30〜8.3「観光でない沖縄見聞旅行」が復活します

 「観光でない沖縄見聞旅行」は、今年で31年目を迎え、参加された方々の人数は延べ498名。参加者の年齢の幅は、3歳児から70歳代までと広範囲にわたっています。
 都道府県別に北海道・福島・茨城・群馬・栃木・埼玉・千葉・東京・神奈川・山梨・静岡・愛知・岐阜・京都・大阪・奈良・兵庫・沖縄など18都道府県になりました。
 1984年から毎年夏に現地を訪れ、南部戦跡・中部基地・北部基地・離島の四地区を巡り、沖縄戦を体験した方々や、地元で基地の騒音や米軍兵士の犯罪、さまざまな被害や恐怖と背中合わせの生活を余儀なくさせられている人々との交流ができるよう企画しています。
 現在の「イスラム国」をとりまく世界情勢やロシアとウクライナの問題、日本のODAなど資金援助の問題、武器輸出三原則の撤廃や、集団的自衛権がからむアメリカとの関係、身近に迫りくる「テロ」という言葉の真相など、戦争と平和について学習できる見聞ツアーでありたいと考えています。学びの無いところに平和への展望は開けないでしょう。
 沖縄は、1945年、太平洋戦争末期、日本で唯一の地上戦を経験しました。沖縄戦の過去の惨状を振り返り、現在の基地被害を目の当たりにし、未来の選択肢を探ることのできる旅です。
 昨年の沖縄県知事選挙や衆議院選挙の結果明らかになったのは、基地NOの県民世論です。豊かな生命を育む名護市辺野古の海を埋め立てて、新たな基地を造ることは許されざる暴挙であり戦争の準備そのものです。普天間基地の危険を除去するためというのは詭弁に過ぎません。危険な基地なら新たに造るのではなく即撤去が自明のことです。人権や人命(ヌチドゥ宝)を大事にしない経済一辺倒のシステムは世界に恐怖と不安をもたらします。原発の推進しかりです。沖縄の現状を見つめることで、足元の私たちの憲法観、生き方を考えるチャンスが沖縄にはあります。沖縄というフィルターをかけると、不透明さの向こう側が透けて見えるような気がします。
 沖縄は、今や新婚旅行や家族、友人で訪れるのがメインの観光地です。格安のツアーは、西海岸の豪華ホテルとレンタカー付き、青い空とエメラルドグリーンの海、そして、沖縄料理づくしグルメの旅が企画されています。金網に囲まれたのは基地ではなく、県民の居住地や観光地が金網に囲まれているのを実感できずに帰路に着く皆さんをある意味幸せに感じることさえあります。戦闘機の轟音、爆音は一瞬ですが、そこに住む人々にとっては四六時中の出来事なのです。実弾の飛び交う故郷で安寧の暮らしは保障されるのでしょうか。戦後70年経った現在、60歳定年制の職場では、戦争体験者は皆無になりました。戦争を知らない世代が圧倒的多数になるとき、戦争への足音が刻一刻と迫り来るようで空恐ろしさを感じます。自分の足で歩き、自分の目で、自分の五感を駆使して暑い沖縄を、人々の熱い闘いが存在する沖縄の心に触れてみませんか。
 現在、辺野古では、海を埋め立てる工事に反対する人々に対し、人権を無視した海上保安庁職員による過剰な警備や暴力行為が横行しているのを新聞やテレビでは、報道していません。辺野古埋め立て関連動画をYouTubeで検索して見てください。

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30周年「観光でない沖縄見聞旅行」への参加呼びかけ
アイム'89沖縄見聞旅行実行委員会 臼井勝重
 2014.6.16
募集に先立ち

 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)及び福島原発事故により被災された皆様方に心よりお見舞い申し上げます。また、亡くなられた方々には深くお悔やみを申し上げるとともに、行方不明者の方々の発見を切に願うしだいです。
 さて、未曾有の地震・津波・原発事故という最大級の災害を目の当たりにし、日々の「生活」の営みが平和であり続けることと、人の「命」がいかに脆いものであるのかを痛切に感じずに入られません。
 人間の存在が地球という大自然の中にあっては、なんと小さいものなのかを思い知らされました。さらに、原発の安全神話は巧妙に作られたものであり、その背景に無責任体制と金銭的野望が見え隠れするものであることが明らかになりつつあります。
 3月11日、あの日から3年半、人々の生活が元通りになっているとはいえない状況だと思います。私たちが「沖縄」にこだわるのは、今回の震災・原発事故の根底にある矛盾や問題点が「沖縄問題」と共通しているからといっても過言ではないと思います。
 国家の機能不全、曖昧な責任論、差別と貧困……過去の戦争と戦後復興の歴史の中にある様々な問題点は、現在の沖縄の中に顕著に内在し、今もなお議論や闘いの只中にあります。弱いものや貧しいものにしわ寄せが行く仕組み、安全は危険と裏腹のものであることなど、今まさに直面している被災地の問題と沖縄の問題は、根っこが同じであると考えています。
 辺野古の海を埋め立てて、海上基地を造れば、戦争の準備をしているとしか思えないでしょう。軍備を増強して兵器を消耗させればその利益で潤うのは戦争屋です。戦争屋とは、国籍に関係ないグローバルな資本です。地球の人口の増大を考えれば人口を減らし、資源や食料を確保し、利権を生む戦争はこの上ない手段です。私たちは、戦争屋に食い物にされないために歴史に学び、未来を創造しなければなりません。創造は破壊の対極にある文化であり人間の賢い知恵です。
 安倍政権の憲法解釈変更、集団的自衛権行使容認への閣議決定を目指す強引な手法は、国民世論をないがしろにしているとしか思えない急進ぶりです。サッカーワールドカップで盛り上がるのもいいけど、スポーツ平和外交と同時に本来の意味での外交努力を惜しまず、緊張関係にある中国、韓国、北朝鮮などとの対話に努力を傾け、緊張緩和を目指してほしいものです。
 前回は、被災地の方も昨年に引き続き参加してくださいました。
 「観光でない沖縄見聞旅行」は、今回で30周年目を迎え、今までに参加された方々の人数は延べ498名。都道府県別に、北海道・福島・茨城・栃木・群馬・埼玉・千葉・東京・神奈川・山梨・静岡・愛知・岐阜・大阪府・京都・奈良・兵庫・沖縄など18都道府県になりました。
 1984年から毎年夏に沖縄現地を訪れ、南部戦跡・中部基地・北部基地・離島の四地区を回り、地元で米軍の圧力に屈せずに闘う人々との交流を企画してきました。
 被災地も沖縄も行ってみて初めて分かるものがあると思います。全国の仲間と連帯して被災地の復興と沖縄のかかえる問題を共有していけたら……と思っています。どうぞ皆様方のご参加をお待ちしています。

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第28回「観光でない沖縄見聞旅行」への参加呼びかけ
アイム'89沖縄見聞旅行実行委員会 臼井勝重
 2011.6.15
「観光でない沖縄見聞旅行」実施に向けて

 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)及び福島原発事故により被災された皆様方にこころよりお見舞い申し上げます。また、亡くなられた方々には深くお悔やみを申し上げるとともに、行方不明者の方々の早期発見を願うしだいです。
 さて、未曾有の地震・津波・原発事故という最大級の災害を目の当たりにし、日々の「生活」の営みが平和であり続けることと、人の「命」がいかに脆いものであるのかを痛切に感じずに入られません。
 人間の存在が地球という自然の中にあっては、なんと小さいものなのかを思い知らされました。さらに、原発の安全神話は巧妙に作られたものであり、その背景に無責任体制と金銭的野望が見え隠れするものであることが明らかになりつつあります。
 3月11日、あの日から3ヶ月に過ぎない中で瓦礫の撤去や復興が遅々として進まない状況にあって、私たちが「沖縄」にこだわるのは、今回の震災・原発事故の根底にある矛盾や問題点が「沖縄問題」と共通しているからといっても過言ではないでしょう。
 国家の機能、曖昧な責任論、差別と貧困・・・過去の戦争と戦後復興の歴史の中にある様々な問題点は、現在の沖縄の中に顕著に内在し、今もなお議論や闘いの只中にあります。弱いものや貧しいものにしわ寄せが行く仕組み、安全は危険と裏腹のものであることなど、今まさに直面している被災地の問題と沖縄の問題は、根っこが同じであると考えています。
 今年は、被災地の方も昨年に引き続き参加してくださることが早々と決まりました。
 「観光でない沖縄見聞旅行」は、今年で28年目を迎え、参加された方々の人数は延べ477名。都道府県別に、北海道・福島・茨城・群馬・埼玉・千葉・東京・神奈川・山梨・静岡・愛知・岐阜・大阪府・京都・奈良・兵庫など16都道府県になりました。
 1984年から毎年夏に沖縄現地を訪れ、南部戦跡・中部基地・北部基地・離島の四地区を回り、地元で米軍の圧力に屈せずに闘う人々との交流を企画しています。
 被災地も沖縄も行ってみて初めて分かるものがあると思います。全国の仲間と連帯して被災地の復興と沖縄のかかえる問題を共有していけたら・・・と思っています。
 どうぞ皆様方のご参加をお待ちしています。

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第27回「観光でない沖縄見聞旅行」への参加呼びかけ
アイム'89沖縄見聞旅行実行委員会 臼井勝重
 2010.6.15
基地の島はまた「捨て石」か

 先日、知り合いの写真屋さんから久しぶりで突然の電話が入った。
 「センセ、この8ヶ月の間、沖縄の人達の想いを考えると、いてもたってもいられなくてさぁー。昔は、アンポで国会を包囲した世代だからさー。デモとかできないんですかねぇー。」
 横田基地近くの写真屋さんは、私が沖縄に通い始めて長いことを知っている。
 私は、1984年に全くの観光だけでない沖縄の旅に参加することになった。25歳の時だった。青い空、蒼い海、エメラルドに輝く海。枝サンゴが砂浜に打ち寄せられている。乾いた音が貝殻で作った風鈴のように響いていた。白い枝サンゴは、真っ赤に染まった人骨のイメージと重なった。渡嘉敷島の阿波連ビーチでの光景である。そこで、嘉手納基地から飛びたったF15戦闘機が2機、耳をつんざくような轟き音で急上昇していった。
 その日から数日前、27年前の5月。あの日私は読谷村にある「チビチリガマ」に入っていたのである。聞き取り調査して間もないころであった。生まれて初めて沖縄に訪れ、生まれて初めて人骨を踏んでいた私がそこにいたのである。ガマの中は真っ暗で何も見えない。ろうそくの明かりで足元を照らすと茶色に変色した体の一部と思われる小骨が確かに自分の靴の裏でボキボキと泣いていたのだ。背中に虫唾が走った。頭の先から足の先まで雷が突き抜けるような感覚だったことを今でもはっきりと覚えている。
 南部戦跡では、南風原陸軍病院壕、糸数の壕、第一外科壕に入り、ひめゆりの塔(当時・ひめゆり平和祈念資料館はまだできていない。) 魂魄の塔の説明にうなづく。摩文仁では、都道府県の記念碑が立ち並びんでいた。旧・県立平和資料館の蓋の開かない水の入った真鍮の水筒。米須の海岸に元・ひめゆり学徒の宮城喜久子さんに案内していただき、喜屋武岬まで歩く。
 中部地区では、極東最大といわれる嘉手納基地の滑走路を垣間見、爆音に耳を塞ぐ。国道58号線沿いは金網で囲まれている。軍事基地には圧倒的なおいしい土地の部分をとられ、ほんの申し訳程度の土地に人々が住むオキナワ。「黙認耕作地」や「反戦地主」という言葉もそこで初めて聞いた。そして、ゾウのオリ、その直下のシムクガマ、聞き取り調査した知花昌一さんにチビチリガマを案内してもらう。読谷飛行場の米軍によるパラシュート訓練。ここは、本当に日本なのか。
 辺野古に新たな基地を移転させるなどという話はまだ出ていなかったころの話である。ゾウのオリという通信施設は既に反戦地主たちの運動もあり、現在は平坦な更地である。基地は闘いによって少しずつ返還されてきたのだ。
 伊江島に渡り、反戦平和資料館のある「ヌチドゥタカラの家」で故・阿波根昌鴻さんに会う。阿波根さんは、わかりやすいほど簡単に「戦争に反対する理由」を語る。目じりがへの字に垂れ下がり、眼(まなこ)が隠れて見えない。なんと優しい皺の爺さんなのか……? こんな小さなおじぃだが、言っていることも凄いが、やっていることはもっと凄い。
 それでも、当時沖縄は戦後38年。人骨が無数に眠る戦後の訪れない島だった。
 今は……。今は戦後の総括もけじめもなくひたすら戦争に一番近い島だ。ベトナムにも湾岸にも、アフガン、イラク……北朝鮮???  抑止力ではない。出撃基地「沖縄」なのだ。
 こんなオキナワを元・鳩山首相は8ヶ月の間結果としてもてあそんだ。
 「観光でない沖縄見聞旅行」は、27年前に命名されたツアーの名前である。私は1年に一回参加する仲間を募って、本土にいる人間の傲慢さや人の痛みを知ることのない日常を、自分自身に問いかけるため細々とこのツアーを企画して来た。参加者は26年で461人という人数にはなったが、一回を平均すれば18名足らずである。それでも、やめられない理由がある。私には長年沖縄で出会った人達の優しさやおおらかさが、日本社会の高度に管理され搾取された社会にはない「大切な何か」を教えてくれているような気がしてならないからである。もうすぐ6/23慰霊の日が訪れる。基地の島がまた「捨て石」にされようとしているときに、冒頭の写真屋さんが問いかけてきたような基地反対の大きなデモ行進を今、私の力で国会を包囲することはできないけれど、せめて沖縄を「自分の目で見て、聞いて確かめる」その手助けくらいはできるのではないだろうかと思っている。
 第27回「観光でない沖縄見聞旅行」は、7/25から29まで実施。参加費98000円・羽田発。沖縄現地で合流することも可能。定員25名。詳しくは、0428-23-0385 「観光でない沖縄見聞旅行」事務局・臼井まで。

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第25回「観光でない沖縄見聞旅行」への参加呼びかけ
アイム'89沖縄見聞旅行実行委員会 臼井勝重
 2008.6.16
四半世紀(100年の四分の一) 第25回「観光でない沖縄見聞旅行」
〜「観光でない沖縄見聞旅行」の参加者募集のお誘い〜

 6/8(日)、今回の沖縄県議選では、ついに、沖縄県議会の与野党勢力が逆転した。定数48のところ、野党の議席は従来の20から5増で過半数の25議席、与党の議席数は従来の27から5減の22議席、中立1議席となった。沖縄県議会において野党が多数派となったのである。

 昨年、第24回「観光でない沖縄見聞旅行」は7/29に初日を迎えた。参議院選挙投票日当日である。ツアー初日が投票日というのは過去24回のツアーではなかった。長年おせわになった、山内徳信・平和憲法・地方自治問題研究所所長の当選はまさに吉報であった。憲法改悪への秒読みが停止した瞬間であった。年金問題や格差拡大とからんだ、時代の反動化と政権の歴史観に辟易していた国民の怒りと行動は、自民党の敗北へと追い込むことになった。民意が動いていることを痛感していたのは私だけではないであろう。結果はツアー2日目に「吉」と出たのである。

 今回の、沖縄の県政の転換は中央政治に少なからず、直接に影響するだろう。政府・与党が進めている「米軍再編」にも影響が出る可能性が大きい。米軍側の思い通りにはいかなくなるだろう。日本政府のアメリカ一辺倒の政策に支障が出る可能性が出てきたのである。

 政治の拮抗とダッチロールの状態が長年続いていた沖縄だが、昨年の教科書問題を契機に確実に沖縄県民の世論は歴史の転換を意識している。命を軽く扱う政治にはNOを突きつけたのだ。

 やはり、政治に無関心でいると私たちの生活と平和は守れないのである。25年のツアーを振り返り実感する今日である。歴史に学び、現実に学び、未来を創造するのは、私たち主権者であるからだ。沖縄はそれをまさしく体現し、私たちに教えてくれる。そんな旅を提供できることを幸せに思う。是非、心ある方たちの参加を望んでいます。

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 2006.6.23
美ら島・沖縄への招待  〜 はじめて沖縄に訪れるあなたへ 〜
アイム'89沖縄見聞旅行実行委員会 三崎茂夫

 “沖縄”ということばから、皆さんはどのような光景を連想するでしょうか?
 たぶん、旅行会社や航空会社などが宣伝しているような、コバルトブルーの海、白い砂、色とりどりのパラソルといったリゾートの香りがするものだったかと思います。
 確かに沖縄は、ゴミゴミした東京から遠く2000qも離れた美しい島です。2時間ほどの空の旅の先には、別世界のような南国の風景が待っています。冷房の効いた空港から一歩外へ出た時、皆さんもきっと強烈な陽差しとムッとするような湿気に戸惑うとともに、沖縄の夏を肌で実感できることでしょう。そしてリゾートのプライベートビーチにたたずんでいると、東京とは違った贅沢な時間がゆったりと流れてゆきます。

 しかし、本土から遠く離れている故に、常に時の為政者から支配の対象として狙われ、数々の悲劇に見舞われてきた悲しみの島であることを忘れてはならないでしょう。
 先の15年戦争で、日本軍は連合軍の本土上陸を想定して、大本営を長野県松代に移す計画を秘密裏に行っていました。沖縄の人々は、“国体の護持”つまり天皇制の保持のためにたくさんの犠牲を強いられました。大本営建設、そして少しでも本土決戦を遅らせる時間稼ぎのために捨て石とされたのです。
 有名な「ひめゆりの塔」は、従軍看護隊として現地徴用された女子学生たちの物語でした。彼女らは野戦病院とされた「ガマ(鍾乳洞)」で十分な医療器具もない環境で健気にも活動しました。今は慰霊碑として残されていますが、隣接するひめゆり資料館に展示されている少女たちの遺影には胸を締め付けられます。

 このようなガマは島の至るところに点在し、防空壕の役目を果たしていました。今は訪れる人もあまりありませんが、戦争の傷跡を生々しく物語ってくれます。ガマの中でたまたまヘアピンを拾うために屈んだおかげで、自決する人の手榴弾の爆風から逃れることができ、生還したという話。音をたてると敵に居所が知れてしまうと、周囲から非難され思い余ってわが子を手にかける母親の話。捕らえられて凌辱されることを恥として剃刀や鎌で殺し合う肉親の話。生きるために小便を飲んで渇きを潤したという話。 それらはまさにこの世の地獄絵図だったに違いありません。
 このツアーは、現地の方々の説明を伺いながら、これら戦跡のうちの幾つかを訪ね、またガマでの追体験などを通して、当時の凄惨な現実に少しでも近づいてみようという試みもあります。

 それでは、現在の人々の暮らしはどうなのでしょうか? 窓から見えるチョコレート色の大地は、作物が容易に育つような土壌ではありません。隆起石灰岩、つまり珊瑚礁でできた島であるために、大きな川もなく何よりも水が貴重です。
 また、住民がどういった場所に住んでいるのか見てきてください。ご存じのとおり、沖縄はリゾートの島であると同時に基地の島でもあります。日本全土の1%にも満たない小さな島に、日本の軍用施設の75%が集中しています。そしてそれらは島の一等地、つまり平らなところに居座っているのです。2分に1回、離着陸を繰り返す極東随一の空軍基地・カデナ。いくつもの山にまたがる広大な弾薬庫、ゲリラ演習場。国道を閉鎖し通学の児童を迂回させてまで行われる射爆訓練。校庭のすぐ脇で行われるパラシュート降下訓練。貯水池で行われる潜水訓練……そして頻発する事故、米軍人による犯罪。それらは東京にいる私たちの想像を絶する住民無視の横行です。それらに反対するために住民は立ち上がり、3回のカデナ基地包囲、普天間基地包囲行動を成功させました。

 1995年9月の米兵による少女暴行事件をひとつの契機として、反基地感情は本土も巻き込んで燃え上がり、マスコミにも常に注目されるニュースソースとなっています。その後も特措法の強行に対する反戦地主を中心とした反基地闘争、97年の沖縄サミット、を特措法による土地の剥奪。日米合同委員会で移転が決まった普天間基地、しかしその軍備の引き取り手は本土にはどこにもありませんでした。移転先として白羽の矢が立った名護市では、辺野古の海上ヘリポート基地の建設問題をめぐり、市民投票では基地はノーの結論が、しかし先の市長選では基地推進派が勝利するなど、振興策という甘い罠と基地反対、自然保護との狭間で揺れ動く県民感情が色濃く投影されています。本土返還から34年の歳月が流れてもなお、依然として国に、安保に、そして今度は新ガイドラインに蹂躙され続ける沖縄。沖縄には戦後はいつ訪れるのでしょうか。

 そして、最後に訪ねる伊江島は、タッチューと呼ばれる頂を持つ珊瑚礁で囲まれた美しい島です。しかし、こんな小さな島にも戦争の爪痕がたくさん残されています。かの沖縄戦で、伊江島には日本軍が空港をはじめ多くの陣地を建設しました。そして米軍上陸の際、約1500名もの人たちが戦闘の犠牲になった悲しい歴史を残す島なのです。島の西部は今も立入禁止の射爆場となっています。そして農地の強制収用を余儀なくされた島民は、粘り強くそして小気味よく土地返還運動を繰り広げてきました。

 このように沖縄は、美しい自然とは裏腹にさまざまな問題を抱えています。
 慰霊碑であるひめゆりの塔の前で売られる米軍放出の迷彩色の帽子が物語っているものは、一体、何なのか。摩文仁の丘と魂魄の塔のあの雰囲気の違いは何なのか。チビチリガマとシムクガマに見る生死の境はどういうことだったのか。辺野古のおじぃ、おばぁたちの悲しいくらい澄んだ瞳の見る未来はどんなものなのか。
 あなたの目で、耳で、手で、足で、そして心で、確かめてみてください。


私の体験した沖縄

 沖縄で昼間泳いでいる人は、まずと言っていいほど本土からの旅行者(ヤマトンチュー)です。 現地の人(ウチナンチュー)は、物凄い陽差しを避けるために朝か夕方泳ぎます。街中でも、うっかりすると、眠れなくなるほど灼けてしまいます。現地の方は長袖の上着の方が 多く、当然、帽子は必需品。

 サンゴの海で泳ぐ時は、足ヒレと足の間にサンゴのかけらが入ると痛いので、靴下を履いたまま足ヒレをつけたほうがBetter。上半身もTシャツを着たままがいいです。サンゴは思ったより鋭く、体に触れると簡単に切れてしまいます。

 ガマ周辺のヤブなどでは、蚊取り線香や虫よけスプレーが必需品。また、ガマの中は真っ暗闇。懐中電灯やロウソクを忘れずに。湿って滑りやすいので運動靴がBest。

 沖縄には鉄道がないので、終電を気にせずにゆっくりと飲めるからでしょうか(?)那覇でも、沖縄市でも夜の2時を過ぎてもたいへんな人だかり。

 沖縄の人々は、一言でいって“のんき”です。夜は8時頃まで明るいし、時間への執 着が私たちの感覚とはちょっと違います。待ち合わせに1時間くらい遅れてもお互いあまり気にしません。私たちは“沖縄タイム”と呼んでいます。そして何よりも、ものすごく人が良い。会って話せばすぐにわかるかとは思いますが……。

 余談ですが、沖縄に行ったら泡盛が美味しい。特にクースー(古酒)やシークヮーサー(ヒラミレモン)のジュースで割ったカクテルは格別。また地元のオリオン・ビールも美味しいです。泡盛はしこたま飲んでも翌日に残らないのが不思議。(もちろん限度はありますが)

 これも余談ですが、沖縄の食事は脂っこいものが多いです。水事情からか、何でも炒めて食べちゃうのです。豆腐でも、素麺でも、野菜でも……(最近はチャンプルー料理も メジャーになってきましたけど)、お茶うけは黒砂糖。漬物などは、梅干しと沢庵としば漬しかないように思います。

 沖縄の方言は、ちょっとやそっとでは理解できないところがあります。なぜなら母音が「A」と「I」と「U」の3つしかありません。「E」と「O」は他の3つの母音で代用しちゃうのです。だから「SOBA(蕎麦)」は「SUBA」に、「OKINAWA」は「UTINAA」になってしまうのです。

 最後にクイズです。

 T.次のことばの意味はどういうものでしょうか?
     1.カチャーシー  2.ハーリー  3.ゴーヤ  4.シーサー  5.チャンプルー
     6.ヒージャー   7.メンソーレ  8.かりゆし  9.うりずん  10.サンシン

 U.次の地名、何と読むのでしょう。
     1.南風原    2.東風平    3.金 武    4.読 谷    5.喜瀬武原
     6.北 谷     7.今帰仁    8.許 田    9.山 原    10.平安座島

 V.最後に人名です。何と読むのでしょう。(すべて苗字です。)
     1.喜屋武    2.我如古    3.勢理客   4.仲村渠   5.大工廻


《クイズの答え》

 T. 1.カチャーシー(沖縄独特の踊り)  2.ハーリー(爬竜船)   3.ゴーヤ(苦瓜)
    4.シーサー(魔よけの獅子)  5.チャンプルー(炒めもの)  6.ヒージャー(山羊)
    7.メンソーレ(ようこそ)     8.かりゆし(しあわせ)     9.うりずん(初夏)
    10.サンシン(三線)

 U. 1.南風原(はえばる)  2.東風平(こちんだ)  3.金武(きん)  4.読谷(よみたん)
    5.喜瀬武原(きせんばる)  6.北谷(ちゃたん)   7.今帰仁(なきじん)
    8.許田(きょだ)   9.山原(やんばる)    10.平安座島(へんざ・じま)

 V. 1.喜屋武(きゃん)   2.我如古(がにく)   3.勢理客(じっちゃく)
    4.仲村渠(なかんだかり)   5.大工廻(たくじゃく)

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