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 風の又三郎私考




 宮澤賢治の童話『風の又三郎』に登場する風の神としての「風の又三郎」が、民間伝承の「風の三郎」や、「座敷わらし」のイメージに重ねられていることは、これまで指摘されてきた(註)。ここでは、もうひとつのルーツとでもいうべき、天童としての「風の又三郎」というイメージに即して書いてみたい。

 宮澤賢治の宇宙観(死生観)を考えてみると、信仰者(熱心な法華経信者)としての側面が否定できない。同時に吉本隆明が異常感覚感(初期ノート)と呼んだような、特殊な幻覚幻聴体験が、自然とのふれあいのさなかにあったことが作品からうかがい知れる。そして、この自ら信仰する仏教的な理念と、この一種実存的とでも呼びたいような特異な実体験をつなぐところに、賢治は表現者としての磁場を定め、それはときに、あの世とこの世の媒介者の物語というテーマとして、自らの理念の投影のように描かれたのではないだろうか。

 「風の又三郎」に関連してそう考えてみると、いくつかの童話が思い浮かぶ。ひとつは、「ひかりの素足」であり、「雁の童子」であり、もうひとつは「水仙月の4日」である。

 仏教的な理念からすると、人間の生は、輪廻転生をくりかえす生命のひとつの相に過ぎない。死には、別の世界への転生の契機という意味が与えられている。しかし、また人間の生理感覚の側からすると、死の想念は恐怖の源泉であり、あくまで否定されるべき出来事だ。そのふたつのことが、「ひかりの素足」では、兄弟が雪の山道で遭難するリアルな前半の描写と仏教経典にでてくるような死後の世界(地獄と極楽)を描いた後半部の描写でみごとに対比されている。そして、「ひかりの素足」には、「風の又三郎」という名前が、冒頭で、弟の見る死の予知夢の中に登場する。
 その個所で、「風の又三郎」が与えられているのは、不吉な「死に神」のような役割であることに注意しよう。だが、「風の又三郎」を不吉な死に神のように捉えるのは、あくまで人間の自然感情の側にたった場合である。逆に彼等「天の眷属」にとっては、人間に死をもたらすことは、そうした人間の自然感情のうえにたった善悪の判断をこえた業であり、彼等は、自らに与えられた大切な役割を果たしているだけなのだ、ということになろう。

 「雁の童子」には、「風の又三郎」は登場しないが、鉄砲で撃ち落とされた雁の群の中の一羽が、無傷で地上に落ちて、人間の子供の姿になり、信仰の厚い夫婦によって育てられる、というこの物語の中には、作者が「天の眷属」の童子的なものに付与したがっている性格が、かなりはっきりとでているように思える。それを一言で言えば、心根の善良さ、ということだろうか。いうまでもなく、この物語は、一種因果応報のストーリーになっている。前世のむくいで雁に生まれ変わった子供が、また定められた報いによって、前世に自分の親だった人の前に人間の姿になって現れ、愛されて幸せに暮らすが、やがて去っていく。そういう意味では風の神である「風の又三郎」とは性格が異なっているのだが、人間世界に雁の化身のように姿をあらわし、しばらく暮らしたのちに去っていく、仏教理念的な価値観念を体現した存在(護法童子的な)の物語、という意味で、イメージとして共通したものが感じられる。

 「水仙月の4日」は、「ひかりの素足」には夢の中にしか登場しなかった「風の又三郎」(たち)の側から、ちょうど「ひかりの素足」の前半部分を俯瞰したように、子供の雪山での遭難を描いている、というところがある。この作品で注目したいのは、登場する天の眷属たちの顔ぶれが、雪婆んご(ゆきばんご)、雪童子(ゆきわらす)、雪狼(ゆきおいの)というようにバラエティに富んでいることだ。雪婆んごは、いわば彼等の本性(自然の意志そのもの)を現していて、その子供である、雪童子(ゆきわらす)や、従者である雪狼(ゆきおいの)に向かって、さかんに雪を降らせ、雪をとばせ、と、けしかける。それに対して、雪童子は、彼女の命令に従順に従いながらも、ちょっと違って人間に同情的である。雪婆んごは、雪山で凍えている人間の子供をみつけて、「おや、をかしな子がゐるね、さうさう、こつちへとっておしまひ。水仙月の四日だもの、一人や二人とつたつていゝんだよ。」というが、雪童子は「えゝ、さうです。さあ、死んでしまへ。」と、口ではいいながらも、そっと人間の子供を救おうとする。この雪童子に付与されている微妙な慈悲の思い(仏性)が、たぶん、作者が、天の眷属のなかの童子的なものに与えたかった属性のように思える。

 このことは、「雁の童子」のしめす、子供としては特異な(と親がいぶかる)反応(さかなを食べようとしないエピソードや、連れられて行く仔馬に同情するエピソード)にもしめされている。ここでいいたいことからすると、ちょっと寄り道になるのだが、この微妙な慈悲の思いということは、たぶん、賢治の仏教的な理念の到達点のひとつだと思う。それは、人は生理的に定められた業のようなものに決定づけられて生きているが、そうした宿命的な枠のなかで、一見偽善や矛盾や気休めのように思われかねない、微妙な、慈悲の思いを持ち続けることの大切さ、というようなことだ。それは「ビジテリアン大祭」や「よだかの星」といった作品にも登場する考え方だが、この慈悲の心を人間の中ばかりではなく、荒ぶる天然自然の摂理の中にもみいだそうとしたときに、造形された(着目されたというべきかもしれないが)のが、凶暴な自然の意志そのものをあらわす天の眷属の一員でありながら、微妙にそうした自らの使命にあらがっても人間に同情をよせるような天童子的なものの心の物語ではなかっただろうか。

 ここで、ようやく「風の又三郎」について書くことになる。ここでいいたいことからすると、「風の又三郎」は、民間伝承としての風の神「風の三郎」や「座敷わらし」といったイメージをベースにして、そこに、人間界に降りてきた天童というモチーフを忍ばせたものだといえる。彼はなんのためにやってきたのか。なんのために、と問うことは本当は適切ではないかもしれない。風の神(たち)は、定められたとおり、季節の訪れとしてやってきたのだし、賢治童話のセリフのように「それはそうきまっているからそうなのだ」、としかいえそうにもない。ただ、なんのために、ということをもう少しつきつめてみると、ぼんやりと浮かび上がってくることがある。それは、「水仙月の4日」の雪婆んごの言葉、「おや、をかしな子がゐるね、さうさう、こつちへとっておしまひ。水仙月の四日だもの、一人や二人とつたつていゝんだよ。」が暗示していること。つまりは、をかしな子の命を奪ってもしかたがない、というようなありかたで、死をもたらすような可能性としてやってきたのだと。

 「ひかりの素足」のなかで、最初に子供が見る夢のように、「風の又三郎」でも最初に風のうたがひびく。想像だが、「ひかりの素足」で、そのことを知らされた兄や父親が驚くように、夢で風の又三郎を見た子供は、死ぬ、という伝承がどこかの地方にあったのかもしれない。そうすると、このうたが暗示しているのも「青いリンゴ」(まだ熟していない果実)に象徴される子供の死なのではないだろうか。こういう解釈だと、文中には名前のないその夢をみた(うたを聞いた)「をかしな子」、それは嘉助だ、ということになる。なぜ嘉助なのか。物語では、三郎の本当の姿をいちはやく伝承の風の神である又三郎だとみぬき、そのことを信じるような、ある種異世界への親近性をもつ資質の子供ということがわかるだけだ。ただその反応も、もしかすると、夢できいた風のうたのおぼろげな記憶がよみがえって、嘉助は伝承の風の又三郎と転校生を結びつけたということかもしれない。「ひかりの素足」でも、「水仙月の4日」でも、受難者に、あらかじめ受難に結びつくような特別な資質は与えられていない。そういう意味では嘉助も偶然白羽の矢をたてられたということもできよう。もっとも、この物語からは隠されているが嘉助と彼の受難には、別の次元で輪廻転生の因果の物語があると考えるほうが、作者の意図にはあっているというような気もする。

 この解釈をおしすすめると、物語のふたつのピーク、9月4日(水仙月の4日)と、9月9日に、嘉助は、風(天候)のせいで、命をおとしそうになる。そして、そのどちらでも、風の又三郎によって、すくわれるのだ。9月4日最初の山場で、嘉助は生死の境をさまよう。この時、又三郎は自分が原因で生じた事態の流れをつぶさに傍観しているように現れる。9月9日には、川の縁で嘉助は又三郎に振り回され溺れそうになる。これがもう一度の嘉助の受難だ。この川での又三郎の様相は一瞬鬼の本性をあらわしている。又三郎は自分がなにをやったのか覚えていないかのようだ。

 こうした物語の描写が、なぜ、又三郎が嘉助の命をすくったことにつながるのか、よくわからないかもしれない。しかし、それは作者が、天童子の属性である、前述した微妙な慈悲の心を、この物語にも潜めているに違いないという、ここでの読みの試みから導かれる必然ではあるのだ。天の眷属の一員としての風の又三郎の使命は、くりかえしになるが、「おや、をかしな子がゐるね、さうさう、こつちへとっておしまひ。水仙月の四日だもの、一人や二人とつたつていゝんだよ。」という、「水仙月の4日」の雪婆んごのけしかける声の側にある。彼のまわりで吹きつのる風は、雪婆んごの声そのもののようだ。それに対して、天童子としての風の又三郎の気持ちは、

「雪童子は「えゝ、さうです。さあ、死んでしまへ。」雪童子はわざとひどくぶつつかりながらまたそつといひました。 「倒れてゐるんだよ。動いちやいけない。動いちやいけないつたら。」」

という「水仙月の4日」の雪童子の描写と同じ位相にある、と思われる。このずれ(というより、天童子としての風の又三郎の慈悲の心)が、物語の表層からは隠されていることが、物語に異様な緊迫感やミステリアスな効果を与えているのだが、それは同時に、風が子供の命を奪おうとする、というこの物語にかくされているモチーフ自体も子供たち(読者)の目から消すことになり、又三郎のふるまいについて、さまざまな解釈(この試みもそのひとつだが)を与えることになった。

 たぶん、「水仙月の4日」で、雪童子が子供の命を雪婆んごに覚られないようにそっとすくってやったのと同じように、風の又三郎は、嘉助の命をすくっている。「水仙月の4日」では、その雪童子の行いの結果(子供の命を奪うことも救うことも)には、雪婆んごはあまり気に留めていないないように、描かれている。そうして、「風の又三郎」でも、又三郎の父親は「ここのモリブデンの鉱脈は当分手をつけないことになった為」という、なんとも、そっけない理由でその地を去るのだった。



付記)今年(2002年)の1月と2月に横浜の朝日カルチャーセンターで行われた特別講義「対談「『風の又三郎』の謎にせまる」という催しを公聴した。ゲストの天沢退二郎氏と講師の吉田文憲氏が、対談トークを進めながら童話『風の又三郎』を解読していくという内容だった。この稿は、その時に受けた数々の刺激と、その頃に宮澤賢治の童話作品をいくつかまとめて読んだ経験がもとになっている。第一回目の講義で、又三郎の父親が調査にきたのが、なぜ「モリブデン」の鉱脈だったのか、ということが、お二人の間で話題になった。天沢氏は、語感からいって、モリブデンでしょう、タングステンではまずい、というようなことを言われて、語の響きを解説されたのだが、その時、モリブデンという言葉の語感の与える重たい死のイメージの響きというようなことを言われたのが印象にのこった。風の又三郎の父親もまた風の又三郎である(と呼ばれる)、といった、他のいくつかの断片的なイメージが響き合って、この物語は、風(天の眷属)が子供(嘉助)の命を奪いにきて果たせ(さ)なかったという物語として解釈できるのではないか、という構想(^^;が浮かんだ。このことは、その場の思いつきに過ぎなかったのだが、面白がって講義当日の二次会で、ご一緒した海埜今日子さんや、講師の吉田文憲さんにもお話したのを覚えている。その後、あのキリタマタサブロウ論公開したら、とさる掲示板で海埜さんに書いてもらったことも励みになって(^^;、想像をたくましくして読み書きしているうちに、だんだん膨らんで、こういう走り書きみたいな結果になった。

註)
天沢退二郎氏は著書『謎解き・風の又三郎』(丸善ライブラリー)で、異稿「風野又三郎」の中で、子供たちが叫ぶ囃しことば、

豆呉(け)ら
 風どうと吹いて来

が、岩手でよく知られた伝承的なわらべうたのひとつであると指摘されている。本稿との関連はあまりないのだが、せっかくなので、ネットで採取したわらべうたとその掲載サイトを、ふたつあげておきます。



○新潟県村上市に伝わるわらべうた。


風の三郎

(風が吹いてほしいとき)
 風の三郎
 豆一升くれんに
 風吹いて 来いや
 来いや 来いや 来いや
 来いや

(風が吹いてほしくないとき)
 風の三郎
 豆一升くれに
 風吹くな 吹くな
 吹くな 吹くな 吹くな
 吹くな


「童歌-光への旅-」より



○山形県最上郡真室川町の安楽城地域に伝わるわらべうた。


凧上げ

  風の三郎ア 背病(ヘヤミ)みだ
  お陽(ヒ)さま まめだ
  カラカラ風 吹け吹け


「安楽城のわらべ唄」より。



「座敷わらし」については、宮沢賢治自身も「ざしき童子のはなし」という4つのエピソードからなる童話的短文を残している。ここでは柳田国男の一文を引用しておこう。

ザシキワラシ(二)

 明治四十三年の夏七月頃陸中上閉伊郡土淵村の小学校に一人のザシキワラシ(座敷童)が現れ、児童と一緒になつて遊び戯れた。但し尋常一年の小さい子供等の外には見えず、小さい児がそこに居る此処に居るといつても大人にも年上の子にも見えなかつた。遠野町の小学校からも見に往つたが、やつぱり見た者は一年生ばかりであつた。毎日のやうに出たといふ(以下略)。『柳田国男全集第四巻』「妖怪談義」(大正三年八月、郷土研究二巻六号初出)より

テキストは『新修宮澤賢治全集』(筑摩書房)を使用しました。




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