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 布村浩一詩集『大きな窓』について




 以前、布村さんの詩集を読んで、その印象を、「自分が生きているという日々の生存感覚と、詩の言葉を、ある直接性で切り結びたいという欲求に、いつも促されるようにして」詩を書くというふうに記したことがある。(註1)
 そのときの思いは、この新詩集『大きな窓』の読後の印象においても変わらない。布村さんの生活の内側でかってひとつの「精神が折れるような体験」があったことが、前詩集『ぼくのお城』の「あとがき」で触れられているが(註2)、その体験からの「回復の過程」である5年間に書かれた詩作品の集成が前詩集だとすると、この詩集にはその後の5年の間に書かれた作品が収録されていることになる。そういう連続性のなかで作品をふりかえることが、いつも自分の生の主題から目をそらさない姿勢で持続的に書き継がれている布村さんの作品を読み解くうえで、大きなヒントをあたえてくれる、という気がする。
 たとえばこの詩集の冒頭におかれている「船の上」という詩は、前詩集に収録されている「説明」という詩と遠く響きあうようなところがある。あるとき深刻な「精神が折れるような体験」に見舞われたことを契機にして、自己の連続性とでもいうべき世界が断ち切れてしまったように思えた。その連続性を回復し、確認するために書くということが大きなテーマになっている。「説明」という詩には、こういう一節がある。


  あの時、ぼくの流れが止まったとき、連続線が切れ、ぼくが崩れ、
  ひからびた地層が顔をのぞかせ、まだ癒すこともわからず幽霊のように街を歩いたあの夜
  からやって来たぼくは行くところがある。地平線と連続線がぶつかるあの暗い海まで行く
  切符を持っている


 この詩の二年後くらいに「船の上」は書かれている(註3)。確かに布村さんは「あの暗い海」にでたのだ。「連続線が切れ」たという事態は、「船の上」では、船上からふりかえると見える「崖」という越えがたい境界をしめす言葉にいいかえられている。海の沖に向かって生きる、ということは、自分がかって生きていた「崖」以前の関係世界をすてること(落とすこと)と同義だった。だが意志しても捨てられない関係もある。それを「血をぬぐう」(すてようとすることで浴びた返り血をぬぐう)という言葉が暗示しているが、その心のドラマはたとえば「父の決意」という作品で語られているだろう。

 「船の上」という詩は、そういう意味で後に書かれこの詩集に収録された作品群のはじまりを告げる象徴的な作品となっているように思える。「船の上」からものを落とすという微妙な所作で語られている作者の「生き方」が、この詩集にはさまざまなかたちで描かれているといっていいように思えるからだ。詩集の前半に収録されている作品群では、生活のいろいろな場面に舞台が選ばれているが、時に顔をのぞかせる「崖」の記憶をうち消すというテーマが、潜在的に作品の表層にあらわれる情緒的な気分さえ演出しているようなところがある(註4)。

 これは勝手な想像なのだが、たぶん太田省吾作・演出の「水の駅」という演劇作品を観劇した日のことをその印象にからめて描いた「伊豆弓ヶ浜」という詩を書いたあたりから、布村さんの詩の意識の潮流になにかが起こったと考えていいのだと思う。その作品には「なにもおこらないことにおどろいている」という印象的な一行が登場するからだ。そしてこういう想像の読み筋からすれば、この意想は「なにもおこらない場所」への関心にひきつがれる。その象徴的な「場所」がこの詩集の後半に収録されている幾つかの作品の共通の舞台である「大きな窓」を前にした喫茶店の椅子のうえだ、ということになる(註5)。そうした後半の作品群の中で「雨の降る大通り」という詩は、「大きな窓」からみえる風景が作者にとってどんな意味をもつのかをよく描ききっている。以下に詩の前半部分を引用してみる。


  雨のふる
  駅前の大通り
  車が走っていて
  傘をさす人たちが歩いていく
  久しぶりの雨だな
  ぼくは約束がすべて終わって
  次は何が起こるのだろうと
  くらい曇った空をみつめている

  別に何が起こらなくてもいい
  こうして窓の大きなビルの二階から
  車の移動や
  終わらない雨をみているだけでもいい
  普通の人になるという物語が
  あとすこしだけ残っている
  それがなくなったら
  ぼくはもう
  なにもないな
  1970年の暗い空から歩きだす
  1970年の透明な夏から歩きだす
  それから
  30年もたって
  普通の人になろうとしているぼくは
  雨が降ることだけをみつめている
  今日はこのことだけをしている


 この窓に映る風景には「崖」はもう登場しない(89年12月の意味が30年の歳月のなかで相対化されているかのようにみえることに注意をむけてもいい)。「約束はすべて終わっ」たのだ。「船の上」になぞらえれば、船は確かにある季節を過ぎ、いつしか遙かな沖にでて、今では「なにもおこらない」海上の風景がみえるばかり、というところだろうか。だが作者にはまだ「なにもおこらない」ことに「おどろく」、という仕事が残っている。




註1)
関富士子さんのウェブ・マガジン「raintree voi15」に掲載
「布村浩一詩集『ぼくのお城』(昧爽社)を読む」

註2)
「89年12月の体験のあと、自分のすべてを否定した。変わろうと思った。否定していたものを逆に肯定していこうと思った。ぼくは変わろうとする。「家」も「国家」も「働くということ」も「血」も「世間」も認めようと思った。全部駄目なんだ。ぼくは終わったんだ。
 その時間が続いたあと分からなくなる。こんなことをしていたら自分が自分でなくなる。どこへ行ったら良いのかわからなくなる。連続しないのだとすればぼくは何者なんだ。回復しようとする行為が一段落したあとこんな風に考えた。「回復しようとする」こと以外ぼくはしていなかったのだ。「次」というものがわからなかった。今でもその位置にいる。」(詩集『ぼくのお城』の「あとがき」より)

註3)
以下に「船の上」全編をあげておく。


船から落としたもの
海の底で貝のかたち
船から落としたもの
石のようにころがっている
船から落としたもの
手を海に透かすと手が流れていく
かたいもの やわらかいもの
動くもの じっとしているもの
船から落としたものは十以上ある
振り返れなかった

世界がやさしい晴れ間で ぼくはどこを歩いても
誰にもぶつかることはなかった
近寄ってきた人の顔をじっとみ 流れているものを感じとろうとした
眉 鼻 唇 しわ どこにも血が流れている

船から落とすもの 振りかえるといつも崖があって
ぼくはまったくなにも持っていないか
持っているものはすべて崖の上のものかだった
だから考えはじめると指がひろがってしまい
落とした

崖からはなれた
はなれる方向にだけ風はある
はなれる方向にだけ風はあって
はなれる方向にだけ身体は浮いた

あたたかい母の血の上に落ち
あたたかい父の血の上に落ち
あたたかい家の血の上に落ち
あたたかい兄妹の血の上に落ちた

血をぬぐった 残った
船の方向にころがりつづけて
船の上で呼び声がする
忘れることを
身体だけが覚えていて
水に手を入れるしぐさ


「説明」は、94年4月に個人誌「出来事」に初出。
「船の上」は、96年2月に「ジライヤ20号」に初出。

註4)
「雨」という作品には、「雨の音ならだいじょうぶなんだ/どんな音でもだめになるけど」「雨の音ならだいじょうぶ/他の音ならどんなものでもだめだけれど」と二度くりかえされるところがある。雨の音以外のどんな音でも、「だめ」になるのは、それが「音」で描かれているような耳障りな「騒音」だからというよりも、音が「崖」にまつわる記憶と結びついてしまうからだという含みがこの詩にはある。雨音だけが、「海の記憶 空の記憶」に抜けていける自己同一性のなかで孤独な記憶の通路をひらいてくれる。この「海の記憶」という言葉は、冒頭の「船の上」とも重なるイメージだが、「船の上」の最初の連の、ものをおとして船上からのぞきこむ描写のまとう美しく鮮明なイメージが、作者が子供の頃に遊んだ穏やかな瀬戸内の内海の記憶に由来するかもしれないことを、さりげなく暗示しているように思える。

註5)
これらの作品群に共通しているのは、窓の風景から触発されるようにして、作者の内側(風景をみている自分をみている自分という場所)から訪れる「ふつうのひと」や「出来事」というイメージへのこだわりだ。それらは「ふつうのひとになること=出来事になること」という形で結びあわされている。この固定観念のようにいくつかの作品で変奏されるイメージには、きつい自意識の檻からのがれて風景や出来事そのものにとけてしまいたい、というひそかな自己消去への願望と、平穏であたたかい血の通う人たちと関係を取り結びたいというありうべき生への希求がないまぜになっているようなところがある。そしてその振幅は私たちが「自分で自分を見る」場所で感じる同様の振幅に確かに触れているという感じがする。







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詩集『大きな窓』(2002年8月31日発行・詩学社刊)

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