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 「詩を書く人々」のでてくる映画




「ポエトリー・セックス」*という映画をケーブルテレビの映画専門チャンネルでみた。舞台は現代のオーストラリア。主人公の女性私立探偵ジルが、失踪した娘ミッキーの行方を捜してほしいと彼女の両親に依頼されるところから映画ははじまる。ミッキーは親元をはなれ下宿して大学に通う学生だったが、大学では現代詩の講義を受けるほど詩に興味をもっていた。また街角のパブのような店で開かれるいかにもポエトリー・リーディングという雰囲気の詩の朗読会にも参加して自らも自作詩を朗読するなどしていて、その会がひけた後に消息をたったということがわかってくる。そこで怪しいのは彼女が私淑してつきあいもあったらしい二人の男性詩人、ということになるが、一方ミッキーが受講していた現代詩の講座の担当教授ダイアナに面会したジルは、一目でダイアナの不思議な魅力にひかれ、何度か会ううちにしだいにふたりは恋人同士のような関係になっていき、そうこうするうちに、くだんの女子学生ミッキーが実家の庭先で犬に食い荒らされた無惨な死体となって発見される。。

 こう書いていくと、なんだかどういう映画かよくわからなくなってしまったかもしれないが、基本はあくまでも私立探偵が、失踪した娘を捜し、娘の死体が発見されてからは、謎めいた脅しを受けながらその殺人事件の犯人を追うというオーソドックスな犯罪ミステリー映画じたてになっている。ただし、主人公の女性私立探偵ジルがレズビアンという設定で、映画半ばからは、彼女と亭主持ちの大学教授ダイアナの恋愛模様というか心理的な葛藤もふくめた情事のシーンもふんだんに入っているという、R-15(R指定)の映画なのだった。

 この映画、なにが面白かったかというと、元警官で、上司とのいざこざがあって警察をやめ、今は都会がいやで人里はなれた山奥に居をかまえて、車で長い道のりを事務所のあるシドニーまで通っているという、この一風変わったクールな女性主人公ジルのライフスタイルも含めた人物造形(クールながら、インテリである大学教授の魅力にくらりとひかれていってしまう純心な乙女心的心理描写なども)なのだが、それとは別に、現代のシドニーで「詩を書く人々」の世界の一端がさらりと、しかもかなり距離をつめて典型的に描かれているということも大いにあった。

 ところで、現代のシドニーで、と書いたが、これは典型としては、現代の東京でもニューヨークでも似たようなことではないだろうか、というような感じをもった。大学の授業で詩を学びながら、街角のパブの朗読会で詩を朗読する。そういう若い女性が、有名男性詩人にあこがれる。そこまでは「詩」を囲繞するシステムとしても都市の風俗文化としても今や世界のあちこちで普通のことのように共通してるといえる時代がきているのかもしれない。ただし、映画の女子学生ミッキーは、誰彼なく男性詩人たち性的な関係をむすんでいたという設定になっているし、登場する二人の有名男性詩人たちのほうは、ひとりは聖人めいた詩を書くが実は俗物で、ひとりは詩界の有力出版社と通じた女性詩人の囲われ者という感じで描かれている。そういう色あげの部分は、たぶんに詩とは無関係なゴシップ的な扱いで、別の意味で「詩をかく人々」の小世界を、芸能界の裏事情を暴露するみたいなレベルで回収してしまう視線も感じる。たぶんこの映画を見て、「詩をかく人々」の世界に親近感を覚えるひとはまれだろう。

 ただ、つけくわえれば、この色あげの部分は、映画のシニカルな視線にとって、その前提となる舞台が現代の別の芸術分野でもたぶん変わらなかった、とはいえることだろうと思う(たとえば「刑事コロンボ」シリーズには、よくこういう業界の有名人が実は真犯人という設定がでてくるが、そういうパターンに似ている)。またこの映画で「詩を書く人々」そのものが、特に悪意をもって描かれているわけではない。それは主人公ジルが両親にとっては信じられないようなミッキーの残した直裁で性的な表現にあふれた詩に、これはごく普通のことだと理解をしめすところに現れているし、その一線が現代をタフに生きながら同性の他者を求めて憧れと挫折を繰り返すような主人公ジルの生き方にも繋がっているように描かれてはいるからだ。


  *「ポエトリー・セックス」(2000年 豪 出演スージー・ポーター ケリー・マクギリス) 誰がつけたのかすごい和製タイトル(原題はTHE MONKEY'S MASK)だ。監督は、サマンサ・ラング。この人は『女と女と井戸の中』(THE WALL 97年・オーストラリアのアカデミー賞、主演女優賞、脚本賞、美術賞を受賞)を撮っていて、この作品が第二作目。一作目もやはり犯罪映画という基調で、実は登場人物たちの心理的な葛藤のほうにテーマがあるという屈折した映画のつくりは変わっていない。以前ホームページに書いた『女と女と井戸の中』の短い感想を読み返したら、最後に「ほかの作品も撮ってたら見てみたい」などと書いてあった。すっかり忘れていたが、映画専門チャンネルをけっこう頻繁に視聴しているせいで偶然希望がかなったということになる。三作目も見たい、と書いておこう。







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