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木村和史「ふたつのながれ」を読む   



 木村和史さんの短編小説「ふたつのながれ」を読んだ。「ふたつのながれ」は、友人に頼まれて平日は泊まりこみで小規模な福祉作業所で働きはじめた「わたし」が体験した日々の印象的な出来事、とりわけ修さんと呼ばれる40代の「わたし」と同年配のダウン症のひととの交流のエピソードを書き綴った私小説的な短編作品だ。表題の「ふたつのながれ」という言葉には、その福祉作業所のある街に流れていて、「わたし」が毎日目にし、水音にききいることのあった「どぶがわ」の流れと、修さんと「わたし」の、しだいに彫りが深くなっていく人間関係に象徴されるような、作業所での日々の流れ、というような意味がこめられているのかもしれない。全体のモノローグ調の「わたし」の語りは内省的で、内側にひくくしずみこんでいく感じで、それでいてどこか世界をふっきったようなところがある。この作品で主題になっているのは、たぶん人間相互のコミュニケーションの問題(気持ちのふれあい)ということで、その難しさ、ということが、「了解し合っているものがほとんど何もない。」ダウン症の修さんと「わたし」の間で生じたいくつかのエピソードを通して繊細に語られている。

 うまく言葉の伝わらない自閉症の人やダウン症の人の相手をする作業所に勤めはじめて、最初「、、、この仕事をするようになって、言葉というものが分からなくなった。言葉と人はどのようにつながっているのか、ひとつながりにつながっていると信じていた自分が分からなくなってしまった。」と感じていた「わたし」だったが、作業所の日課になっている毎日の散歩で修さんの手をとって引率するのを繰り返すうちに、言葉による深いコミュニケーションはできないが、その挙動やその場限りの感覚的な短い言葉のかけあいを通して、しだいに修さんのなかに「人としての気持ち」を発見していく。やがて「わたし」は「気持ちが伝わるのだとしたら、言葉が伝わらなくても、不自由とは言えないのではないだろうか。言葉と気持ちがすれ違ったまま激しく行き交うよりは、気持ちだけなんとなく伝わってくることの方が、確かなものと言えるのではないだろうか。」とまで思うようになるのだが、そのうえで、それにしても「その曖昧さを、確かなものと信じることができないのはなぜだろう。」と問いかける。それがたぶんこの作品のいちばん底にある問いのような気がする。

 ところで、この問いは、問いの発見そのものが繰り返し反芻せざるを得ない答えであるような世界から、私たちが逃れられずにいる、ということを意味しないだろうか。小説の中の「わたし」は修さんに対して、たぶんこれ以上の対応はできないというような誠実さで対応しているように思える。それは「わたし」が人あしらいの上手い優秀な作業所の指導員のような性格だからということではない。むしろその誠実さの印象は、「わたし」が自らの弱さや怠惰さを自覚していて、時に手をぬいたり、ふっと自分の気持ちがゆるんでしまうのを内省的に把握しているところからきている。
 作品には、「わたし」が路地で修さんの来るのをまちかねて、どぶがわを覗きこんでいると、修さんが、それをみつけて「こらあ」と怒り、そんな状況に「わたし」が対応する場面がでてくる。


「「お願いだから、修さん、わたしをさぼらせておくれよ」と、ひとりごとのように呟くと、「だめ」と、きっぱりした声で答えるのだった。
「ほんとにだめ?」
「だめ」
 修さんはわたしの手を握ったまま、不満そうに口を尖らせる。「そうか、だめなのか」わたしはわざと大げさに、ため息をついてみせた。」


このエピソードは、丁度裏返されたかたちで、のちに「修さん」の行動になってあらわれているように思える。


「「修さん、行くよ」と、わたしは声をかけた。
「あいよ」と、修さんが答える。そして腕を構え、駆け出す姿勢をつくる。でもすぐに修さんは腕を下ろしてしまい、疲れたようにため息をついた。
「修さん」
「いけねえ」と言って、修さんが自分の頭を叩いた。
「困ったもんですなあ」
「すいません」修さんは目じりに皺を寄せて、ぺこっと頭をさげた。」


 ここで、修さんは、路地で「わたし」がさぼってみせたのと、同じことを自分でしてみせて、「わたし」とのコミュニケーションをはかっている、といえるのだと思う。つまり、「わたし」は路地で「さぼる」ことを修さんに拒絶されたのだったが、そのとき、「わたし」が修さんに「そうか、だめなのか」と「わざと大げさに、ため息をついてみせた。」ために、修さんは、たぶんそのときの「わたし」の演技的な所作の意味を察知したのだ。そのことで、修さんは、「わたし」に対する関係の自由度のようなものを自然に手にいれていることになっている。  もうひとつ同じようなことは、修さんが目が悪くて、歩道橋はかけのぼるほど元気なのに、下り階段はゆっくり時間をかけないと降りられないというくだりから、小説のラストにいたるエピソードにでてくる。


「 この最後のところでわたしはいつも、修さんのペースに合わせることに、なぜか違和感を覚えるのだった。階段を一段先に下りて、修さんを振り返り、いつでも手が差し出せるように構えを作る。修さんが一段下りると、先にまた次の一段を下りる。その時間のずれを何回か繰り返していると、待ちきれない自分の気持ちがこぼれ落ちそうになってくる。」


 修さんの手をとって階段をすこしずつ修さんが降りるのを手助けするときの、このいらいらする感情を、「わたし」は修さんにはみせられない、と思う。なぜなら「わたしの心の状態がそのまま修さんに伝わってしまったら、修さんはわたしを拒絶し、それきり心を閉ざしてしまうに違いない。そうしたらわたしの仕事はますます困難なものになるし、それだけでなくて、仕事の外でなにか大事なものを失うことにもなる。」という気がするからだった、と書かれている。しかし、この「わたし」がかくそうとした感情(実際に「わたし」がするのは、忍耐強く「修さん」につきそうことなのだが)も、たぶん、修さんは察知していて、その心の負担のようなものを解放するために、のちに、わざと石段のうえから飛び降りてみせる。そして修さんのとつぜんの挙動にいぶかりながらも、「わたし」はたぶん修さんがいちばん聞きたかった言葉、「なんだ、できるんじゃないの」という言葉を、さりげなく修さんに告げるのだ。

 「わたし」はこうした修さんとの交流のなかで、修さんに「さぼる」行為をみとがめられたら、おおげさにためいきをついてみせながら、「腹がたつ」のも感じているし、階段で修さんの手をとりながら、苛々する自分を表に出すまいとしている。そういう「わたし」の内面の思いを、たぶん修さんはことごとく察知して、それに反応している、というように小説では描かれているように思える。「わたし」がこうした時の対応をもっと完璧にやりとげていたら、むしろ修さんはそういう「人としての気持ち」を行動にあらわにすることはなかったのではないか。そう考えるとき、作者はこの「わたし」と修さんの、ひとの半ば無意識の挙動の放射する気配とその気づきがふれあうようなエピソードをかりて、もうひとつ別の、ひとの関係における行動原理のありかたのようなものを、はるかに指し示しているようにも思えたのだった。


付記)リタに参加してくださっている清水鱗造さんが、ご自分のサーバーをつかって複数の住人が簡単なホームページをつくって利用することのできる「灰皿町」というバーチャルシティを立ち上げておられるのだが、木村和史さんのこの小説は、その中の木村さんのホームページに掲載されているもの。ネットの中で発表されている小説の感想をネットの中で発表する。このことに余り深い意味はないかもしれないが(^^;、ひとつだけ書物の世界と違うのは、批評や感想の対象になっている作品を、その気になれば、だれでも確実にかつ手軽に読むことができるということだと思う。こういう試みもまた機会があれば意識的にやってみたい。








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