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 佐伯多美子詩集『果て』について



 佐伯多美子詩集『果て』には作者の精神病院への入院体験とその前後の出来事が包み隠さずという感じで描かれている。伝えがたい痛苦の記憶を呼び覚ますであろう過去の出来事をあえて対象にすえるという、そうした強靱な表現への姿勢が認められるということだけでも驚くべきことだが、この詩集の独自性は、そういういいかたが許されるとすれば、詩の精神が自らの過去の正気と狂気の境界をいききした体験を、自在に仮構・再構成することで、「事実」から「真実」のほうへ、ひとつの私性をめぐる「物語」をおしひろげているところにあるように思える。

 どうしてそんなことが可能なのだろう。あまりうまくいえそうにもないが、もしひとつ内在的にいうとすれば、なにか、純粋なもの、超越的なものへの自己のまなざしの肯定性とでもいいたいような、稀有な資質が作者に備わっているからのような気がする。正気といい狂気といい、ある状態をその超越的なもののフィルターをとおしてみると、なにか自己から分離した「現象」のようなものとしてとらえられる。それは客観主義というようなことではなく、むしろ主観が世界をおおいつくしているような場所でたちあがるまなざしではないのだろうか。ともあれ、それは作者のとても伸展性のある個性的な精神的資質に根ざしているようなことに思える。また、外在的にいうとすれば、やはり詩集成立までに経過した物理的な時間という、時熟とでもよびたいような条件が、この詩集の達成をもたらしたのだ、ということはいえるかもしれない。


 私が精神病院に入院したのは、一九七七年三月に器物破損で警察保護・精神衛生法(現
精神保護法)で小平のM病院に措置入院。病名は「精神分裂病」(現統合失調症)翌一九
七八年二月退院。同年九月に再入院。一九八四年八月退院。二回の入院で入院生活は七年
弱になります。しかし、その兆候はそれ以前、三年以上遡るようです。診断書によると、
一九七四年十二月に世田谷のO病院で診察を受けて診断不明。幻聴幻視の兆候が出始めた
のは警察に保護される数ヶ月前。かなり長い期間彷徨していました。この詩集では、その
前後のことを、「正確」に書くことを心掛けました。記憶は、背骨に凍りついています。
(詩集『果て』あとがきより)


 このあとがきには「二〇〇二年十二月」の記載があり、詩集の発行は二〇〇三年四月十日となっている。また詩集に記載のある著者の既刊詩集の項には、『自転車に乗った死者』(1988年 詩学社)、『つばめ荘にて』(1997年 七月堂)とあり、この詩集『果て』が第三詩集にあたることがわかる。こうしたことから推察できるのは、一九四一年生まれ(同書の記載より)の著者が精神病院に入院したのは三〇代後半から四〇代前半にかけてのことで、第一詩集を上梓されたのが四十七歳の時、さらにこの第三詩集『果て』は、第二詩集『つばめ荘にて』以降に書かれた作品が収録されていると想像されるから、その時期を98~2002年とみつもってみると、それは著者が五十代後半から六十代にかけてのこと、というふうになる。つまりこの詩集『果て』は、著者が病院から退院後十五年の時をへだてて、意識的に当時のことを「正確」に再現するように書かれた詩集なのだということができそうだ。

 詩集『果て』には、過去のある時期の時間の経過にそって起きた出来事をテーマにした作品が通時的に並べられているわけではないのだが、全体を通してみると、作者の入院体験がその前後の出来事も含めてくっきりと浮かび上がってくるように構成されている。独り暮らしをしているときに、かすかな精神の変調のきざしからはじまり、しだいに幻聴や幻覚をともなうような圧迫感がましていき、ついにひきおこされた事件があり、そのことがきっかけで病院に入院させられることになった、入院中にはこんな出来事があった、、、といった一連の出来事の場面場面が、それぞれの作品のが核になっているといっていい。過去を顧みて、そのとき何が起きていたのかを冷静に自己分析できる、という時点でたぶん病は癒えている、とはいえよう。けれど起きた事実を調書のように事実として描くだけでなく、その時に生起していた自らの内面の意識の様態を(心理的な意味で自らにてらして)「正確に」描こうとすることは、そういう客観的な自己分析とはまた違っている。それはたぶん詩のことばでなければ書けないことではないのだろうか。


  全宇宙から解放され、赦された。

いつごろからか、不思議な力が備わってきたことに、気づいていました。
見えるもの、眼に映るもの全てが、わたくしと関わり、意味があり信号を送っ
 てきます。
車のナンバー、制服を着た女学生、葬列、のための花輪、神社、壁の窪み。
それらは、みな廃墟へ導く指令でした。
車のナンバーに意味を読み取り、小金井を出発します。
これから、果てしない旅に出るのです。
まず、隣人だった、九十歳になる背骨の空っぽの死者に追い立てられた、
以前の、わたくしの住まいを、確かめなければなりません。
わたくしは、できるだけ、ジャガーになって(コートを裏返して)密かに近づ
 きます
早朝の家は、凛として、妖気を漂わせていました。
近づけば、死。あるいは、狂気。わたくしは、ヘナヘナと立ち去ります。
わたくしは、自分の、存在の危うさを知ります。

  おのれの美に溺れ死んだ死者を悼み、
  その死者に近づこうと、危険な思想に思い至ります。

ジャガーは、わたくしを遠巻きに取り囲んで徐々に迫ってきます。
潜めよ。息を潜ませろよ。用心して、
どこまでが正気で、どこからが狂気か。
刃が、壁から襖から、真っ直ぐ向かってきたときか。
そんな筈はない。刃は、いつも、自分に向けられていた。
ジャガーの遠吠えが聞こえてきたときか。
ジャガーはわたくしの中で飼っている。
現実と幻覚の間を自由に出入りした。
わたくしは、自由を、
得た。

現実を体験するのと、幻覚を体験するのと、同時に、する。
凍りつく、感触。

しかし、
危うさに、自由の、実体はない(キリキリと胃が痛みながら)

あるのは、抜けるような、開放感。
わたくしは、全宇宙から解放され、
赦された。

一線を越えた。


 この詩集の収録作品は、ほとんどといっていいほど、相互に有機的な関連をもっているので、一編だけ取り上げて読むのでは、書かれている意味が、詩集全体を通して読んで得られる印象と大きく違ってしまう。たとえば、この作品に登場する、「ジャガー」や、「刃」という言葉は、当時の「わたくし」にとって、幻覚や幻聴をともなう際だった象徴的な強迫観念として他の作品にも登場する。この作品が、興味深いのは、自らの過去の彷徨体験をなぞるようにはじまりながら、では、どこから自分の狂気がはじまったのか、という自問をえぐるように詩意識が転換して、その問い自体をねじ伏せるような答え(飛躍)を与えていることだ。詩の表現としてのいみは、たぶんこの詩意識の力動感があたえる衝迫力のなかにあるように思える。。

 自分には「いつごろからか、不思議な力が備わってきた」ように感じられた。それは、「見えるもの、眼に映るもの全てが、わたくしと関わり、意味があり信号を送って」くるように感じられることで、たとえば「車のナンバー、制服を着た女学生、葬列、のための花輪、神社、壁の窪み。それらは、みな廃墟へ導く指令」のように感じられた。そこで「わたくし」は、「車のナンバーに意味を読み取り、(当時住んでいた)小金井を出発」した。その「指令」によれば、「まず、隣人だった、九十歳になる背骨の空っぽの死者に追い立てられた、以前の、わたくしの住まいを、確かめなければ」ならなかったから。しかし行ってみると、「家は、凛として、妖気を漂わせて」いて、「近づけば、死。あるいは、狂気。」にさらされるようで、近づくことができず、「わたくしは、ヘナヘナと立ち去」り、「わたくしは、自分の、存在の危うさを知」った。作品の一連目を構成するこのエピソードは、一種の作為体験を再現したものと思える。普段なら全く無関係に思える事象と自分の思考の間に、意味的なつながりがよみとれてしまう。それは私に授けられた能力(不思議な力)のように感じられているが、実際は自律的な思考に侵入してきた強制感(指令)のようなもので、わたしを指令の命ずる特定の行動に導くものだ。なぜそうしなければならないのか、わたしには本当の理由があかされていない。というより、その指令はわたしが頭の中でつくりあげたものだから、本当の理由というのは存在していなくて、ただ思いつきの弾みのような行動へのうながしがあるだけなのだといったほうが正確なのかもしれない。ただこの指令は絶対的なものであり、そのとおりに実行することが、自分に課せられた「使命」のように感じられているから、気分は不思議な充実感や高揚感のようなものを纏っているだろうとは想像される。かくて私はその指令どおりにかって住んでいた家に赴くが、家は「妖気」を漂わせているように感じられて、私は近づくことができない。この私をこばみ、「近づけば、死。あるいは、狂気。」と思わせたような、「妖気」とはいったいなんだろうか。かって、「九十歳になる背骨の空っぽの死者に追い立てられた。」(過去の嫌な思い出のある場所)という記述が、そのことに関連していると考えられそうだが、たんてきに、わたしの現実意識(今では他人の住んでいる家に入っていくことへのためらい)が、「妖気」という否定的な想念に瞬間的に変換されたようにも考えられる。ともあれ、わたしは指令をはたすことができず、一種の十全感から全く逆の極の(自分の「存在の危うさ」という感覚をともなうような)失意の底におとされる。。次の二行からなる連への移行には、飛躍があるようにみえるが、たぶん「存在の危うさ」=「危険な思想」という観念の連想からみちびかれているように思える。。


  おのれの美に溺れ死んだ死者を悼み、
  その死者に近づこうと、危険な思想に思い至ります。

他の作品との関連を念頭におくと、この「おのれの美に溺れ死んだ死者」というのは、詩「果て」(たぶん「眠りへの軌跡」にも暗示的に登場する)にでてくる三島由紀夫のことだと推定していい感じがする。詩「果て」では、やはりこの詩「全宇宙から解放され、赦された。」の一連目のエピソードをそっくり変奏したような彷徨体験が描かれているが、その作品では、三島由紀夫という名前から「関連妄想」(作中の言葉)にうながされて、「わたくし」は伊豆の三島に行くことになる。「三島由紀夫に会ったのは文学座の稽古場でした。エンジのバックスキンの/シャツを纏っていました。胸元のクロスさせている紐の内から肉体が垣間/見えます。わたくしは身震いしました。三島由紀夫も己の美に溺れ死んだのです。」(「果て」より)。三島由紀夫はここで、「己の美に溺れ死んだ」者として語られ、いわば「死」の危険をかえりみずに、「己の美」に耽溺することが、「危険な思想」だといわれている(「三島由紀夫も」と書かれていることに注意しよう)。その内実とはなんだろうか。この作品にかぎっていえば、それは、つづく後連でドラマチックにあかされている。


どこまでが正気で、どこからが狂気か。
刃が、壁から襖から、真っ直ぐ向かってきたときか。
そんな筈はない。刃は、いつも、自分に向けられていた。
ジャガーの遠吠えが聞こえてきたときか。
ジャガーはわたくしの中で飼っている。
現実と幻覚の間を自由に出入りした。
わたくしは、自由を、
得た。

いわゆる幻覚(あるはずのない刃が壁から襖からつきたてられるように見える)や、幻聴(いるはずのないジャガーの声がいつも聞こえる)があること、が、狂気(精神病の症状)だといわれる。しかし、内在的にいえば、そうではない。幻覚がなくても、刃を自分にむけるようなイメージに親しんでいたし、ジャガーは心の中で飼っていたものだ(「わたくし」は、ボルヘスの短編「神の書跡」から得たイメージとして、仕切をへだてた部屋でジャガーと共にある、という心的イメージに日頃から親しんでいた(詩「闇の中のヒーロー」参照)。つまりそれらは自分が(美の探求のために)かって望んでうみだしたものだった、という側面をもっている。そういう意味からいえば、幻覚や幻聴というのも、私の精神の外化であり、現実と幻覚の間を自由に出入りできる「不思議な力」の獲得だといえる。「現実を体験するのと、幻覚を体験するのと、同時に、する。」というのは、幻聴や幻覚を、それが自分のうみだした幻聴や幻覚だと察知しながら、一方でその実在をありありと感じることができるような、ある種高揚した「生存感覚」をいいあてようとしているように読める。だからそれは一枚岩のような「現実」でも「空想」でもない。「己の美」に溺れていることにかわりないのだが、そこには、「全宇宙から解放され、赦された」ような「抜けるような、開放感」があった、のだと。けれど、この精神の自在感は、実際の行動と結びつくときに、他在の抵抗にふれざるをえない。


(絶対の)美

あり得ないのです。
(その 領域は)狂わずにはいられないのです。



近づいていきました。(無防備に、あるいは、用心に用心をかさねて)
近づく機会をあたえられたのです。

そのころ、わたくしは絵を描いていました。が、形にならずどろどろとキャン
 バスを塗り潰していきます。
課題は「睡眠」
眠りに墜ちながら、果てしなく墜ちながら、罪の深さを知ります。
やがて、無意識の世界に入っていきます。
いつのまにか、わたくしは、仮死状態になっていきます。

その過程は(絶対の)師に、(これも、わたくしが創り上げていきます。)めぐ
 り会うことです。
師は、ホルヘ・ルイス・ボルヘス「神の書跡」を提示します。
地中深く石で造られた牢に、仕切りの壁がひとつ、それを二分している。
一方にジャガー、もう一方に仮死状態のわたくしが横たわっている。
深い眠りにはいりながら、壁の向こうのジャガーの忍びやかな足跡を計測する。
同時に、ジャガーもわたくしの眠りの度合いを計測している。
互いに時間と空間を計測しながら、呼吸すら合わせて、
合体していきます。

壁に仕切られ、わたくしはジャガーの姿を見ていない。
しかし、その呼吸は、確かなもの。



墜ちながら、ジャガーの遠吠えを聴いています。
それは、外からの声か 内からの声か もう判別することはできません。
わたくしは「睡眠」の世界に入ったのです。


 ジャガーと一体化することは、この入眠幻想のような美しい想念のなかでのみ実現されることだ。ジャガーの声がやがて幻聴としてとどくようになり、その実在が「現実」をも浸食するようになってから、「わたくし」は「不思議な力」の充溢を感じ、現実に隣室との壁をバールで打ち壊してしまい、そのことが措置入院のひきがねになる。「隣室を覗くと、ジャガーなどはいなくて、正面にテレビが/ 置いてありました。」(詩「(そして 破壊)簀の子巻き」より)

「(絶対の)美」というタイトルがしめすものは、深い眠りのなかで、私がジャガーと一体化するような境地のことだといっていいのかもしれない。仕切をへだててジャガーと私がいる、というのは、仕切をとりはずせばたちどころに襲われてしまうような危機意識をはらんだ、美の対象でもあるような他在とともにある、ということでもあるだろう。「三島由紀夫も己の美に溺れ死んだのです。」(「果て」)と書かれていたように、ジャガーはまた自分が想像してつくりあげ、精神の中に飼いはじめた、己の分身であることも察知されている。三島は「溺れ死んだ」けれど、「わたくし」は、いちどこの場所におりたち、十数年という遠い迂回路をたどって、「今」にひきかえしてきた。ひとつの美しい季碑のように、この詩集はある。


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佐伯多美子詩集『果て』(思潮社 2003年4月10日発行)






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