[ NEXT ][ BACK ][ HOME ][ INDEX ]



 高田昭子詩集『空白期』ノート

                 それから 母と子は
                    凪ぐ海 満ちる海となって
                    神の腕に揺られて眠った
                       (詩集『河辺の家』収録「子守歌」より)




 詩集『空白期』のタイトルとなっている「空白期」という言葉について、著者の高田昭子さんは詩集「あとがき」の冒頭でふれている。

「前回の詩集から四年が経ちました。この歳月を名付けるとすれば、おそらくそれはわたくしの「空白期」であり、過去の作品の領土から抜け出すための時間でした。」

 この文中で前回の詩集といわれているのは、第二詩集『砂嵐』(2002年10月20日発行)を指している。文中の「過去の作品の領土」という言葉に注意して、著者の第一詩集『河辺の家』(1998年9月25日発行)、詩集『砂嵐』を『空白期』とあわせ読んでみると、ひとつのテーマ群と呼べるような作品系列が、『空白期』からは、ほとんどといっていいほど消失しているのがわかる。それは端的にいうと、詩集『河辺の家』では、「河辺の家」「川のある町」「春がくると」「幻の酒」といった諸作品、詩集『砂嵐』では詩集後半に収録されている「空席」「死にたまふ母」「鼓動」「冬の父」「古井戸」「冬の火事」といった諸作品にみられるような、ご両親を介護したりその死を看取ったときの思いや、やはり先立たれた姉の思い出をテーマにした作品群のことだ。著者は、かって老いたご両親の介護に追われ、血縁者たちとの相次ぐ死別に遭遇していて、それらの切実な体験を対象化したり内面的に受容するために幾編もの詩を書かざるを得なかった。たぶんそういう心身ともに切迫した時期をくぐりぬけて、しずかで平穏な日常にすこしずつ時間をかけてたちもどっていった時期に書きついだ詩の記憶、そういう意味合いで「空白期」という言葉は選ばれているのだと思う。また、このことは、詩集『空白期』が、これまでの詩集にみられたような、あるいみ感性的現実と直接地続きなことばの表白(詩的領土)から、より象徴的な表白(詩的領土)へと向かっているという感じをうながす理由のひとつになっているのだと思う。

 ある一年の四季のめぐりのように、ほぼ春夏秋冬の順に編まれた20編の詩からなる詩集『空白期』からうかがえるのは、どこかに哀感や喪失感をひめたようなひっそりとした精神のたたづまいだといえばいいだろうか。草が芽吹き花が咲きこぼれる春。そんな待ち望まれた春の到来に、眠りからさめたときの身体感覚の気づきのように、閉じていた心がすこしずつ解けはじめる。詩集冒頭からの三編の詩「春-抒情」、「桜咲く」、「春の翌日には」には、そんな感官を通した季節との交歓が繊細にうたわれているが、この訪れた春は、ある新しい季節の到来ではあるにせよ、若やいだ自意識が初めて体験するような新鮮なものではない。詩「桜咲く」を全編あげてみよう。


桜さく


うつくしい季節はかならずめぐってくる
そこには
小石を投げられた硝子窓のように
癒えない傷がかくされている

花の枝に被いつくされた
晴れた空の向こうには
幾重にも折りたたまれた空があって
空の哀しみはさらに深くなる

樹々は開花の声をあげる
忘れられていた樹の位置に
ひとはふたたび立ち止まるが
桜咲く空へはもう届かない

冬を越したさまざまないのち
二度と咲かない花へのいのり
いのちの生暖かい呼吸が
交じり合う夜のあやうい深さ

春のいのち
朝のひかりのなかで
ちいさな傷を負ったまま
ただそのようでしかないと芽吹く


 春のなかには、「癒えない傷がかくされている」ようにみえるのは、過去の記憶が二重写しのようにそのイメージにとけこんでいるからだ。無疵な魂などどこにもない、とうたったののは誰だったか。ただこの桜の風景にたたみこまれた過去の癒えない傷の記憶というもの、そのことを否認したり詠嘆にながれようとするのではなく、最後の連で、しずかに景色の鏡に映ずる自己像のように受け入れている。そこにこの詩の話者のたしかな立ち姿があるのがみえてくる。


**

 数行からなる連をつらねる行分け詩という作品の形式は共通しながら、『空白期』には、内容からいうと、童話風のもの、物語風のものなど、多彩な作品がふくまれている。そういう自在さを統御しているのは、ちょっともってまわったようないいかたかもしれないけれど、著者自身の自己イメージにたいする親和的な感受性ということではないか、という気がする。なんといえばいいか、そこにはある種の自己劇化された甘美な孤独感さえうかがえるような印象がある。たとえば、「みみ-こころ-からだ」では、自己イメージが「あなたの脇腹のあたりで/ほおずき色の灯りのような/温いたまごになって眠る/こころ」と語られ、この「いつでも目覚め方が下手なたまごは」は「小鳥になったり 亀になったり/とりあえずなにかのからだになって/唄ったり 歩いたり 飛んだり」するとされる。「水無月」では、(わたしは)「河を渡る/ひび割れた月です。」「濡れたからだはわずかにひかりながら/開かない塒の木戸を通過する」というような描写がある。このふたつの作品には「あなた」と呼ばれたり「遠い時間のなかで出逢ったひと」と呼ばれる「他者」が登場するが、その他者との現実的な関係(会話の途中に生じる沈黙にまだ馴れることができない、とか、(その人と)別れてきたばかりです、といった)を暗示する出だしからはじまった作品が、こうした、特異ともいえる童話風で幻想的な自己イメージに接続される、というところに、これらの作品の特色があるといってもいい。作品の背後に暗示されていた「他者」との現実的な関係性は、そのなかで変身する「自己像」によって作者自身の心象世界に解消させられ、この謎めいた「自己イメージ」が作者の心情の喩そのものとなっている。たぶんここで空想世界へのイメージの越境がおこなわれているのだが、それが詩意識の流れのなかで自然なかたちで可能なのは、それが作者の自己イメージのつよい一貫性をもった現実感覚に支えられているからのように思われる。これらの作品にあらわれる一見童話風の自己像が、他者との関連としての現実意識と結び合っているように、作品全体のことばの水準を統一したような童話風作品にも、強い自己イメージをもつものがあらわれている。


七月になったら


六月の空は泣きつくしたようだから
七月になったら
ひまわりのような帽子をかぶり
やわらかなしろいケシゴムを持って
一冊のおしゃべりなノートに会いにゆきます。

愛とか虚無とか憎しみとか
うさぎ語 とり語 ニンゲン語
黄葉 初雪 桜の開花宣言
今年も落花に失敗した紫陽花とか
天の迂闊な水漏れとか
みんな消して

最後に「ね」と「り」と「む」だけ残して
----並べ方はお好きなように。
それから白い錠剤を二粒飲んで
水は中くらいのコップに一杯
清潔なタオルケット 安眠まくら

最後のページに こっそりと
「おはよう、旅にでます。」
と書きおいて
手ぶらで海辺にいきます。
こぼれることのない巨きな水の入れ物が
あたらしいあたしのノートだとはとても思えないけれど

熱い砂が少しづつ冷えて
夜には無口な波が足跡を消して
夜通し潮騒が耳をすすぎ
朝にはだまって陽がのぼる海
途方に暮れるような砂の時間のなか
ひとつの白い椅子の脚もとから影がめぐり
それは長くなったり 短くなったり
あれがあたしの一日


 七月になったら一冊のおしゃべりなノートに会いにいく、というこの作品は、なにか明るく心弾ませるところがあるようでいて、それでいてものがなしい悲調のようなものが、白い椅子のおとす淡い影の伸展のようにひそんでいる。なんでも望むことを文字にすればそれがノートの中で実現するような空想世界にむきあっても、「あたし」がほんとうに望んでいるのは、他者とわかれて一人きりで海辺にいってひっそりと海をみている、というイメージなのだ。白い椅子のうえにすわりこんで、ひがな、砂のような時間がながれるのを感じながら、ぼんやりと影の動きをみている。というこの孤独な自己イメージは、実はそれが睡眠薬を服用しての「眠り」への旅であることが暗示されていて、不眠の辛さという現実との拮抗において成立していることがしめされている。それにしても、このひとりであることに充足した自己イメージに、他者の影がみえないのは、海や空と一体化されるような、ある抽象性の水準で純粋化されている自己イメージだからではないのだろうか。この作者に、海や空、砂漠、といったイメージとの親和性をうたった作品は多い。


誕生日


たくさんの夜をくぐりぬけて
ふたたび夏の門を開くとき
鳥が飛び 雲がたつ
歌声はどこから流れてくるのか

天空のような海
海原のような空

空と海とが蒼の音楽に変容する光景に
わたしの眼は奪われています

地上でながされる たくさんの涙は
ふと振りかえれば いつでも
それはわたくしのものだから
美しい一輪の薔薇も飾らない一日でいい。


 「美しい一輪の薔薇」で象徴されるのが、「愛とか虚無とか憎しみとか/うさぎ語 とり語 ニンゲン語/黄葉 初雪 桜の開花宣言/...」(「七月になったら」)といった言葉のかかれた「おしゃべりなノート」の世界だとすれば、この作品のなかで語られている「空と海とが蒼の音楽に変容する光景」に眼を奪われている「わたし」のイメージは、べつのいいかたで語られた「七月になったら」の椅子のうえの自己イメージにほとんど重ねられるといってもいいかもしれない。


駱駝に乗って


焦燥の迷路ではなく
果てしのない一筋の道を歩く
砂漠と空との折れ線のあたりに
ことばは風となって吸いこまれてゆく

熱砂丘を足跡はすべり落ちてゆく
さらさらと熱いものが流れおちる
咽喉もとに焦げついたことば
「冷えた水をください。」
赤子の口元にひかる涎のような
うっとりとしたたることば

音楽のような風
野生馬の嘶き
一筋の河 水を飲む牛の紅い舌
ことばよりも輝く子供のひとみ
日焼けした額に埋めこまれた暮らしの寡黙な智恵

遠い まだまだ遠い
駱駝に乗って
はじまりの道をさがしにゆく


 この作品では一連目に「焦燥の迷路」との対比で、この苛酷ともおもえるような幻想の旅が「選択」されていることがあかされている。また比較してよむと、この砂漠の風物の描写は、作者の実際のモンゴル旅行の記憶が投影されていて、とりわけ臨場感をきわだたせるものになっているように思える。ところで、なぜこの作者は、海や空、砂漠、といった光景にひかれるのだろうか。こういう問いかけは、ここまで見てきたことからすると、別のいいかたができるかもしれない。たとえば、この作者の作品にくりかえし変奏されてあらわれるようにみえる、海や空、砂漠といったイメージと自己イメージとの融合というテーマは、どんな由来をもつのだろうか、というように。


 ある詩の作者が、自然と自己意識の融合というテーマで作品を書くことは珍しいことではないし、それが「母なる海」や「父なる大地」との一体感(への願望)というかたちで現されることもまれではない。ただこの作者の場合、それらのイメージは、もしかすると現実的で生理的な快や苦と同義なほどの水準まで深められているのではないだろうか、と想像させられるようなところがある。あるいみそういう考察のヒントになるかもしれない「記憶の海」という作品が詩集『砂嵐』に収録されている。


記憶の海

      (愛することは 海をわたることだ 石原吉郎)


わたしが産声をあげた大陸は
海のむこう
けれども
海をわたったこちら側の
小さな列島がわたしの祖国

届かない記憶と
今日のわたしとのあいだには
いつもおおきな海が揺れているのだった

海を渡った瀕死の小さないのちは
どうやら生き抜いてきたのだが
祖国というものは ついにない
大荒れの海を
記憶の奥底に沈めたまま生きてきた

海辺に立つと
わたしの心の水平線は
いつも 激しくかしぐ
潮風にさらされたくちびるの
塩辛さを噛んでいるだけだ
わたしを直立させない
砂浜のたよりなさ

揺れやまぬ海
この海の向こうの
大陸の端に落ちるまで
わたしの夕陽は沈まない

どうか わたしに
凪の海をください
そして
幾千の魚たちを
わたしの夜の海にください


 この作者にとって、「海」が自らが産まれた大陸と、育った日本列島という場所をへだてる現実的な境界としてあったこと、その障壁としての海が、届かない幼少期の記憶と現在の意識をへだてる想念としての障壁の意味をもたされていること、また、最後の連では「凪の海」が安らかな眠りや夢のイメージの源泉としてあるらしいこと、などが作品に暗示されているように思える。こうした「海」にたいする作者の思いの強さは、「望郷と海」の詩人石原吉郎の言葉がエピグラフとしてあげられていることからもうかがえる。シベリアのラーゲリに抑留された日本の人々は遙かな海に隔てられて帰ることのできない祖国に思いをはせた。情況はまったく異質であるにせよ、このときの作者の詩意識のなかでは、そういう越えがたい障壁としての海、というものをまえにした人々の哀しみへの強い共感とともに、この原郷としての海をめぐる美しい作品が書かれたように思えるからだ。

**第二詩集『砂嵐』のタイトルにも通い合う「砂漠」のイメージは、あるいみこの原郷としての「海」のイメージの変形として、またその海の果てにある著者のうまれた遙かな大陸の風土を象徴する意味をになわされていると考えていいのかもしれない。。


ARCH

高田昭子詩集『空白期』(水仁舎、2006年10月15日発行)






[ NEXT ][ BACK ][ HOME ][ INDEX ]