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 池田晶子の二冊の著書から
           
----抜粋ノート



 池田晶子の『知ることより考えること』と、『人間自身 考えることには終わりがない』という本をあまり日をおかずによんだ。前者のコラム集は「週刊新潮」に、2005年7月7日号から2006年7月22日号にかけて連載されていたコラム「人間自身」の集成で、後者のコラム・エッセイ集の内容は、「週刊新潮」(2006年8月3日号〜2007年3月15日号)、「ブルータス」(2006年3月1日号)、「ランティエ」(2006年8月号、11月号〜2007年4月号)が初出と後付にある。著者は今年(2007年)の二月に亡くなっているので、執筆時期についていえば、その死の約二年前から直前に至る間に書きつがれた主に雑誌連載のコラム集をまとめて読んだことになる。

 いわゆる著者の晩年の文章ということになるのだが、いくつかの個所をのぞけば、個人としての死を予感させるような影はほとんどない。「死」についての言及がないというわけではない。むしろ「死」という観念にはおびただしく言及されていて、そのことが著者の終生かわらぬ関心事だったとうかがわせるところがある。にもかかわらず、個人としての死の影がない、ということ、このちょっと不思議な感触にみちびかれて、身をのりだすようにしてよんだ。

 著者の「死」という観念についての考え方は、若い時期に確定していたように思う。たとえば、自分は「子どもの頃から精神性以外のものを価値と思ったことがない」、その見返りに「死をを恐れないという特権を得た」とは、すでに10年近くまえの著書『残酷人生論』(1998年3月20日発行・情報センター出版局)に書かれている。この、人の「精神性」ということに対比されるのが、いわゆる本能や情動に結びついた日常感覚の世界で、そうした感覚が呼び込みやすい通念的な価値観の世界を、「精神性」の王国の側から、歯切れのいい哲学的な形式論理を駆使して、やんわりと、またあるときには辛辣に吟味し、批評する、というのが、彼女の多くのコラムやエッセイのパターンであり、そういう言い方をすれば、「哲学的エッセイ」の書き手としての、独特の持ち味になっていたように思う。

 週刊誌の連載のコラム、というと、どこか通勤電車のなかで読みとばせるような軽い読み物、という感じがあって、実際おりおりの時事問題や社会風俗についての批評や見解をわかりやすく面白く短い文章の中でまとめる、ということを、編集者の側から要請される、ということはいかにもありそうなことに思える。そういった様々な制約のなかに、自分が本当に考え抜いて伝えたい言葉を、どんなふうにもりこむことができるのか、そういうことを考えつめてみると、誰にとっても、事情はそれほどたやすいこととは思えない。「結局私は言葉に賭ける。考えられる限りの考えを、このたった見開き半枚の言葉に盛り込む。」(「私の売り言葉」)と、彼女は書いている。以下は、二冊の本からの抜き書き、である。


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「「自分と世界」と人はいう。見える世界が先にあり、それを自分が見ているのだと、、」(これは勘違いで)、「世界は、視界は、必ず自分から開けている。自分が世界の開けである。自分が存在しなければ世界は存在しないのである。だから、「自分と世界」なのではなくて、「自分が世界」なのである。ということは、「自分」も「世界」も存在しなくて、ただ存在しているというだけなのである。」(「老眼に想う」)。

「そもそも私は、個人のあられもない内面を、得体も知れない誰かに向けて吐露したいというその心性が、理解できない。ましてや、この場合、この人がそこで吐露しようとしているのは、生きるか死ぬか、どうなるかの話である。そういう個人の大事なことは、他人に報告するより先に、自分で考えるべきことではないだろうか。」(「見られて死にたい」)。

「命には軽重はないなんてのは嘘である。命には軽重があると、実は誰もが思っている。が、それを自覚化したくないのである。その軽重に根拠がないことが、わかっているからである。」(「動物のお医者さん」)

「「必ず死ぬ」というこの絶対的事実の側から見れば、いつどこでどのようにして死ぬかは問題にはなり得ない。、、死ぬものが死ぬことが、なんで問題なのだろうか。論理の側から現象は、常にそんなふうに見えるのである。」(「大地震を待つ」)

「じっさい、いつどこでどんなふうに死ぬかということは、自分には決してわからない。どうしようもない。このことは改めて考えてみると凄いことだ。人は自分の人生は、自分の意志で、自分で選択して生きていると思っているが、そんなのは大ウソだということが、この事実で端的に理解される。生まれることを選べなかったし、死ぬことだって選べないなら、人生が存在することそれ自体は、全く自分の意志ではない。それなら誰の意志なのか。いや意志なんてものはあるのか。ジタバタしたってしょうがないという境地に、どこから考えてもなってしまうのである。」(「大地震を待つ」)

「こんなふうに死にたいという願望は、じつは死に方の願望ではなくて、生き方の願望なのである。」(「死に方四つ」)

「私にとって「考える」とは、「精神が本質を洞察する」という以外の何ものでもない。で、これを行っている大人は滅多にいない。、、人が本当に自ら考え始めるきっかけは、存在の不思議に驚くことだけだ。驚いて、それを知りたいと切望する時だけだ。」(「子供は哲学する」)

「超時間的な意識は変わらないのに、時間的な肉体は変わる。これが意識にとっては「納得がいかない」のである。、、、「自分」というのを意識だと思うのをやめて、自分とは肉体だと思ってみる。自分とはこの肉体、時間のうちに生滅するゆえに、時間に従って老いてゆくこの物理的肉体だと。こう思ってみるのである。すると人は、自分が自分の年齢に全くふさわしいということに、たちまち気がつくはずである。」(「私は年齢である」)

「しかし、どうあがいてみても、やっぱり人生は何ものでもないのである。それ自体が暇つぶしなのである。存在が存在するということに理由がないからである。ゆえにこの物理的宇宙が存在することも同じである。惑星が爆発したり、星雲が巡ったり、あれらすべて壮大な暇つぶしであると、私には見える。べつにすることもないから、ああやって遊んでいるのである。」(「人生は暇つぶし」)

「人生が危険なものであるのは本来であって、べつに社会のせいではない。生きている者は必ず死ぬし、先のことはわからないからである。人生の安全を社会に求めること自体が間違いなのは、それがそもそも不可能だからである。」(「絶対安全人生」)

「個性というものは、自分が見つけられるものではなくて、他人がみつけるものなのである。自ら個性的であろうとするような個性が、個性であるはずがない。そんなものは、他人と異なろうとする一種の作為であって、自ずからのものではない。」(「探すのをやめよ」)

「あなたは自分の好きな仕事をやってゆけるからいいでしょう、と言われることがある。とんでもないと私は言う。私はこうとしかできないことを、どうしようもなくやっているだけだと。嫌いだとは言わないが、好きだともいえない。好きの嫌いのを超えている、えらく大変だと言えるだけだ。」(「探すのをやめよ」)

「すべての人間は、自分の見たいものしか見られない。見えないものを見たいと思っても、やっぱり見えるものを見るしかない。いかな聖人君子といえど、その人が世界を見る見方は、その人が世界を見る見方でしかあり得ないのである。すなわち、世界とは、「その人の」世界でしかあり得ないのである。」(「見たいもの見えるもの」)

「善いこと悪いことは、他人すなわち社会のルールにあるもので、自分の中にあるのではないと思っているのだ。しかし、自分の中にあるのでなければ、善悪なんてものがどこにある。、、しかし性善説は、それを信じるか否かの個人的信念ではないし、それまでがそうだったという経験則とも違う。職業とは無関係に人間一般の本性を考察すれば、自ら気がつく事実なのである。人はここを理解しないが、人間は、自分にとって本当に善いことを知っていれば、悪いことなどするはずがないという当たり前を言ったものだ。ただ、それに気づくのが容易でないだけだ。」(「悪いものは悪い」)

「「悪い」というのは、自分にとって悪いという以外のいかなる意味でもない。、、法や世間の善悪など、そこでは一切関係ないのだ。、、私は法律を守ろうなど思ったことは一度もない。結果として守ることになっているだけである。」(「ホリエモンはなぜ悪い」)

「状況に応じて自分で善悪の判断のできない人間たちの社会が、善い社会になるわけがない。」(「自由と規律」)

「人は言葉が自分の財産であるなど、まさか思いもよらない。しかし、言葉が財産、自分の価値であるということは、その人の話す言葉を聞けば、その人の価値は瞭然だという事実に明らかである。正しい言葉を話す人を、正しい人だと人は判断し、くだらない言葉を話す人を、くだらない人だと人は判断する。人が人を、その「価値」を判断するのは、その話す言葉以外の何ものにもよってはいない。言葉と人とは完全に合致しているのである。これは恐るべき当たり前ではなかろうか。」(「私の売り言葉」)

「景気がよかろうが悪かろうが、考える人は考えるし、考えない人は考えない。哲学と時代とは全く関係がないということを知っているからである。こんな時代をどう生きるかみたいな人生訓を、哲学と称しているようなのは別である。本来的な哲学的思考というのは、いかなる救いも与えるものではない。動機は、この存在がどうなっているのかを知りたいという、たんにそれだけだからである。」(「景気のいい話」)

「世の中が、人間が、いよいよ崩れてきていると感じる。、、怖いのはむしろ、崩れつつあるというそのことよりも、崩れつつあるということに、どうも人は気がついていないらしい。それがあたりまえだと思っているらしいことの方である。、、後戻り不可能な、決定的な一線を越えつつある、そんな感じがする。」(「年頭の辞」)

「職業には貴賎は存在しないが、人間には明らかに貴賎が存在する。金持ちであろうがなかろうが、賤しい人間は賤しく、貴い人間は貴い。」(大変な格差社会」)

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 読んでいて、針がふれるようなところを、恣意的といった感じで抜き書きしてみた。いずれも文脈のなかで語られていることなので、興味をもたれた人は実際に原典にあたってみられるといいと思う。「高層の夢」というコラムには、めずらしく著者が学生時代を回顧した個所がでてくる。

 「学生時代、ある時期から実家を出て下宿を始めた。酒ばかり飲み、帰宅が遅いので叱られる。それが煩わしくて、家を出たのだ。港区芝、線路際の四畳半、トタン屋さんの作業場の二階である。、、、安いので、焼酎ばかり飲んでいた。一升瓶からコップで呷る。グイグイと呷りながら思考を加速し、形而上へと離陸する。まあ、ロケット打ちあげのための燃料みたいなものだったんでしょうね。しかしこれが当時の私には面白くてたまらなかった。本当によく考えた、考えられた。今の考えの原型は、あの部屋と焼酎によって作られたと言っていい。、、、。」
「先日久しぶりに羽田へ行く時、モノレールから見たら、その場所に、巨大なマンションを建てている。、、、二十数年の歳月が、私の半生と、現代日本のバブルと浮沈が、交差しつつ一瞬で逆戻りするのを感じた。あそこに、あの酒臭い四畳半の畳の上に、何千という人々が寝起きするわけだ。会社に出かけ、セレブを目ざし、株価に泣いたり笑ったり、そんなことをしながら暮らすわけだ。でも、そんなことしょせん湾岸花火、人々たちまち死と消えて、残るは宇宙の闇夜である。
 そんなふうな夢想は、じつは未だあの部屋で飲みながら夢想している私の夢想なのではあるまいか。そう感じたりもする。」

 てばなしといっていいような学生時代の回想から、こちら側にひきかえしてきて、さらりとスケールの大きな夢想でおちをつけるところ、こういう流れに、著者独特の含羞が感じられるようで、微笑ましい。論理の底に豊かな情念をひそめていたひとだったと思う。




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池田晶子『知ることより考えること』(2006年10月20日発行・新潮社)
池田晶子『人間自身 考えることには終わりがない』(2007年4月20日発行・新潮社)






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