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記憶ということ
           
----桜井さざえ詩集『倉橋島』ノート






沖に大量の旗が上がった
「めったに見られんで
大漁じゃけん 鯛を貰い放題じゃ」
父は 横島に向かう伝馬船の方向を変えた

赤い大漁の旗をかかげた
二隻の漁船が向き合い 網を徐々に狭めていく
赤銅色の肌をぎらぎら光らせた 男たちの
海鳴りのようなかけ声が 伝馬船をゆさぶる

薄紅色の真鯛が 反り返り光をはじく
黒鯛は船床に跳ねあがり
水飛沫をとばし尾鰭で激しく床をたたく
男たちが いっせいに歓声をあげる

網の中で渦巻き 重なりあう鯛の群れ
男は真鯛の目玉を狙って
銛を突きたて 高々とかかげ
「ほうれ ねえちゃんよ 仰山やるけん」と
伝馬船の胴の間に投げ入れる

綱を引く男たちがいっせいに振り向き
口笛を吹き 大声を張り上げる
「轤の下にもぐれや 女が顔をだすな」怒鳴る父
「なして いけんのん」言いかけて口を噤む
男たちの きらきら光る眼が肌を刺す

お祭り騒ぎの漁船から
次々本船に積みかえられる鯛
大漁の旗をなびかせ
鯛を満載した本船は 港に帰っていく
ふたたび 漁に出る船
いつまでも手を振る男たちは
鯛を追って 夕凪の沖に遠ざかる

「漁師達は 海と魚が相手じゃけん人恋しいのよ
陸に上げっても 海の河童じゃけんのう」
ゆっくり 艪を漕ぐ父の眼は優しく笑っていた
烏の群れが 漁船より先に島陰に消えてゆく


 作者の桜井さざえさんは広島県倉橋島の生まれ。この作品が収録されている詩集『倉橋島』は1996年に出版されているが、私がいただいて読んだのは半年ほど前のことで、読後、いつか何かの形で紹介したいと思っていた。「あとがき」の冒頭に「第二詩集を出版するのに、父のことを中心にまとめてみました。父の戦時と戦後を書きたかったのです。」とあるように、この詩集『倉橋島』には、船主をしていたという著者の父君の思い出に材をとった作品が多数収録されていて、うえにあげた「鯛」もそうした一編だといえる。ただ詩集『倉橋島』をさらに特徴づけているのは、著者の記憶のなかの父(を巡るエピソード)ということと、その背景としてせりあがってくる故郷倉橋島の海や時代の記憶ということが、わかちがたく鮮明な像をむすんでいるところにあるように思える。「記憶に焼き付く」という言い方があるけれど、そんな言葉が本当にふさわしいようなみずみずしいイメージの喚起力をそなえた作品はめずらしい。また作品の舞台に、体験したものでないと描けないような視点から生活圏としての「海」が登場するのも、この詩集の大きな魅力になっている。


伝馬船


兄とわたし
父恋しさに
岬の善太郎鼻から
伝馬船で漕ぎ出たとき
沖はいい凪であった


太陽が島かげに ぽとりと落ち
まもなく
海は 不機嫌に荒れはじめた

磯岩に波頭が砕け散り
光の洪水が崩れ
夥しい 夜光虫の飛沫

横島を目の前にして
船は続島や笹小島を
ぐるぐる迂回する
必死に艪を漕ぐ 兄
水をかき出す わたし

盛り上がる波濤
天空に弾き飛ばされる伝馬船は
一気に波底に突き落とされる
矢のように艪がふっ飛び
波に呑まれる
「ロープで体を括れ」と叫ぶ兄

ますます烈しくなる風雨
渚で ランプを振っている
「あっ お父ちゃんじゃ」とわたし
横なぐりの雨
かき消える ランプの光

暗闇の海面を割り
がばーっと浮かび上がる
----海坊主---- か
ぴたりと泣きやみ
舷にしがみつき 息を殺す
「おまえらか」 絶句する父

父は艪網を体に巻きつけ
波を越え 波を潜り
伝馬船を曳き
必死に渚を目ざす
船べりから乗り出し
兄とわたしも波をかく


 いわゆる「詩的」な言い回しはつかわれていない。淡々とした情景描写がはぎれよく続いていくなかで、時事刻々という感じでドラマチックに事態が進行していく。子供達だけで父親の住む横島に行こうと船をだしたところ、天候が急変して嵐にみまわれ、すんでのところを島から泳いできた父親に救われた、という体験を描いたこの作品には、どこか海洋冒険小説の一頁のようなおもむきがある(詩集に付された「ある一族の「永遠」に寄せて」という一文の中で、中村不二夫氏は、「まるでスペクタクル映画の一シーンを見ているようである。」と評されている。)

 ある記憶が何十年の間をへだてて、脳裏にいきいきと蘇る、ということには様々な理由があるにちがいない。その出来事が当時の自分にとって新鮮で強烈な印象を残すものだった、ということはたぶん大きな理由で、「鯛」の中の、父に連れられて乗っていた船の船上から、沖合で行われていた男達の勇壮な祭りのような「鯛」漁の現場の様子をかいまみた、という体験や、「伝馬船」での、兄と共に船にのっていて遭遇した嵐、という生死をわけるような体験も、そうした出来事のように思われる。そうした出来事を言葉として再現するさいの、ドキュメント映画を見せられているかのような簡潔でリアルな描写力は、これらの作品の大きな魅力になっているけれど、これらの作品が詩として味わいぶかいもうひとつの魅力は、そこに「父親のまなざし」(父親の思い)がとかしこまれているからのように思う。この「父親のまなざし」は、たぶん目に焼き付いた当初の記憶にはなかったものだ。出来事と作品が書かれるまでの長い時間のなかで、何度もふりかえられ、思い返されることですこしずつ醸成され、あるとき確信にいたったようななにかなのだと思う。「伝馬船」では、その内容は直接言葉として書かれているわけではない。「「おまえらか」 と絶句する父」の思いは、ただ「艪網を体に巻きつけ」て子供たちを乗せた船を泳いで曳いていく、という行動によってしめされているだけなのだが、この「絶句」の中に作者がこめたかった意味をよみとることが、たぶんこの作品の核心をつくりあげている。「鯛」では、後段の「「轤の下にもぐれや 女が顔をだすな」怒鳴る父」というところから、最終連の、「「漁師達は 海と魚が相手じゃけん人恋しいのよ/陸に上げっても 海の河童じゃけんのう」/ゆっくり 艪を漕ぐ父の眼は優しく笑っていた」という描写にいたる小さなエピソードに、「父のまなざし」が印象深くとらえられているように思う。漁をしている男たちのひとりから「ほうれ ねえちゃんよ 仰山やるけん」と声をかけられ、それをきっかけに他の男達からも一斉に注目を浴びる。この突然舞台の中央にたたされたような体験に水をさすように、横から父親が「轤の下にもぐれや 女が顔をだすな」、と怒鳴る。思わず自分がそうとっさに怒鳴ってしまったことの意味を、最終連で、父親はもっともらしく弁解しているのだが、父の目が「優しく笑っていた」という描写のなかに、作者は「父親のまなざし」の奥行きを封じているのだと思う。たぶんちょっとちがった言い方をすれば、このエピソードは、「わたし」が少女から女性になったことを自覚する(異性から女性としてみられる)象徴的な体験を、暗示しているように思える。「なして いけんの」といいかけたとき、まだ「わたし」は少女のままで、そのことに気がついていない。少女である娘が、やがて成長して周囲から女としてみられること、そのことの意味を「父親」は、思わず怒鳴った弁解のようにして伝えようとしている。父の目に浮かんだ優しい笑みのなかには、男達の「肌をさす」ような視線をあびた少女の成長ぶりにたいする父親としての晴れがましさのような気持ちも、いくぶんかは含まれていたかもしれない。


海胆


----五尺の命ひっさげて
  行くが乙女の生きる道----
ハチマキをして 歌いながら
風邪ぐらいじゃ休まない
わたしは 学徒動員

下宿の部屋の灯りをつける
どっと潮のあふれる気配
父の匂いがする

机の上に 空っぽのガラス瓶
ななめに傾ければ 青い海
白い波が揺れ 船腹を洗っている
 ぎしぎし 片手でを漕ぎながら
 舷から水中眼鏡をのぞき込んでいる父
 岩と岩の隙間にまるい体を埋め
 四方に黒い刺をひろげ
 潮の流れにわずかにうごく海胆(うに)
 銛の先でひきはがしている

ガラス瓶 逆さにし
てのひらに とんとん雫をたらす
雫のなかの海胆の切れはし
舌にのせ うわむいて 目を閉じる
 磯岩にたたきつけ
 四ひらの花びらのような卵巣
 指先でひきはがし
 海水で さあっーと洗い
 口のなかに放り込む
 「美味かろうが」父の声がする

「サッチャンの風邪 心配して
 おとうさんが海胆を持ってこられたのに
 工場に行くけん」
上品な下宿の奥様の歌うような言葉
お土産は いつもわたしを素通りする

わたしのなかでのぼりつめ
あふれだす熱いもの
背すじを流れる 冷たい水
わたしは 負けない
空腹にも 負けない

遠い日の 軍国少女のわたし
お国も 人も 疑うこと 知らなかった


 作者は呉の女学校に通うため呉市内に下宿していた。戦争がはじまり、その下宿から学徒動員で工場に通うことになる。そんなある日、風邪で寝込んでいるときいて下宿に見舞いにきた父と、いきちがいになった。工場からかえってくると、父は帰ったあとで、その匂い(潮の匂い)だけが部屋に残されている。机のうえには、父が土産においていってくれた海胆の入っていた瓶がある。その瓶に残っている潮水は、父親が磯辺で海胆をとり、自分に与えてくれた時の記憶の情景を鮮やかに蘇らせてくれた。。。

 自分がまだ女学生で学徒動員にかり出されていた頃のある日の思い出、というふうにこの作品は書かれていて、一見ガラス瓶に残った海水を見ているときに想起された子供の頃の情景が、とても鮮明に描かれているので、女学生の頃の記憶の扉のむこうに、またさらに少女期の記憶がある、というこの奥行きのある構図そのものが、作品の主眼にあるように思える。しかし、それだけでは語りつくせないなにかが、作品の後半部分にふかい翳をおとしている。作者はどうしてこの女学生時代に起きた出来事を鮮明な記憶として覚えていたのだろうか。そうかんがえて読むと、この作品の記憶の描写が、ある意味でとても巧みに書き分けられていることにきがつく。3連と4連から、事実と思われる部分をひろってみると、机の上に 空っぽのガラス瓶があり、それは斜めに傾けると、青い海の中で白い波が揺れ、船腹を洗っているように思えた。そのガラス瓶を、逆さにして、てのひらに とんとん雫をたらし、雫のなかの海胆の切れはしを舌にのせ、 うわむいて 目を閉じた、ということだけだ。つまり、この日下宿に帰った「わたし」は、誰かに中身の海胆を食べられてしまって空っぽになっていたガラス瓶をみつけ、わずかに瓶の底に溜まっていた雫の中に残っていた、たぶんほんの僅かな海胆の切れ端を食べた。ということになる。ということは、この記憶自体は、せっかく父が届けてくれた土産の海胆を、留守中に誰かに食べられてしまった、という無念さ、他人を疑う気持ちを自分にはじめて植え付けたようなショッキングな体験の記憶として、作者の胸に刻まれていた、ということではないのか。しかし作品では、空っぽの瓶を前にした「わたし」は、誰かに海胆を食べられてしまった、ということに気をとめず、父との楽しかった思い出にひたることで、その空想のなかで十分に心が満たされた、というふうに読めるように、書かれている。どちらが事実だったのか、ということではないのだと思う。たぶんその疑念と打ち消しの激しい感情の振幅が、ある一日の体験として記憶に刻まれたのだ。「わたしのなかでのぼりつめ/あふれだす熱いもの/背すじを流れる 冷たい水」という、説明しがたいような体感の対比を並記した詩行は、そうした事情をよく伝えているように思える。

 最後に詩集表題作を紹介しておきたい。「望郷のうた」、という言い方があるが、戦後ほどなくして単身上京し、洋裁学校を卒業後、洋裁店を経営、服飾デザイナーの仕事に従事しながら詩を書き始めたという著者にとって、遠く離れた故郷の倉橋島とそこで過ごした少女期の生活を追想して作品を書くことは、すべて「望郷のうた」を綴ることに重なっていたように思える。この作品では、島の港の護岸工事を統率していた逞しい父親の姿が、誇らかにうたわれているところがある。故郷を海に囲まれた小さな島にもつこと、父親をこうした職業の従事者としてもつこと、そうしたことは偶然に属しているかもしれないが、そのことで著者が遠い土地で自らの生のかたちを確かめるために書きついだ「望郷のうた」が、私たちにそっと神話や伝説といったもののなりたちの秘密をつげるように届いてもくるような気もするのだった。


倉橋島


波止場に佇めば
日本の地中海といわれる
瀬戸でいちばん美しい風景
ふるさと 倉橋島

目を閉じれば
頂上の火山(ひやま)と呼ばれる千畳敷の岩
その下の石切り場のそそり立つ御影石
鑿をふるう父と石工たち

石の性を見定め 海の方向に伐り倒す
砂利まじりの坂道 石を引き摺り下ろし
しなる渡し板を伝い 船に積みこむ

ひしと 母の首に両手をまわし泣いている私
「泣くなや お父ちゃんが海の底に土台の石を据えるじゃけん
 ようみとりんさいや」
大きく傾く船の甲板から 怖々視つめていた

荒縄で括りつけられ
高々とクレーンで 吊り上げられる石と父
徐々に海の底に沈んでいく
大蛸の踊りのように 長い手足が浮遊する
海底に大石を据え
盛り上がる水輪のなかから 浮かびあがる父
大きく息を吸い 空を蹴り上げ ふたたび海底に
丸石 長石を段々積み重ねていく

陽の火照る もやい石に腰かける
石に挟まれ
沈んだまま 息絶えた船方の呻き声
骨身削った父の 波止場の突端に
波の花が砕け散り
たえまなく 生と死を洗いつづける

風災から 船や集落を守り
幾年月 びくとも崩れない波止場
土台の石は海の深みで
石の隙間に 魚たち 蟹たちを棲わせながら
なつかしい倉橋島の風景を
恋い焦がれているだろう

私は さびしい都市に住み
ふるさとを恋う
すでに 父 母は神々の風景のなかで
祭りの支度をととのえながら
死者たちの魂とふれあい 睦みあう




ARCH

桜井さざえ詩集『倉橋島』(1996年7月25日発行・土曜美術社)






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